今日11/10(火)午前中は、今にも降りそうな天候だったが、
銀座線で一本なので、渋谷Bunkamuraのウィーン美術史美術館/ 風景画を見に行くことにした。


東急百貨店本店(渋谷区道玄坂2-24-1)の前には、クリスマスツリーが飾られている。

 

ブランド品のウィンドウディスプレイ







「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」展


ポスターの一枚



ザ・ミュージアムのエントランス


 
《楽園図》の装飾 



 会場は比較的空いていた。
 《ベリー侯のいとも豪華なる時祷書》の絵葉書12枚を買った。
 


■ 展覧会概要


期間: 2015/9/9(水)~12/7(月)

会場: Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷区道玄坂2-24-1文化村通り)

主催: Bunkamura、TBS、読売新聞社
企画協力: ウィーン美術史美術館
特別協賛: キヤノン、協賛: 花王
特別協力: 大塚国際美術館


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巡回展: 

静岡県立美術館(静岡市駿河区谷田53-2) 2015/12/19(土)~2016/3/21(月・振休)

石橋美術館(福岡県久留米市野中町1015) 2016/4/2(土)~2016/6/12(日)


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「ウィーン美術史美術館」---

オーストリア・ハプスブルク家のコレクション。

1659年、世界初の収蔵品の図版入りカタログ製作。
1872年、膨大な美術作品を所蔵する美術館の建設開始。
1881年、ウィーン美術史美術館が完成。
1891年、公開。Kunst Historisches Museum。略してKHM(カーハーエム)と言う。


今回の展示は、所蔵作品の中から「風景」に焦点を当てて厳選された70点 + 参考出品。

「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」展示品リスト



■ 展示会の見どころ


□ 「ウィーン美術史美術」

音楽の都ウィーン。19世紀末の都市改造計画の一環として、約20年の年月をかけて建設された「ウィーン美術史美術館」。

金銭的・時間的制約は一切設けられず、 ルネサンスやバロックなどの様々な様式を織り交ぜた、まさに贅の限りを尽くした美の館が誕生した。

600年に亘りウィーンに君臨したオーストリア・ハプスブルク家の栄光の歴史を反映。

歴代の皇帝の趣味嗜好に基づき、鋭い審美眼によって選び抜かれた7千点もの名画をはじめ、数十万点におよぶ膨大なコレクション。


「ウィーン美術史美術館」と言えば、アルブレヒト・デューラー《ヴェネツィアの若い婦人》(1505年)、ラファエロ・サンティ《草原の聖母》(1506年)、ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》(1563年)、ピーテル・ブリューゲル《雪中の狩人》(1565年)、ダフィット・テニールス《レオポルト・ ウィルヘルム大公の画廊》(1651年)、ディエゴ・ベラスケス《青いドレスのマルガリータ王女》(1659年)、ヨハネス・フェルメール《絵画芸術》(1667年)などが、真っ先に浮かぶ。

今回は、そのような余りにも有名な絵画は一切ない。初めて見る風景画ばかりなのだ。
しかし、釘付けになる程の傑作揃いである。

 

□ 「風景画」誕生

西ヨーロッパでは15 世紀以降、描かれた窓を通して風景が絵の中に採り入れられはじめ、次第に聖書や神話の物語の舞台として生き生きとした風景表現が登場する。

聖なる物語の背景に登場する風景は次第に画面の中で存在感を増し、様々な主題と結びついて展開。

風景は17世紀になると独立した主題として広まり、次第に専門分野へと分かれて行く。

そして17世紀半ばのオランダの画家たちは、身近な風景をそれぞれの感性によって、誇りを持って描き出した。

風景を主役にしたユニークな視点により厳選された、風景画という概念を覆すような個性あふれる作品群。


・ ドイツ、オランダなどの北方絵画の傑作。

・ ハプスブルク家が統治していた、フランドルをはじめとしたネーデルラント地方(17州)の、15世紀後半~17世紀の風景画の黎明期といえる作品。

・ イタリア・ルネサンスの珠玉の作品。




■ 主な作品  ★印は特に気に入ったもの。


01 南ネーデルラントの画家 《東方三博士の礼拝》 1520年頃 

アーチ状の開口部の前に立つ2人の人物。聖なる出来事に背を向けて背景に広がる眺望を見渡す彼らは、私たちに「風景を見る」楽しさを教えてくれる。


02 ホーホストラーテンの画家 《聖母子と聖カタリナと聖バルバラ》 1510年頃

窓の中の風景。


07 ヤン・ブリューゲル(子)《エジプトへの逃避途上の休息》1626年以後

1601~78年。フランドルの画家でヤン・ブリューゲル (父)の息子。細部まで描写した風景画や寓意画を手掛けた。ベツレヘムやその近郊の幼子抹殺を命じたヘロデ王の追っ手を逃れてエジプトに向かう聖母子を描いている。


