10/6(火)、西武池袋線・中村橋の練馬区立美術館を初訪問。

私にとって練馬区は、23区の中で、板橋区・杉並区とともに訪問頻度の最下位3区の1つ。
小旅行気分で向かった。


開館30周年記念第3弾
「アルフレッド・シスレー展 ~印象派、空と水辺の風景画家」


会期: 9/20(日)~11/15(日)

会場: 練馬区立美術館(練馬区貫井1-36-16)西武池袋線中村橋駅で下車、徒歩3分。

・・・(財)練馬区文化振興協会が運営母体となって1985年10月に開館、
1Fは練馬区立貫井図書館、2~3Fが美術館。
美術館の手前に「練馬区立美術の森緑地」と言う公園がある。


【展示内容】


□ 第1章


日本国内に所蔵されているシスレーの風景画20点を中心にシスレーの画業を紹介し、
印象主義的作風が顕著になる1870年代から、モレ=シュル=ロワンの最晩年1890年代までを追う。


[日本にあるシスレー作品] 32点のうち、20点(展示番号01~20)を集結し展示。


   《森へ行く女たち》1866年、ブリヂストン美術館

01《マントからショワジ=ル=ロワへの道》1872年、吉野石膏美術振興財団・蔵(山形美術館に寄託)


02《ルーヴシエンヌの一隅》1872年、三菱一号館美術館寄託


03《ルーヴシエンヌの風景》1873年、国立西洋美術館

   《マルリーの水飼い鳥》1873年、ポーラ美術館

04《牧草の牛、ルーヴシエンヌ》1874年、東京富士美術館


05《塔》1875年頃、姫路市立美術館

   《舟遊び》1877年、島根県立美術館

06《サン=クルー近くのセーヌ川、増水》1879年、上原近代美術館


07《マルリーの通り》1879年、大原美術館


   《セーヴル磁器工場》1879年、マスプロ美術館


   《セーヴルの跨線橋》1879年、ポーラ美術館

08《ヒースの原》1880年、個人


    《村への道》1880年、京都国立近代美術館寄託

    《秋風景》1880年、上原近代美術館

09《サン=マメスのロワン河畔の風景》1881年、鹿児島市立美術館


    《ヴヌー・ナドンの冬》1881年、村内美術館

10《サン=マメスの平原、2月》1881年、サントリー美術館

11《森のはずれ、6月》1884年、サントリーコレクション


12《サン=マメス6月の朝》1884年、ブリヂストン美術館


13《サン=マメス》1885年、ひろしま美術館


14《サン=マメスのロワン河》1885年、ポーラ美術館


    《サン=マメスのロワン運河》1885年、ヤマザキマザック美術館

15《麦畑から見たモレ》1886年、松岡美術館


    《モレのポプラ並木》1888年、山形美術館寄託(吉野石膏コレクション)

16《葦の川辺─夕日》1890年、茨城県近代美術館


17《ロワン河畔、朝》1891年、ポーラ美術館

   《積み藁》1895年、諸橋近代美術館

   《レディース・コーヴ、ウェールズ》1897年、ブリヂストン美術館

18《レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ》1897年、東京富士美術館 

   《レディース・コーヴ、ヘースティングス》1897年、東京富士美術館

19《鵞鳥のいる河畔》1897年、カラー・リトグラフ、横浜美術館


20《風景(ロワン河畔の荷車)》1899年、エッチング、横浜美術館


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□ 第2章


シスレーが描き続けたセーヌ川とその支流を巡る情景が、実は19世紀の近代化、つまりテクノロジーによって河川の姿が変貌を遂げたことにより成立したという視点から、描かれたセーヌ川について検証する。

その都市に暮らす人々と密接な関わりを持つ荒川の資料。


   井上安治《東京名所図》版画20点、練馬区立美術館


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□ 第3章


シスレーによって確立された印象主義の風景画のスタイルが、日本の画家にも影響を与えていることに注目し、具体的な作品を通して、その影響関係について考察する。
フランスに渡りモレなどを巡礼した、正宗得三郎、中村研一、中村彝、鈴木良三などの作品を展示。
シスレーの画業を油彩画や資料など総数約50点から、「テクノロジーと描かれた河川」そして「シスレーの日本における影響」という、これまでにない新しい2つの視点を踏まえ見つめる。


