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過去を振り返ってみると、「ダッコちゃん」と「ガン黒」かな?
過去を振り返ってみると、「ダッコちゃん」と「ガン黒」かな?
どちらも女性主体に流行したファッション・ブームだ。
■ 「ダッコちゃん」
高度経済成長の第Ⅰ期(1954~61年)の真っ只中で、先ず私が小5の1958年に「フラフープ」が爆発的なブームとなった。これは男の子の私も練習したものだったが、成長の早い女の子に上手さが目立った。
ところが、熱中していた子どもたちに、胃に穴が開いたり(胃穿孔)、腸が捻じれたり(腸捻転)、はたまた路上で交通事故に遭ったりと問題が連続して起こったため、バッシングによって数か月で下火になってしまった。
でも、このブームは理解できるものだった。独楽回し・凧上げ~ボーリングなどと同様、反復練習とコツ会得によって上達できる、遊びとスポーツを兼ね備えた楽しさがあった。
そして次に私が中学生時の1960~61年に到来したブームが「ダッコちゃん」だった。発売当初には「木登りウィンキー」とか「黒ん坊ブラちゃん」とか呼ばれていた。
これは単にコアラのようなポーズで上腕に抱き付かせる人形なのだ。当時のBG(ビジネスガール、その後OLへと呼称変化)などの若い女性がアクセサリーとして付けて銀座などを歩く。
ただそれだけのことで、我々少年の目には理解しづらく実につまらないものとして映った。
ところが、60年末までに240万個(x @180円=4億3200万円)もの大ヒット商品となった。これが製造元の宝ビニールがタカラ⇒タカラトミーへと社業発展する礎となったとのこと。
しかし、「ダッコちゃん」は、米国ケネディ政権の公民権運動の高まりに伴い、日本でも黒人に対する配慮から次第に下火となって行った。
尚、2015年から、永谷園が大相撲の遠藤関「ダッコちゃん」プレゼントを実施している。ただでさえ怪我で低迷しているのに、軟弱に映るキャンペーンとは一ファンとして理解に苦しむ。
■ 「ガン黒」
バブル景気(1986~91年)の中、若い女性の中には、顔を真っ黒あるいは濃い褐色、白いアイラインに焼きorメイクし、髪をオレンジやらブロンドやらシルバー・グレーやらにカラーリングしたり脱色したりする、アッと驚くファッションが出現した。
服装の方は、オルタナティブ・ファッション(出来合いの服を自分なりに組み合わせて着こなす)なので、賛成なのだが、
どうもメイクについては全く美的センスの欠片も感じなかったし、「大和なでしこ」のキメ細かい肌の劣化~老化を早める以外のナニモノでもない。
「ガン黒」の由来は、「ガンガン黒い顔」とも「ギャルの向こうを張ったガン(黒い集団)」とも言われた。
この「ガン黒」ブームは、バブルが弾けて行った90年代を通じても、渋谷や池袋をはじめ関東一円に亘って、「ヤマンバ」などへと変化しながら根強く生き残っていたものの、ミレニアム以降は白塗り(美白ブーム)に押され気味となった。でも消えてはいないのである。
これをメインストリームの並みやハイエンドのセレブに対するレジスタンス表現と捉えられなくもないが・・・・・。
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