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BS-TBS 「にっぽん ! 歴史鑑定」#29
「武将たちのカルテ~吉宗、清盛、尊氏、信玄の病因、死因」
BS-TBS 「にっぽん ! 歴史鑑定」#29
「武将たちのカルテ~吉宗、清盛、尊氏、信玄の病因、死因」
10/26 (月) 22:00 ~ 22:54
歴史鑑定士(MC): :田辺誠一
ゲスト鑑定士:
若林医院 院長・若林利光さん
日本大学医学部 教授・早川智さん
ナレーション: 鈴木順
声の出演: 81プロデュース
オープニング曲: 東儀秀樹×古澤巌×coba「Love Hat Trick」
エンディング曲: 岩崎宏美「光の軌跡」
資料協力: 国立国会図書館、国立公文書館、東京大学史料編纂所、大阪城天守閣。
総合監修: 竹内誠(東京学芸大学名誉教授)
構成: 鈴木留美
演出: 関昌志、プロデューサー・総合演出: 木村吉考、総合プロデューサー: 佐藤由香
製作著作: BS-TBS、nexus
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【概要】
歴史を彩った武将たちはどんな病気にかかっていたのか?
吉宗の死因は脳卒中。
清盛は髄膜炎。
尊氏は現代人も悩まされる躁鬱(そううつ)病?
信玄が好んだ健康食とアロマテラピー !
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【詳細】
■ 徳川吉宗(1684/10/21-1751/6/20、享年68)
☆ 半身不随からの驚異の回復法?
身長: 約180cmと非常に大柄、並外れた体力、心身ともに壮健だった。
性格: 穏やか・冷静、側近たちは大声で怒ったのを聞いたことがなかった。
家康の没後100年目の年に第8代将軍に就任。家康の政治を理想に掲げて「享保の改革」を断行し、
大奥女性のうち美女を中心に約50名ほどの解雇はじめ、厳しい倹約令を出し、
米政策(米価調節・新田開発・新農作など)などの財政再建を決行した。
その他、被災者救出、江戸湾塵芥回収。
家康同様、医学・薬学に精通し不断に最新の医学書を学んでいた。
小石川養生所を建て、貧困者や身寄りのない者たちに無料で治療を施した。
江戸の王子飛鳥山の花見、両国の花火など、庶民のための息抜きの場を建設した。
51歳時(1734年)、「麻疹」(はしか)に罹った。当時は"命さだめ"と呼ばれ死に至る病だった。
自ら治療薬を処方し治癒してしまった。それは「白牛洞」(はくぎゅうどう)。
房州嶺岡に牧場を開きインド産の白牛を飼育していた。その糞(ふん)を乾燥し黒焼きにしたもの。これ以降、麻疹の特効薬となった。
房州嶺岡に牧場を開きインド産の白牛を飼育していた。その糞(ふん)を乾燥し黒焼きにしたもの。これ以降、麻疹の特効薬となった。
しかし、62歳時(1745年)、長男・家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸で大御所として実権を握り続けた。
その翌年11月、「中風」(ちゅうぶう、脳卒中)に襲われ、右手の震え・言語障害の後遺症となった。
ところが、発病から3年、奇跡の回復を見せた。
★ 鑑定ポイント① 半身不随からの驚異の回復法とは?
「吉宗公御一代記」(小笠原政登まさなり・著)によれば、小姓約90人体制で介護、バリアフリーを先駆け、毎日1Hのマッサージ。右手が動くようになった時、小笠原と泣いて喜んだ。
その後もリハビリに励んだ結果、介抱なしに歩行できるようになった。発病3年で鷹狩り。
家臣たちの献身的な介護、本人の意欲的なリハビリ取り組み。
座右の銘 「苦は楽の種 楽は苦の種と知るべし」
それでも2カ月後には再び「中風」(脳卒中)が襲った。
脳卒中は再発の可能性が高い。それを避けるためには治療(血圧・脂肪摂取・糖尿などの対策)の継続が必要だった。
脳卒中は再発の可能性が高い。それを避けるためには治療(血圧・脂肪摂取・糖尿などの対策)の継続が必要だった。
吉宗は元を質せば高血圧症だったのだろう。
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■ 平清盛(伊勢平氏の出自。1118-1181/2/4、享年64)
☆ 清盛を襲った謎の病 "あつち死"の正体?
平氏の棟梁・平清盛は、源氏の棟梁・源義朝と同盟関係を組んで、崇徳上皇 X 後白河天皇の「保元の乱」で後白河を勝利に導いた。
次に、逆賊となってしまった義朝を「平治の乱」で討伐した。
次に、逆賊となってしまった義朝を「平治の乱」で討伐した。
朝廷の軍事力・警察力を掌握したばかりでなく、藤原氏の悪政を真似て、天皇も摂政・関白も掌握し摂関政治。対中国(日宋)貿易で巨万の富を得た。
「平氏にあらずんば人にあらず」と源頼朝など反対勢力を刺激、「驕(おご)れる者も久しからず」と挙兵を誘導してしまった。
病が清盛を襲った。
「玉葉」(九条兼実のブログ)によれば、「頭風」(ずふう、激しい頭痛)を患う。数日後に悶絶死。
「平家物語」(著者は法然の門下・親鸞の高弟の西仏か??)によれば、水さえ口にできずチョー高熱に侵された。「悶絶辟地(もんぜつびゃくじ)して ついにあつち死ぞし給ひける」
★ 鑑定ポイント② "あつち死"の正体とは?
