
◎ 自転車
○ 小学校に上がる前(1953年)、玄関に停めてあった父の自転車のサドルに上って遊んでいて、左腕を骨折してしまった。
そして、父に負んぶされ遠い骨接(つ)ぎの医者に通院した記憶がある。
○ 埼玉に引っ越した当初(1978年)、自宅と駅の間を自転車に乗っていたことがあった。
駅前の野晒(のざら)し駐輪場だったため錆(さ)びが目立ったので、中古で買ったマイカー・三菱ギャラン塗装用ホワイトカラースプレーを振り掛けていた。
或る晩、何時ものように家に向かって漕いでいたところ、無灯火指導の警官に呼び止められた。
「どうして警察自転車みたいに白く塗ったんだ!? お前、酒臭いゾ !」ということで、何と!! 酒気帯び運転で違反キップを切られた。自転車で。「家まで押して行きなさい」。
○ 年金生活に入って(2007年)、電車の便が良い都心に移り住んだことと、老人の自動車運転は危険だと思いマイカーは手放した。
その代わりに新しい自転車を購入して、ウォーキングの合間に週1回程度はサイクリングを楽しんでいる。
◎ 自動車
○ でも、内心は乗用車のドライブが好きだ。
運転技術は決して上手とは言えないだろうけれど、歴代のマイカーにはそれぞれ思い出が一杯詰まっている。
スバル(1970年23歳から)⇒三菱ギャラン中古⇒マツダ・ニューファミリア⇒トヨタ・カムリ⇒トヨタ・マークⅡ⇒レンタカー(2009年62歳まで)。
◎ 汽車/電車
○ 小さい時、父の職場に連れて行ってもらい、機関車に乗せてもらった記憶が淡く残っている。
○ 高校時代(1963~65年度)は、北陸本線の蒸気機関車で僅か2駅だったが通学した。
当時は、先日テレビで観たインドの交通事情のように、デッキにぶら下がりながら金沢駅までのラッシュアワーだった。
噴煙に混じった石炭の粉が目や鼻に入ってしまうが、その臭いとスリルが堪らなかった。
○ 社会人1年目(1971年)の年末年始の休暇は、同じ年に大学浪人で上京していた弟とともに、上野から信越本線の夜行列車3等席で帰省した。
当時のわれわれスモーカーはスパスパ吸っていて換気のため窓を少し開けたとしたら、トンネルともなれば車内には更に煤煙が入って来た。
碓氷峠(アプト式)を越えて軽井沢駅で白人のお婆ちゃんが、怒って捨て台詞を吐いて(意味不明)降りた残像・・・。
○ 特に強く残っている電車の旅。
大学4年夏休みの東海道無賃旅行(鉄道員家族パス)は、横浜⇒静岡⇒名古屋⇒柘植⇒鳥羽⇒奈良に各下車(1970年夏)。
定年退職記念にカシオペア号で大宮⇒札幌の旅(2000年暮)。
来年はいよいよ、初めて北陸新幹線で帰郷する計画である。