NHK-G 8/12(水)22:00~23:00

5月に放送して好評だった「ブラタモリ 鎌倉の観光」
私のブログ
「ブラタモリ」#5「鎌倉その1」(2015/5/9放送) #6「鎌倉その2」(5/23放送)


その未公開シーンを交えた60分・拡大版
#6「鎌倉その2」(5/23放送) + の追加。


ディレクター: 浜崎智史
プロデューサー: 石原謙一郎

出演: タモリ、桑子真帆アナ

ナレーター: 草彅剛(SMAP)




年間2300万人を超える観光客が訪れる鎌倉。
そのルーツとなった江戸時代の地図を手に、鎌倉大仏などおなじみの名所旧跡を江戸の旅人の目線でタモリさんが追体験。
さらに、明治以降の観光に大きく貢献した「江ノ電」にもタモリさんならではの角度で迫る。
江ノ電の社員でもほとんど乗ったことがないという幻の車両「タンコロ」にも乗車!
鎌倉が観光都市になった理由を解き明かす。





■ タモテバコの旅のお題 「鎌倉が観光で発展し続ける理由は?」


この番組では、観光はあんまり(直接)関係ないんだけれど、珍しく行くのかな、今日は?
ということで今日は、人気観光都市としての鎌倉に注目。

ここで、長谷寺主任学芸員の三浦浩樹さんが登場した。宝物館で江戸時代の鎌倉を研究している人物。


鎌倉が観光地になって行く切っ掛けになった風景が、江ノ島だった。

歌川広重「相州江之嶋弁才天開帳参詣群集之図」(太田記念美術館・蔵)。
歌川広重「相州江のしま詣の図七里が濱真景」(藤沢市)。
砂浜が白黒なのは、砂鉄だらけだから。夏場はかなり熱くて歩きづらい。
江戸時代、江ノ島参詣の帰りに、七里ケ浜で富士山と江ノ島の絶景~極楽寺切通し~長谷寺・高徳院大仏~鶴岡八幡宮。


江戸時代に、お茶屋「ばばあ茶屋」だった高橋雅博さん宅を訪問。「鎌倉七里濱海上之眞景」を刷っていた版木(観光マップ)が残っていた。
それから「江島道見取絵図」(東京国立博物館・蔵)。
この江戸時代の絵図を手に、「高徳院」の「鎌倉大仏」(国宝、長谷4-2-28)などお馴染みの名所旧跡を当時の旅人の目線で追体験。



最大の難所・極楽寺切通し

七つの切通し [極楽寺・大仏・化粧坂(けわいざか)・亀ケ谷坂・巨福呂坂(こぶくろざか)・朝夷奈(あさいな)・名越] の一つ。特に極楽寺切通しは、江戸時代には急坂だった痕跡? を発見。
イザ! 鎌倉!! いざ! キャバクラ!!とはタモリさんのオジンギャグ。
老舗「力餅家」(安齋正好さん、坂の下18-18)・・・江戸時代創業の名物茶屋として旅人を持て成した。餡子(あんこ)の力餅を初グルメ。その前に石碑「はせくわん音(長谷観音)への道」


「長谷寺」(長谷3-11-2)、「高徳院」(長谷4-2-28)

タモリさんが大仏と初対面。正式名称は「銅造阿弥陀如来坐像」(鎌倉の仏像では唯一の国宝)。野晒(のざら)しではなかった。震災(1498年の明応地震津波)で倒壊。台座の蓮弁を一部復活寄進する試みもあったが高価。徳川光圀公(水戸藩第二代藩主)は、諸国漫遊したように描かれているが、生涯の中で1674年に鎌倉だけは巡り、「新編鎌倉志」を編纂した。