[シスレーの地を訪ねた日本人画家]


23中村彝(つね)《ルノアール「風景」の模写》1920年、神奈川県立近代美術館寄託

参考出品 中村彝《シスレー「風景」の模写》1973年、個人

・・・1920年には今村繁三邸でルノワールの作品を実見し、また院展の特別展示でルノワールやロダンの作品を見て強い感銘を受けた。中村彝の代表作とされるエロシェンコ像はこの年に制作されたもので、ルノワールの影響が感じられる。


24正宗得三郎《モレーの冬》1922年、東京国立近代美術館

・・・1914-16年、21-24年にかけてヨーロッパに渡り本場の西洋絵画を学ぶ。この時アンリ・マティスにも学んだ。


25中村研一《フランス風景》1923年、小金井市立はけの森美術館

26中村研一《モレー風景》1923-28年、目黒区立美術館

・・・1923年、パリに留学する。ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けている。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。1928年に帰国し、滞欧作裸体が第9回帝展で特選を受賞。1929年、若き日が第10回帝展で特選を連続受賞。


27鈴木良三《クラマール寺院》1931年、目黒区美術館

28鈴木良三《モレーの寺院》1931年、目黒区美術館

29鈴木良三《モレーの水辺》1931年、目黒区美術館

参考出品 
鈴木良三《江古田風景》1922年、練馬区立美術館

・・・1917年、中村彝に師事。 国立美術館所蔵の従軍画家としての作品でも知られている。海景を描くことをライフワークとして画道を追求した。


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【シスレーの年譜】


アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley, 1839/10/30~99/1/29、59歳)


1839年、フランス・パリ在住。絹を扱うイギリス人の父ウィリアム・シスレーは絹を扱う貿易商、母は音楽に精通---という裕福な家庭に生まれ恵まれた少年時代を過ごした。
57年(18歳)、父親により商いを学ばせて後を継がせるため、故郷ロンドンへと送り出される。
このロンドンでの4年間に、ロンドンの美術館に入り浸りウィリアム・ターナーやジョン・コンスタブル、リチャード・ボニントンをはじめとするイギリスを代表する巨匠たちの傑作に触れたことで、シスレーは画家になる決意をする。

61年、パリへ戻る。
62年、エコール・デ・ボザールに入学、さらにマルク=シャルル=ガブリエル・グレールのアトリエ(画塾)で絵を学び、その生涯の友であり、やがて共に印象派を成立させる仲間たち、モネ、ルノワール、バジールらと出会う。
63年、グレールのアトリエを去った後、復活祭の祝日にはフォンテンブローの森に写生。ルノワールととくに仲良く友情は生涯続いた。グレールの画塾を去った後、フォンテーヌブローの森の外れなどへと出向き、
いよいよ風景画家としての本格的な制作活動をスタートさせた。
64年、シャルル=グレールがエコール・デ・ボザールを退官したため、のちに印象派となるメンバーと共にシスレーもエコール・デ・ボザールを退学。

66年、モデルをしていたウジェニー・レクーゼク(マリー・レクーゼク)と結婚。1867年に息子ピエールが、69年には娘ジャンヌ・アデルが生まれた。
住まいの近くには「カフェ・ゲルボア」があり、常連だったバティニョール派のカミーユ・ピサロ、ポール・セザンヌ、アルマン・ギヨマンなどアカデミー・シュイスの画家たちとも親しくなった。
「カフェ・ゲルボア」は、バティニョール通りのマネのアトリエの近所にあり、60年代、マネは仲間のアンリ・ファンタン=ラトゥールやブラックモンとよくこのカフェに屯(たむろ)していた。
カフェ・ゲルボアに集まったり、マネのアトリエに出入りしていた画家たちは「バティニョール派」と呼ばれるようになり、そしてバティニョール派の画家たちは、のちに印象派となって行く。
初めて風景画がサロンに入選したが、評価は芳しくはなかった。
68年、70年、サロンに入選。