悶え苦しんで飛び回って死ぬ。可能性としてはインフルエンザor脳出血orマラリア原虫感染症。
数日間、生きていたので、「髄膜炎」(ずいまくえん)が有力。
中耳炎や副鼻腔炎からバイ菌が脳に達する。現代では抗生物質により治ることが可能。
中耳炎や副鼻腔炎からバイ菌が脳に達する。現代では抗生物質により治ることが可能。
4年後に壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡した。「猛(たけ)き者もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」
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■ 足利尊氏(清和源氏の出自。1305/7/27-1358/4/30、享年54)
☆ 悩ませた精神疾患とは?
二度も謀反を起こして天下を取ったことから、史上最大の逆賊とも呼ばれた。
後醍醐天皇が鎌倉幕府(清和源氏)の北条執権政治(桓武平氏)に対して挙兵。尊氏は幕府御家人として参戦し鎮圧。
天皇の二度目の挙兵に対し、突如、天皇方に寝返った。
清和源氏再興のため京都・六波羅探題を攻めて第14代執権・北条高時は自刃。
清和源氏再興のため京都・六波羅探題を攻めて第14代執権・北条高時は自刃。
後醍醐天皇による「建武の新政」。
望んでいた征夷大将軍には成れず、鎌倉幕府の領地も皇族に回ったため不満が募って行った。
望んでいた征夷大将軍には成れず、鎌倉幕府の領地も皇族に回ったため不満が募って行った。
諸国豪族の不平による挙兵に乗じ、二度目の謀反。天皇を比叡山に追放。
念願の征夷大将軍就任、室町幕府を開いた。
念願の征夷大将軍就任、室町幕府を開いた。
★ 鑑定ポイント③ 謀反と精神疾患の関係は?
「双極性障害」(いわゆる躁鬱病)ではなかったか?
「梅松論」(著者は、尊氏の側近説や夢窓疎石に近い僧侶という説などがある)によれば、
合戦では心が強く死を恐れる様子が全く無いが、朝敵となったことを酷く悔やんでいた。弟に政務を任せ寺に籠ってしまった。
毎年の書き初めには、「天下の政道 私あるべからず 生前の根源 早く切断すべし」。天下を狙って二度も謀反を起こしながら、私は早く死んだ方がいいと。
エピソード 気前が良く親しみやすい性格の反面、面倒なことが起こると一転して、身内に対しても突き放す二面性があった。
躁と鬱を周期的に繰り返す、「双極性障害」の典型的症例。
大胆に謀反を起こした時は極度の躁状態だった。
大胆に謀反を起こした時は極度の躁状態だった。
「愚管記」(近衛道嗣・著)によれば、54歳時、右の背中に「膺」(よう、急性化膿性炎症)ができ、発病から半年で「敗血症」のため死去。
「糖尿病」が背景にあったのではないか。そのため重症化(血液中にバイ菌が侵入)したのだろう。
最近、糖尿病に成り易いゲノムの人は、「双極性障害」にも成り易いというのが分かって来た。
「風雅和歌集」に遺した尊氏の和歌 「いそじまで まよひきにける はかなさよ ただかりそめの 草のいほりを」
常に迷いながら生きて来た人生だった。天下を取っても尚、不安と虚しさが渦巻いていたのかもしれない。
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■ 武田信玄(甲斐源氏の出自、1521/11/3-1573/4/12、享年53)
☆ 甲斐の虎、実は神経質?
生涯戦歴51勝12敗18分と、戦いでは殆ど負け知らず。領土を急速拡大し、
いよいよ最大のライバル織田信長との対決の矢先、病に倒れそのまま死去。
★ 鑑定ポイント④ 天下取りの夢を奪った意外な死因とは?
晩年、「吐血」を繰り返していたことから、長く結核だったとされて来たが、周囲への感染も全く見られなかった。
ストレスによる「胃潰瘍」(いかいよう)だったと思われる。
武田家の軍学書「甲陽軍鑑」によれば、「かく」(掻、体内にある汚いもの好ましくないものを外に出すの意)と書かれている。
真面目で非常に行儀が良く、細かい事に気を配り過ぎるので、もっとのんびりした方がいいのでは? とも。
ストレス要因としては、先ず後継者問題。
嫡男・義信は幽閉・自害。次男・竜芳は目が不自由。三男・信之は早死。
嫡男・義信は幽閉・自害。次男・竜芳は目が不自由。三男・信之は早死。
四男・勝頼に已むなく家督相続したが能力を認めず。
遺言に「嫡子(孫)・信勝が十六に成ったら継がせよ。勝頼はそれまでの陣代(後見)」と。
遺言に「嫡子(孫)・信勝が十六に成ったら継がせよ。勝頼はそれまでの陣代(後見)」と。
ストレス解消法に、温泉「信玄の隠し湯」。水洗トイレ&リラクゼーションルーム。言わずと知れた信玄が創作した陣中食「ほうとう」(餺飥)。
1572/5/13、死に至らしめた最大のストレスとは、
室町幕府第15代将軍・足利義昭から織田信長討伐の御内書が届き、天下取りの好機到来。
室町幕府第15代将軍・足利義昭から織田信長討伐の御内書が届き、天下取りの好機到来。
三方ケ原の戦いで徳川家康に圧勝。同盟を組んでいた朝倉義景が寝返ったため信長包囲網作戦が崩れた。
信長を討てなかった脱力感から、「胃潰瘍」が悪化し大出血しそのまま急死した。
◇ ==今回のテーマ外==
■ 織田信長
高血圧症で、本能寺の変がなくても後3年の命だった。
■ 豊臣秀吉
脚気。
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