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約40年のサラリーマン生活にとって必需品だった、ハンカチ。


▽ お馴染みの「ビジネスマン忘れ物防止法(持ち物チェックリスト)」に、
「ハトガ マメクッテ パー」クリックすると新しいウィンドウで開きます があった。

・・・ハンカチを筆頭に時計・カバン・万年筆・メガネ・クシ・手帳・パス(定期券)だった。


▽ 私は、サラリーマン終盤の携帯電話が普及した1990年代後半、そのチェックリストのバージョンアップを真面目に考えたことがある。

「ハトメガ マメクッテテ タラコザケ」クリックすると新しいウィンドウで開きますクリックすると新しいウィンドウで開きます

・・・ハンカチ、時計、名刺入れ、カギ(家と会社机のキーホルダー)、万年筆(シャープ・ボール兼用ペン)、メガネ、クシ、定期券入れ(SUICA)、手帳、タバコ、ライター、小銭入れ、サイフ、携帯電話。
ああ、アイテムの多さよ。



▽ 定年後の現在は、お出掛けしても持ち物が激減した。

ハンカチ、カギ、メガネ、SUICA、携帯電話(時計・万歩計兼用)。
チェックリストも不要な位に少なくなったものだ。



それでも筆頭の地位に君臨し続けたハンカチーフ(handkerchief)。






その出自はどんなだったのだろうかと、調べてみた。


▽ ハンカチーフの起源は、紀元前3000年頃の古代エジプト文明。ダジュール王女の墓から発見された麻布の端切れ。
紀元前700年頃のペルシャでも、ハンカチーフは高貴さの象徴として使われ、最高級の絹に刺繍飾りを施し、王族だけが持つことを許された。
紀元後166年、ローマのアウレリウス皇帝が麻の小さいハンカチーフを皇帝行為の印(しるし)としてローマ市民に分け与えた。


▽ 中世ヨーロッパでは、ハンカチーフは各地で婚約の印となった。現代の婚約指輪のような役割となった。
貴族たちは、円形や長方形など様々な形状の刺繍や豪華な飾りで贅(ぜい)を競う持ち物となり、
フランスのルイ16世王妃マリー・アントワネットが正方形を規格として統一させ、そのまま現代に至っている。

ルネッサンスの時代、1540年頃にポケットチーフの使用がイタリア・ベニスで始まり、まもなくヨーロッパ中に広まった。



*


それでは、日本はどうだったのだろうか。


江戸時代前後から庶民に普及して来たのは木綿の手拭(てぬぐ)い。
江戸文化の華の一つと言える。


▽ そこにハンカチーフが流入したのは、あの洋装が導入された明治・鹿鳴館時代(1883~87年)の文明開化。
ハンケチーフと呼びハンケチと略した。


徳冨蘆花の「不如帰」(ホトトギス、1899年)

・・・「武男は靴くつばきのままごろりと横になり、浪子なみこは麻裏草履あさうらを脱ぎ桃紅色ときいろのハンケチにて二つ三つ膝ひざのあたりをはらいながらふわりとすわりて、」
「武男はしいて浪子を押しとめ、ハンケチ包みの蕨を草の上にさし置き、急ぎ足に坂を下りて見えずなりぬ。」
「狂せるごとく、浪子は窓の外にのび上がりて、手に持てるすみれ色のハンケチを投げつけつ。」
「列車は五間(けん)過ぎ―― 十間過ぎぬ。落つばかりのび上がりて、ふりかえりたる浪子は、武男が狂えるごとくかのハンケチを振りて、何か呼べるを見つ。」


同時期に入って来たタオルとともに、その後、利用は伸びて行った。


▽ 太平洋戦争後は、歌謡曲や映画においてロマンを表現する小道具として、不動の役割を果たして来た。


歌「高原列車は行く」(岡本敦郎、1954年)
・・・「汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束なげる」
歌「赤いハンカチ」(石原裕次郎、1962年)
・・・「アカシヤの 花の下で あの娘がそっと 瞼を拭いた 赤いハンカチよ」
歌「木綿のハンカチーフ」(太田裕美、1976年)
・・・「ぼくはぼくは帰れない あなた最後のわがまま 贈り物をねだるわ ねえ涙拭く 木綿のハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい」

そして極め付けの映画「幸福の黄色いハンカチ」(高倉健・倍賞千恵子、1977年)。



近年では、2006年夏の甲子園優勝校・早稲田実業のエース・斎藤佑樹投手(現・日本ハムファイターズ)が、
青いタオルハンカチで汗を拭くことから、「ハンカチ王子」と呼ばれ青いハンカチが全国でブームとなったのは、記憶に新しい。