09 ドメニコ・フェッティ 《エジプトへの逃避》 1622~23年頃 

フェッティは、1588/89~1623年。17世紀初期イタリアのカラヴァッジョの影響を受けたバロック画家。夭折していることもあり謎も多い。


10 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 《タンバリンを演奏する子ども》 1510~15年頃

ヴェチェッリオは、1488/90年頃~1576年。盛期ルネサンスのヴェネツィア派で最も重要なイタリア人画家の一人。イタリア・ルネサンスの珠玉の作品。


★11 ヨアヒム・パティニール 《聖カタリナの車輪の奇跡》 1515年以前

パティニールは、1480年頃~1524年。現在のベルギー南部ワロニア地方の出身。北方ルネサンス風景絵画の先駆者、初期フランドル派画家。ヨーロッパでは15 世紀以降、描かれた窓を通して風景が絵の中に取り入れられはじめ、次第に聖書や神話の物語の舞台として生き生きとした風景表現が登場する。16世紀にフランドル地方アントワープで活躍し、美術史上初めて風景画家と呼ばれたと言われるパティニールは、聖なる主題と背景の風景の比重を逆転させ、はるかなる眺望へと観る者を誘う、聖なる主題を小さく配したパノラマ風景を生み出した。パティニールは過去と未来を結ぶ。実際の風景の中で起こっているような空間の扱い方など作品は逸品。

色彩遠近法・・・青が印象的なパティニールの風景。暖色は視覚的に前に出て見え、寒色は奥まって見えるという色彩の効果を利用し、奥行きのある画面を作り出している。


15 ドッソ・ドッシ(通称) 《聖ヒエロニムス》 1517~19年頃 

ドッシは、本名ジョヴァンニ・ディ・ニッコロ・デ・ルテーリ、1490年頃~1542年。ルネサンス期イタリア人のヴェネツィア/フェラーラ派画家。イタリア・ルネサンスの珠玉の作品。光と色彩の見事な調和の中で、自然と人間との親密な関係を謳い上げた。


16 イル・ガロファロ 《ノリ・メ・ダンゲレ(我に触れるな)》 1525~30年頃

ガロファロは、1481~1559年。ルネサンス後期マニエリスムのイタリア人のフェラーラ派画家。初期の作品は牧歌的な作風だったが、芸術的に洗練されたフェラーラ宮廷のお気に召すよう、奇をてらった表現を狙う。

マニエリスム・・・盛期ルネサンスとバロックの中間期に当たり、ミケランジェロの「手法・様式(マニエラ)」を高度の芸術的手法と考えた。

・ 巨匠の個人的様式の誇張的模倣。
・ 遠近法・短縮法・明暗法などの抽象化。 
・ 歪められた空間。
・ 蛇状体(フィグーラ・セルペンティナータ)の人体表現。


19  アンドレア・ディ・レオーネ 《ヤコブのカナンへの出発》 1635~40年頃

1610~85年、イタリア・バロック期。


★22 ヒエロニムス・ボスの模倣者 《楽園図》 1540~50年頃 

15世紀末~16世紀のネーデルラント/フランドルで活躍した奇才の画家ヒエロニムス・ボス(1450年頃~1516年)の流れを汲む作品。風景を主役にしたユニークな視点により風景画という概念を覆すような奇想あふれる図。


25 [参考図版]ダーフィット・テニールス(子) 《レオポルト・ヴィルヘルム大公のギャラリー》

スペイン領ネーデルラント総督だったヴィルヘルム大公(1614~62年)は、ハプスブルク家の中でもとりわけ熱心な絵画コレクター。


26 サルヴァトール・ローゼ(ローザ) 《アストライアーの再来》 1642~44年頃

ローゼは、1615~73年。イタリア・ナポリ近郊のアレネッラで生まれのオペラ作曲家・画家・詩人と多才。1639年から8年間フィレンツェに滞在し、「アッカデーミア・ペルコッシ」を設立して文学者や芸術家・愛好家たちと交流。


