NHK-G大阪 「歴史秘話ヒストリア」#239年末特別編

あの名言にはウラがある!? ~ヒストリア書房の迷える人々」


初放送: 12/30(水) 21:15~21:58
再放送: 12/31(木) 16:15~16:58


総合司会: 渡邉あゆみ
名言プレゼンター: 笹野高史


音楽: 梶浦由記
編集: 菅沼隆洋
リサーチャー: 森稚子
ディレクター: 谷口僚平
制作統括: 木道壮司


再現ドラマ・キャスト


笹野高史・・・古今東西の歴史に通じた古書店「ヒストリア書房」店主 テツゲン

鈴木ちなみ・・・「ヒストリア書房」でバイトする看板娘、テツゲンの孫娘 シオリ


佐藤仁美・・・ネット攻撃で炎上中の女優 安藤マリ



板羽由佳・・・マリー・アントワネットの声


眞島秀和・・・パクリに怒る元文学青年 我孫子武

我孫子が学生時代に書いた「火花燃ゆ」「STOP再考 !」「よるが来た」の原稿が、同級生だった作家にパクられ、「花火燃ゆ」「STEP最高 !」「ひるが来た」が出版された。


                                     ↑拡大


アンディ岸本・・・武田信玄


 

【あらすじ】


歴史秘話ヒストリアでは、今年の重大ニュースに絡めた『歴史の名言』で歴史を振り返る。

『歴史の名言』には意外な裏の顔があった !?

最新研究をもとに伝説の名言誕生の真相を追うと、そこには想像を超えるドラマが !

『歴史の名言』のヒミツを解き明かす。 


名言の知識豊かな老店主テツゲン(笹野高史)がいる昭和な古書店・ヒストリア書房を舞台に、訪れる様々なお客に名物店主・テツゲンが名言を授けつつ、現代を生きるヒントを導き出して行く。

見れば思わず誰かに話したくなる秘話満載。 





episode 1 「火のない所にも煙は立つ」


■ 悲劇のフランス王妃マリー・アントワネット


「パンがなければ、お菓子を食べれば良いのに」(“炎上”の名言)

元祖・炎上名言はデマだった?



フランス革命の前夜、当時のパリ市民は殺気立っていた。理由は空腹。天候不順で小麦が不作になり、パンの値段が高騰していた。食事にも事欠く日々、庶民の不満は爆発寸前だった。
そんな或る日のこと。
「農民には食べるパンがないと聞かされた或る王妃は、『パンがなければ、ブリオッシュを食べればよい』と言った」と市民の間に伝わった。
ブリオッシュとは卵や砂糖をたっぷり使ったお菓子のような物。パンよりもずっと高価だった。
パンが買えないのにブリオッシュなんて買える訳がないと、この発言は忽(たちま)ち大炎上した。これが革命の火種の1つになったとも言われている。

しかしこの言葉をマリー・アントワネットが言ったというのは、実は全くのデマだった。元々、この発言は1冊の本によって広まった。当時、多くの人々に読まれていた思想家ジャン・ジャック・ルソーの自伝「告白」(革命の30年前に書かれた)に、「或る王妃が、農民がパンがなくて困っていると聞かされ、『それならブリオッシュを食べれば良いのに』と語ったということを思い出した」旨が引用されていた。

或る王妃とは、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)な暮らしに現(うつつ)を抜かす、"浮気女""雌豹(めひょう)""赤字夫人"---と非常に評判の悪かったアントワネットのことだと人々は思い込み、アイツなら言いそうだ、言ったに違いないと噂話として広まって行った。

だがルソーの「告白」が書かれた頃のアントワネットは物心が付く前の幼女だったので、発言の主は全くの別人だった。更に近年の研究で、実際の彼女は、人間味溢れる誠実な女性だったことが明らかになって来た。実母マリア・テレジアに宛てた手紙に、「不幸な暮らしをしながら私たちに尽くしてくれる人々を見たならば、彼らの幸せのためにこれまで以上に身を粉にして働くのが私の務めだというのは当然のことです」と書き記(しる)すとともに、豪華な衣装を売り払い宮廷儀式を簡素化するなどの改革を進めていた。

しかし一度、群衆の間に燃え広がった憎しみの炎を最早、消す術(すべ)はなかった。


*


episode 2 「よく学び、よくまねろ !?」


■ 武田信玄 

「風林火山」(“最強キャッチコピー”の名言)


最強エンブレムにパクリ疑惑?


