今日2/.5(金)はやや暖かな日。
昼頃、東京で倉敷の「大原美術館」の作品を沢山見られるというので、有難く出掛けた。
往きは銀座線で溜池山王駅乗り換え、千代田線で乃木坂駅。


特に、先日、NHK-BSプレミアム放送の「受胎告知」を素材とした、岡山発地域ドラマ「インディゴの恋人」(2016/01/27記) が良かったのでますます惹かれた。


平日のランチタイムを狙った通り、会場は空いていて落ち着いて回れた。

 感想としては、こんなに沢山の名作を鑑賞できる美術展は、何年もお目に掛からなかったので、充実感を覚えた。


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「はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」



会期: 2016年1月20日(水)~4月4日(月)

会場: 国立新美術館・企画展示室1E (港区六本木7-22-2)

主催: 国立新美術館、公益財団法人大原美術館、NHKプロモーション





■ 展覧会概要


★ 「大原美術館」HP  (岡山県倉敷市中央1-1-15) 


倉敷を基盤に幅広く活躍した事業家・大原孫三郎(1880-1943年)が、前年死去した画家児島虎次郎を記念して1930年(昭和5年)に設立した、日本最初の西洋美術中心の私立美術館。
日本美術のコレクターでもあった孫三郎は、親しい友人虎次郎の才能と、美術に対する真摯な姿勢を高く評価し、三度にわたる渡欧を促す。
虎次郎は、そこで制作に励むかたわら、孫三郎の同意のもと、日本人としての感覚を総動員してヨーロッパの美術作品を選び取るという作業に熱中する。
明治の気骨を持つ虎次郎の選択は、東洋の感覚と西洋美術の精華との真剣勝負でした。彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらす。
同時に進めた中国、エジプト美術の収集にも、東西の狭間で悩みつつ文化の源流に迫ろうとした虎次郎の心情が伺い知れる。
大原美術館は、その後も、倉敷の地にあって活発な活動を続け、西洋の近代から現代の美術、日本の近代から現代の美術、民芸運動に関わった作家たちの仕事等にコレクションを広げ、
日本人の心情に裏打ちされた独特の個性を発揮するユニークな民間総合美術館として世界に知られるようになった。
今、大原美術館は、現場で子供達や社会人と触れ合う種々の教育普及活動に加え、毎夏の美術講座や、世界を代表する音楽家を迎えてのギャラリーコンサート等を通じ、諸芸術のフロンティアと広く関わりながら、
21世紀に生きて躍動する美術館として、多彩な活動を展開している。


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同展では大原美術館が所有する様々な作品と共に活動の軌跡や理念を紹介し、同美術館の全貌を紐解いて行く。

約1世紀に亘って時代とともに歩んで来た大原美術館の活動を、珠玉の名品とともに紹介する。

展示作品は大原美術館の全部門から出品。極めて多岐に亘る。本展覧会には、そのすべての部門から選ばれた数々の逸品が一堂に会する。






■ 印象に残った作品


□ 1章:古代への憧憬・・・エジプト・オリエント・東洋の古代美術。

1-7《女神イシスまたはネフティス像》エジプト・プトレマイオス朝時代(紀元前305/04 - 紀元前30年) 


□ 2章:西洋の近代美術・・・東京では約30年ぶりに公開されるというエル・グレコの《受胎告知》。クロード・モネら西洋近代美術。


2-1エル・グレコ《受胎告知》1590年頃-1603年


2-4オーギュスト・ロダン《ロダン夫人》1882年


2-7カミーユ・ピサロ《りんご採り》1886年

2-8ポール・セザンヌ《風景》1888-90年(白樺美術館より永久寄託)


2-9ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》1892年


2-10ジョヴァンニ・セガンティーニ《アルプスの真昼》1892年


2-11ギュスターヴ・モロー《雅歌》1893年

2-13アンリ=マリー=レーモン・ド・トゥールーズ=ロートレック《マルトX夫人―ボルドー》1900年

2-14クロード・モネ《睡蓮》1906年頃 


2-15フェルディナント・ホドラー《木を伐る人》1910年


2-18ジョルジョ・デ・キリコ《ヘクトールとアンドロマケーの別れ》1918年


2-19アンリ・マティス《マティス嬢の肖像》1918年

2-20アメデオ・モディリアーニ《ジャンヌ・エビュテルヌの肖像》1919年


□ 3章:日本の近代洋画

3-1青木繁《男の顔》1903年

3-2児島虎次郎《和服を着たベルギーの少女》1911年


3-5関根正二《信仰の悲しみ》1918年★重要文化財


3-6小出楢重《Nの家族》1919年★重要文化財


3-7前田寛治《二人の労働者》1923年

3-9岸田劉生《童女舞姿》1924年


3-10藤田嗣治《舞踏会の前》1925年

3-12佐伯祐三《広告"ヴェルダン"》1927年

3-13熊谷守一《陽の死んだ日》1928年


3-14安井曾太郎《外房風景》1931年

3-15安井曾太郎《孫》1950年


3-12古賀春江《深海の情景》1933年


□ 4章:民芸運動ゆかりの作家たち

4-1棟方志功《二菩薩釈迦十大弟子板画柵》1939年

4-2棟方志功《流離抄板画柵》1953年


4-3芹沢銈介《沖縄絵図》1939年

4-5芹沢銈介《小川紙漉村着物》1943年

4-6芹沢銈介《津村小庵文着物》1967年

4-11バーナード・リーチ《鉄絵組合せ陶板"獅子"》1930年

4-26濱田庄司《青飴掛分白格子文大皿》1973年

4-29河井寛次郎《黒釉文打大筥》1940年

4-37富本憲吉《白磁蓋付壺》1933年


□ 5章:戦中期の美術

5-1松本竣介《都会》1940年

5-3パブロ・ピカソ《頭蓋骨のある静物》1942年

5-4ジャン・フォートリエ《人質》1944年


□ 6章:戦後の美術

6-1ジャクソン・ポロック《カット・アウト》1948-58年

6-2ジョルジュ・マチウ《青と赤》1951年


□ 7章:21世紀へ・・・2000年以降に倉敷の旧大原家別邸・有隣荘で個展を行った福田美蘭や辰野登恵子ら、今、第一線で活躍している現代美術家の作品。

7-1福田美蘭《安井曾太郎と孫》2002年

7-9北城貴子《Reflection―muison–so―》2006年


7-11三瀬夏之介《君主論―Il Principe―》2007年


7-13彦坂敏昭《像画(背景に落ちていく)》2009年






鑑賞後、遅いランチ。ミッドタウンにも色々と美味しい店はあるんだろうけれど、落ち着いて食べられるのは六本木でも旧市街の食事処。
今回も 鮨割烹「龍馬」(六本木7-13-8 フュージョンビル3F) を選んだ。島根の海鮮と鎌倉の野菜。妻は海鮮ちらし丼、夫はミックスフライ。美味しくてボリームたっぷり。


帰途は、大江戸線で上野御徒町駅乗り換え。
今日のウォーキング5,600歩。