★31 レアンドロ・バッサーノ(通称) 《5月》 1580~85年頃 

バッサーノは、1517年頃~92年。本名ヤコポ・ダ・ポンテ。イタリア北部バッサーノ・デル・グラッパ生まれ。父フランチェスコに師事し,ベネチアに出て B.ベロネーゼの工房で学んだ。動物や風景の描写にすぐれ画家となった4人の息子とともにベネチアに工房を開き,風俗画を1つのジャンルにまで高めた。「天の時間と地の時間」が織りなすカレンダー・ペインティング月暦画の世界。天空の時間の流れを示すため雲の中には黄道十二宮の星座のシンボル(ここでは双子座)が見られる。


【参考出品】

★ランブール兄弟(リンブルク兄弟) 《ベリー侯のいとも豪華なる時祷書 八月の鷹狩り》 1390~1416年頃 ファクシミリ版(複写印刷版) 個人蔵

ランブール兄弟は、ポル・ヨハン・ヘルマンの3人。フランドルのナイメーヘンの生まれ。15世紀初頭のフランスとブルゴーニュ公国で活動したミニアチュール(写本の挿絵・細密画)の画家。多くの写本を集めた中世フランスの王族ベリー公ジャン1世(1340~1416年)が作らせた華麗な装飾写本。15世紀初め、ランブール兄弟によって制作が始まったが、1416年にベリー公とともにランブール兄弟が死去したため一時中断し、15世紀終わりになって完成した。

時祷書・・・キリスト教徒が用いる聖務日課書で、祈祷文・賛歌・暦などから成る。私的なものであり各人が趣向をこらして作成する。
ベリー公のいとも豪華なる時祷書・・・ベリー公が制作させた時祷書は6部以上現存。ゴシックの傑作であり最も豪華な装飾写本として評価が高い。


41 ルーカス・ファン・ファルケンボルフ 《夏の風景(7月または8月)》 1585年 

ファルケンボルフは、1530~97年。フランドルの北方ルネサンス風景絵画。麦刈りという夏の労働の様子と束の間の休息を楽しむ人々の姿が描かれている。右遠景へと広がっていく風景の中には刈り取られた麦を運ぶ馬車が小さく描かれ、画面のさらに奥へと私たちの視線を誘っている。


47 ヤン・シベレフツ 《浅瀬》 1664~65年頃

シベレフツは、1627~1703年。アントワープ生まれのフランドル・ネーデルランド絵画。牧歌的理想郷(アルカディア)の魅力あふれる田園生活を謳った、古代ギリシアの牧歌、ローマの田園詩はルネサンス期のイタリアで人気を博した後、アルプスの北側にも広まって行った。


★50 アダム・ペイナーケル 《ティボリ付近の風景》 1648年頃 

ペイナーケルは、1622~73年。オランダ絵画の黄金期の画家。だが若い頃にイタリア滞在。古代の遺跡に触れた画家たちは、そこに小さな人物を配した「廃墟のある風景」という主題を生み出した。


★57 ヘイスブレヒト・リテンス 《宿営する放浪の民のいる冬の風景》 17世紀後半 

冬の風景画家として知られるフランドルの画家。放浪の民にとって厳しい寒さの冬に向かう時間軸があって、手前から奥に向かって時が進むように幻想的に描かれ、焚火を囲む人びとは半ば温かかな秋の姿、半ば冬支度の姿で描かれている。


63 アールト・ファン・デル・ネール 《月明かりの下の船のある川の風景》 1665~70年頃

風景は17世紀になると聖書や神話の物語の舞台としてではなく、独立した主題として広まり、次第に専門分野へと分かれて行く。17世紀半ばのオランダの画家たちは、身近な風景をそれぞれの感性によって、誇りを持って描き出した。ネールは、1603年頃~77年。そのオランダ絵画の黄金期の画家。月明かりや炎が照らし出す夜景や雪が積もった冬を描いた。


★67 カナレット(通称) 《ヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸》 1730年頃

カナレットの本名はジョヴァンニ・アントーニオ・カナール。1697年~1768年。18世紀のヴェネツィアを代表する景観画・版画家。都市の風景や建造物などを透視図法を用いて描き出した都市景観画(ヴェドゥ―タ)を得意とし、グランド・ツアーでイタリアを訪れたイギリスの上流階級の人々の間で人気を博した。





ランチは、カジュアルイタリアン「Ventuno Tokyo」(渋谷区宇田川町24-1 渋谷センター街バスケ通りフォーエバー21渋谷店B1F)でパスタを食べた。

ここは2度目。近くで働く若者たちや外人家族が利用しているが、広いので意外と落ち着くから。 




今日のウォーキングは展示会が入ったが、交通の便良く、3,800歩しか行かなかった。