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「江ノ島電鉄」(本社は藤沢市片瀬海岸1-8-16)
「江ノ島駅」は片瀬海岸1-4-7、鎌倉駅は御成町1-12。江ノ電は、藤沢駅~鎌倉駅10.0kmを結ぶ。年間乗客数1,600万人、その過半数が観光客。
ここで江ノ電ファンクラブ初代会長: 野口雅章さんが登場。1902年(明治35年)に路面電車(道路との併用軌道)として開業。龍口寺を通り過ぎ、今も併用軌道が残っている地域で電車鑑賞。遠慮がちで人柄が良さそうに見える。鎌倉の街では、「江ノ電が居る」と擬人化して表現する人が多い。
店舗の屋根にパンタグラフ発見 ! 江ノ電最中の和菓子司「扇屋」(杉並善久・夏子さん、片瀬海岸1-6-7)。店頭に古いマスターコントローラー(マスコン)も発見。家の中の車両に案内される。要するに家全体が電車博物館になっている。東急玉川線600形を江ノ電が譲り受けて1970~1990年に運航していた型式の651号車。 ここで、元運転士: 金子利親さんが登場。特に併用軌道は一番気を使う地点。スレ違いでは観光バスがバックしてくれず、瀧口寺まで電車をバックさせたと言う。


愈々(いよいよ)、タモリさんは40年振りに乗車。海岸の絶景ポイントの「鎌倉高校前駅」下車~国際観光スポットとなった「日坂」(にっさか)。

実は乗客数が伸び悩んだ昭和30年代後半(1960~64年)以降から廃止計画が浮上した。息を吹き返す切っ掛け、江ノ電ブームの火付け役となったのが、テレビドラマ「俺たちの朝」(1976~77年)。その後も今日に至るまで、しばしばトレンディードラマの舞台になっている。海沿いに歩く。


電車マニア必見の場所とは?
単線で擦れ違うだけの場所「信号所」(信号場)では、
発条転轍機(はつじょうてんてつき、スプリングポイント)と呼ばれる分岐器が設けられており、通常は定位に固定されているが、反位(反対側)から擦れ違う電車が進入しその台車が通ってレールを押し開けると、ポイントが本線方向に変わり、最後の台車が過ぎた後に一呼吸して分岐方向に自動的に戻る仕組み。



「七里ケ浜駅」から「極楽寺駅」へと移動。
難所の「極楽寺隧道(ずいどう、トンネル)」は、長さ200mの人力手掘りで完成まで半年(1906/6-07/2)掛かった。トンネルを出ると急カーブがあって旧鎌倉市内の長谷方面。江ノ電とアジサイの絶景ポイント。

謎の急カーブの理由とは?
.直線コースには鎌倉七福神の一つ福禄寿を祀った「御霊神社(鎌倉権五郎神社」があった。


江ノ電とっておきの宝とは?
明治以降の観光に大きく貢献した江ノ電も、タモリさんならではの角度で迫る。ここで、事業部主任: 飯田敦史さん、極楽寺検車区長: 辻村智光さんが登場。幻の車両「タンコロ」にも乗車 !江ノ電106形・・・1931年に誕生し、80年に引退するまで半世紀に亘って鎌倉の街を走り続けた。1両車の単車だったことから「タンコロ」と呼ばれるようになり親しまれて来た。
検車区倉庫に1両のみ108号車が動態保存されていた。手動式ドア、本当の網棚、2ハンドル式の大型マスコン [東洋電機製造 DICK KERR SYSTEM (デッカーシステム) TYPE.DB1 FORM.K ]。関係者以外で初めて、タモリさんが構内での運転席に陪席した。プッ、カッ、トゥスッ、パッ、スイッチ入ったって感じだ。今のは分かんない。ウ~ウ~。カッ、パッ、シューッ、いつまでも音に大興奮。自慢できます。しかもちゃんと放送される。
1982年、鎌倉市に寄贈されて鎌倉海浜公園由比ガ浜地区の多目的広場(通称: 深沢スポーツ広場、由比ガ浜4-7-1)にも1両107号車が静態展示されている。