百人一首、やったことある?
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□ 権中納言・藤原定家(1162年~1241年9月26日)
・・・藤原北家・藤原俊成の二男。京極殿。2つの勅撰集「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の選者。
藤原定家の「明月記」に、1235(文暦2/嘉禎元)年5月27日、親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が、嵯峨の小倉山(嵯峨中院)山荘の障子に貼られたとの記述があり、小倉百人一首が完成したものとみられる。
戦国末期~安土桃山期にかけて、西洋から現在のトランプやタロットの原型のようなカード(カルタ)が入って来た。
これに触発され国内でも元和年間(1615-1624)頃に各種の歌留多が作られた。
そのうち「小倉百人一首」が歌留多として広く用いられ、通常、百人一首といえば「小倉百人一首」を指すまでになった。
□ 競技かるた
(社)全日本かるた協会の定めたルールのもとに行われる本格的な競技。毎年1月の上旬に滋賀県大津市にある近江神宮で名人戦・クイーン戦が開催される。
名人戦は男子の日本一決定戦であり、クイーン戦は女子の日本一決定戦である。NHKBSで毎年生中継される。
また、7月下旬には全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会が行われている。そのほか、全国各地でいろいろな大会が開催されている。
□ 坊主めくり
使用する札は読み札のみで取り札は使用しない。百枚の絵札を裏返して場におき、各参加者がそれを一枚ずつ取って表に向けていくことでゲームが進む。
歌を暗記していない子供も参加できる遊びとして、明治以降に考案されたものと考えられている。
男札を引いた場合は、そのまま自分の手札とする。
坊主札を引いた場合には、引いた人の手元の札を全て山札の横に置く。
女札(姫札)を引いた場合には、引いた人がそれまでに山札の横に置かれていた札を全てもらう。
天皇札(台座に縞模様がある札)を引いた際には、数枚引ける。天皇を引いた際には、山札とその横の札を除き、すべての札が引いた人の手札となる。
段札を引いた際、もう一枚めくることができる。
蝉丸が出た場合、全員の札を供託に置く。
裏向きに積まれた札の山がなくなるとゲーム終了。このとき最も多くの札を手元に持っていた参加者が勝者となる。
□ 新たなる展開 ⇒ 映画「ちはやふる」の公開
二手に分かれ、小倉百人一首のかるた札を取り合う競技かるた。その魅力に引きこまれクイーンを目指す高校生、綾瀬千早を中心に、かるた部の活動に打ち込む高校生達の姿を描く、人気の少女漫画『ちはやふる』。
2009年第2回マンガ大賞受賞、2010年「このマンガがすごい!オンナ編」第1位獲得、2011年第35回講談社漫画賞少女部門受賞、コミックス累計発行部数1600万部突破(2016年3月時点)。
ダイナミックな“競技かるた”の魅力、等身大の高校生たちの熱き青春群像を描き、少女コミックスの枠を超え男子からも人気を博す、青春マンガの大本命「ちはやふる」(末次由紀/講談社「BE・LOVE」連載)が満を持しての映画化。
タイトルになっている「ちはやふる」とは、百人一首の中の一句で、1200年前の稀代の歌人・在原業平が禁じられた恋の相手を想って詠んだとされる、「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは」 が元。“神”の枕詞として使われる。
主人公・千早(ちはや)を表現し、また作品を象徴する歌として、「私の燃える想いが、激しい水の流れを真っ赤に染め上げてしまうほど、今でもあなたを愛しています」という思いが込められており、「ちはやぶる」は “勢いの強いさま”そしてその勢いがただ一点に集中している状態を表す。
二部作として実写映画化。前編となる「-上の句-」2016年3月19日(土)公開。後編の「-下の句-」4月29日(金・祝)公開。
綾瀬千早: 広瀬すず・・・競技かるたのクイーンを目指すヒロイン。
真島太一: 野村周平・・・綾瀬千早の幼馴染み。
若宮詩暢: 松岡茉優・・・現クイーンで圧倒的な実力の持ち主。
大江奏: 上白石萌音・・・古典オタクのかるた部創立メンバー。
西田優征: 矢本悠馬・・・小学生時代は全国2位の実力の持ち主、かるた部創立メンバーの肉まんくん。
駒野勉: 森永悠希・・・かるた初心者の優等生、机くん。
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■ お題「百人一首、やったことある?」
私の小・中・高生時代、1954~65年(昭和29~40年)の大晦日~正月三が日における"家族(6人)挙っての遊び"と言えば、
「NHK紅白歌合戦」を観ることに始まって、「小倉百人一首」「花札」「トランプ」「(雑誌の付録の)カルタ」「双六」「福笑い」「旗源平」など数多くあった。
そして遊びではないが「書初め」「年賀状」があった。
中でも「百人一首」は、和歌の勉強もできるとあって年齢が上がる毎に熱心になった(百首ほとんどを覚えた)もの。
確か、最年長者の子供である姉が我が家の"千早"だったと思った。
もう半世紀以上を経た昭和30年代の日本家庭には、今日のようにゲームソフトは存在しなかったけれど、正月の"家族挙っての遊び"は大いに盛り上がったものだった。
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■ 「百人一首」の効用
私個人の経験値から言って、少年時代に日本を代表する「和歌」に触れたことが、その後の国語(古文)、短歌・俳句、強いては日本史に対する興味を強くしてくれた。
にも拘わらず、自分が家庭を持った1970~80年代になって"家族(5人)挙っての遊び"に、「トランプ」「カルタ」「双六」、
そして新しいものとして「人生ゲーム」「野球盤ゲーム」などはあったが、「百人一首」は消えていた。但し、「書初め」の伝統は守った。
今日、コミック作家によって、「書道」「和歌」などの日本伝統文化が再びクローズアップされているのは、本当に同慶の至りである。