シスレーは、サロンのサインの欄には「コローの弟子」と書いている程、絵のスタイルからコローの影響が強く窺(うかが)える。

70年、普仏戦争とパリ・コミューンによって実家が破産、どん底の生活を強いられた。絵は全く売れず。
71年、パリを離れルーヴシエンヌへ向かう。パリから西に25kmに位置するセーヌ川下流域のルーヴシエンヌ近くのヴォワザンへ引っ越し疎開。

私は、《ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの風景》(1872年)・・・ 国立新美術館「大エルミタージュ美術館展」(2012/05/24)で鑑賞した。

このルーヴシエンヌ時代には、《ポール=マルリの洪水》(1876、オルセー美術館)などシスレーの代表作とされる作品が多く描かれている。
その後、マルリ=ル=ロワやセーヴル、モレなど、パリ郊外を転々としながら各地の風景を描き続けた。アルジャントゥイユ(モネ・ルノワールと)、ブージヴァル、ポール=マルリなど各地を転々
74年、マルリ=ル=ロワに移住。
76年、死後に最高値を付けた《ポール=マルリの洪水》を描く。
第1回印象派展に出品。シスレーは印象派展に#2#3#7の計4回出品。
印象派の集まりにはほとんど興味がなく生活苦でそれどころではなかったのかも。

私は、《洪水のなかの小船、ポール=マルリー》 1876年、 《ルーヴシエンヌの雪》 1878年・・・国立新美術館「オルセー美術館展」(2014/10/10)で鑑賞し、《舟遊び》1877年・・・国立新美術館「クレラー=ミュラー美術館」展(2013/11/01)で鑑賞した。

80年、パリから遠く離れたセーヌ川とその支流ロワン川との合流点付近の「川の情景」を多く描くようになる。とりわけ、サン=マメスでは多くの作品を描く。

私は、《ビ付近のセーヌ川堤》1880~81年頃、《籠のリンゴとブドウ》1880~81年頃・・・三菱一号館美術館「奇跡のクラーク・コレクション」展(2013/02/20)で鑑賞した。 

81年、ジャン=バティスト・フォールの招きで短期間イギリスに滞在。
83年、画商デュラン・ルーエが個展を開催してくれたが不評。

私は、《サン・マメス、朝》(1881年)、《サン=マメスの曇りの日》(1883年)・・・森アーツセンターギャラリー「ボストン美術館展」(2010/04/20)で鑑賞した。

89年、パリ近郊の村モレ=シュル=ロワンに移住。モレの教会や橋の連作。

私は、《モレの橋》(1893年)・・・国立新美術館「オルセー美術館展」(2010/06/03)で鑑賞した。

97年、ウジェニーとイギリス訪問し、カーディフで婚姻届を提出して夫婦となる。
99年、没するまでモレ=シュル=ロアンに留まった。癌のため死去した。妻が癌で亡くなった数カ月後のこと。


 シスレーは終始一貫、印象派画法を保ち続け、もっとも典型的な印象派。生きている間に日の目を見なかったただ一人の印象派の画家と言える。
アンリ・マティスがカミーユ・ピサロに会った際、マティスが「典型的な印象派の画家は誰か?」と尋ねると、ピサロは「シスレーだ」と答えたと言う。

1900年、《ポート・マルリの洪水》(1876年、オルセー美術館などに収蔵)が競売で最高値をつける。
この絵の素晴らしさは、非日常的な構図にある。左手の建物は前から奥へと続くが、右手は水面と林と空という解放された空間が広がっている。この左右アンバランスな構図が作品に新鮮味と非日常性、非現実感を与えている。





鑑賞後、「美術の森緑地」公園を撮影した。




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この街は、よく整いよく清掃されているなあと感じた。

中村橋駅前の花壇に、紅色と桃色のペンタスが鮮やか。








池袋で下車し、西武池袋本店の9F屋上庭園に寄る。

===続く===


今日のウォーキング6,500歩。爽やかな秋日和だった。