実は、「風林火山」には続きの言葉「陰雷」があった。 「風林火山陰雷」。
戦国時代の戦国武将たちが誇りを込めて戦場に掲げたエンブレム「旗印」。武将たちのアイデンティティを示す掛け替えのない物だった。
そんな中、異色の旗印を掲げた戦国最強軍団を率いた名将・武田信玄。

この名言の元になったのは、古代中国・呉国の武将・孫武が書いた兵法書「孫子 軍争篇」。
実は「風林火山」の先には大切な続きの言葉「陰雷」があり、6つでワンセットだった。
「知り難きこと陰の如く」(陰のように行動して相手には自分の動きを掴ませない)。
「動くこと雷霆(らいてい)の如し」(雷のように素早く敵に襲い掛かる)。
 
なぜ信玄は、この2語を旗に書かなかったか? 
近年の調査研究では、「陰雷」の発想を寧(むし)ろ奥の手として隠そうとしていたのではないか? という資料が見つかっている。
書状は信玄直筆(戦国大名としては異例)で書くことに努め---
上杉謙信などの敵に、自分の動きを掴ませない、部下に指示を出したことに関係する人間を減らして秘密が漏れないようにしていた。これが即ち「陰」。偽情報を流しながら敵の城を攻めよと指示を出し、噂で敵を油断させ電撃的な奇襲を仕掛けた。これが即ち「雷」。
「風林火山」を高々と掲げ、その裏で「陰雷」の発想を縦横に駆使して敵を翻弄(ほんろう)していた。「孫子」に敬意(リスペクト)を払い、その兵法の真髄を会得した者だけが掲げることができる最強のエンブレムだったのである。


*


episode 3 「努力は発明の父」


■ トーマス・エジソン

「天才とは1%のひらめきと99%の努力」(“成功“の名言)
 
あの名言は誤解されている?


努力することが如何に大切か ! という意味で教わった人も多いのではないか。
でも実は、エジソンが晩年に語ったと伝わる言葉、「どうも誤解がある。私は寧ろ1%の閃(ひらめ)きこそ大切だと言いたいんだ」。それは実際にどうやって発明品を生み出していたかを探れば理解できる。

先ずエジソンが閃くままにアイディアをスケッチする。
日本人・岡部芳郎(※) を含む開発助手たちが製図・素材集めに動く。そしてイギリスから来た熟練の試作職人たちが完成させていた。
エジソンの独自のアイディアを、弟子たち集団(チームプレイ)の努力で形に成って行った。
エジソンは発明考案に集中し、手助けされ、それにエジソンが相談に答える。

それを確立するため、エジソン研究所(1887年、ニュージャージー州ウェストオレンジ)を設立。
最新の工作機械、5000人のエンジニア。エジソンの閃きに大勢の人たちが膨大な努力をしていた。

「1%のとっても大切な閃きがなければ、99%の努力をしても無駄になってしまう」。
製図助手だった岡部氏は晩年、皆の苦労を無駄にしないようエジソンは、「勤勉・不撓不屈・・・・を身を以って示された」と回顧している。寝食を忘れ1日18時間は、実験室で仮眠を取りながら働いていた。範を示し、仕事に対する闘志に溢れていた。

「私は失敗などしていない。ただ、うまく行かない方法を1万通り発見しただけだ」「私たちの最大の弱点は諦(あきら)める事にある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう1回だけ試してみることだ」(トーマス・エジソン)。諦(あきら)めないことの天才でもあったのだ。


(※)
岡部芳郎氏の略歴

1884年4月9日~1945年3月17日、享年61。

1884年4月9日、神戸に生まれた。山口県立大島商船学校を卒業、海軍予備少尉に任官した。
1906年、英国商船レイキャッスル号3等機関士として乗船した。ニューヨーク停泊中に急性盲腸炎となり下船、そのままアメリカに残り、特許弁理士アツベの下で出願用の製図の仕事を得る。
ウェスティングハウス・エレクトリックの仕事に従事した。
1908年、エジソン研究所、トーキーの音声を拡大する研究、金粉末密着法の設計製図、電池を用いた自動車モーターの研究に従事した。
1909年、渋沢栄一を団長とする第一回渡米実業団を出迎え、集合写真の一枚を撮影した。
1914年、日本キネトフォンの専任技師として帰国。エジソンのトーキーを使用して松井須磨子の「カチューシャの唄」の映画版を制作、浅草日本館において上映した。
1931年、日比谷公会堂のエジソン追悼会の席上、追悼会長であった金子堅太郎 に研究所で働く日本人だったと紹介された。
1934年、京都府八幡市のエジソン記念碑除幕式に、金子とともに故人と親しかった日本人として参列した。
神戸で鉄工所を経営。北欧の船舶修理などで財を成すが、戦時色が強まるに連れて渡米経験からスパイ嫌疑が掛けられ憲兵隊で取り調べを受けたこともあって事業縮小を余儀なくされた。
1937年、「日本の植物学の父」牧野富太郎が兵庫・鳥取県境の氷ノ山を学術調査した際に映像を撮影した。
1945年3月17日、運命のイタズラか? 米軍による神戸大空襲により戦災死を遂げた。その際、エジソンから譲り受けた個人的な品や発明品の多くが焼失した。






【参考】


その他の名言についても、今一度、真意を確かめたいものである。


■ クラーク博士「少年よ大志を抱け」

「少年よ大志を抱け、この老いた私のように」



■ 福沢諭吉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

 
■ 世阿弥「初心忘るべからず」



■ ユウェナリス(古代ローマ時代の風刺詩人・弁護士)「健全なる精神は健全なる身体(肉体)に宿る」


■ 山本五十六(太平洋戦争の連合艦隊司令長官)「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」