昨晩、世界水泳を観る前に、

BS-TBS 「林修・世界の名著 ~夏目漱石『こころ』を語る」を観た。

8/6(木)23:00~23:30、【再放送】8/13(木)23:00~23:30

【ゲスト】は、漱石「こころ」をこよなく愛する、
東京大学名誉教授・姜尚中(かん・さんじゅん)氏だった。


友情とエゴのぶつかり合い。
実は、幼少期の不遇というトラウマが潜む漱石は、現代人は孤独と隣り合わせだと考えていた。
村などの共同体が社会の規範となっていた時代は、自分よりも社会の方が大切だった。
しかし現代では、最も大切なのは自分。自意識や自我という城が強固であればある程、他人を信じ、受け入れ、自分を相手に投げ出すことができなくなる。

漱石はその有様を、「先生」や「K」の孤独として表現した。
裏切られ、また裏切ってしまった「先生」は、他人のエゴと自分のエゴの醜さを痛感し、人間を信じることができなくなっていた。
「先生」は自意識が高いため、ひとりで悩みを抱え込み、他人に胸襟を開くことができなかった。

実は孤独は、漱石が生涯をかけて追ったテーマだった。
漱石は、文明や科学の発展が人間の孤独を加速させると考えていた。
漱石の英国留学中の経験から、自由と独立を標榜する個人主義の落とし穴を知った。
「こころ」が書かれた当時、日本は日露戦争に勝利して近代化が一段落し、それは同時に、社会の目標がなくなったことを意味していた。
「私」は郷里の実家の存続や自分の出世に関心がなかった。それよりももっと自分を大切にする生き方をしたいと願っていた。

「K」は他人に関心を示さないタイプ。それは他人と距離をおくことで孤独から目を反らしているだけだった。
しかしお嬢さんを先生に奪われた時、Kは初めて自らの孤独に気づき自殺した。自我という城が崩れた時の敗北感と孤独があった。
あなたを信じて良いのかという先生の魂の叫びがあった。


姜氏は、評論「悩む力」・・・集英社新書2008年5月ばかりか、
本作のオマージュ小説「心」・・・集英社・単行本2013年4月まで書き下ろす心酔さ。




*


漱石「こゝろ」は人気があるため、

1914年4~8月に朝日新聞に連載されてから丁度100年を迎えた、
昨年2014年9月10日にも、NHK-BSプレミアム・スペシャル「漱石『こころ』100年の秘密」が放送された。


更に、前年2013年4月3日~4月24日、NHK-E 「100分de名著 ~夏目漱石『こゝろ』」も既に放送されていた。
そこにも【ゲスト講師】として姜氏が出演。
彼のNHKテレビテキスト2013年4月号・・・NHK出版 (2013/3/25刊)。

自由と孤独に生きる“現代人の自意識”を描いた、不朽の名作。










私自身は、学生時代には目を通したと思うが印象に薄い。
当時は、文学も芸術もヨーロッパ被れで、カミュ「異邦人」やサルトル「嘔吐」、難解なところでドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」に心酔していた頃だ。


そこで、今一度、青空文庫の「こゝろ」を読んでみた。


【関連年表】

1911年
2月、文部省文学博士号授与を辞退。
8月、関西での講演直後に胃潰瘍が再発し大阪胃腸病院に緊急入院。東京に戻ると今度は痔に罹り通院。
11月29日、五女・雛子、原因不明の突然死。後の漱石の遺体解剖の遠因となる。
1912年
9月、痔の再手術。
12月、病気のため「行人」執筆中断。
1913年
1月、神経衰弱(ノイローゼ)が再発。
3月、胃潰瘍も再発し自宅療養。
1914年
4月、「こゝろ」の朝日新聞連載開始(~8月)。
9月、4度目の胃潰瘍。エゴイズムを追求したと言われる"後期三部作"の「彼岸過迄」(春陽堂1912年9月刊)・「行人」(大倉書店1914年1月)・「こゝろ」(岩波書店1914年9月刊)の出版。漱石はこれら短編・中編を「心」というタイトルの連作集としたい考えだった。
11月、「私の個人主義」を学習院輔仁会で講演。
1915年
3月、京都へ旅行し5度目の胃潰瘍で倒れる。
6月、「道草」の朝日新聞連載開始(~9月)。
11月、中村是公と湯ケ原に遊ぶ。
12月、芥川龍之介・久米正雄が門下に加わる。今度はリューマチに悩む。
1916年
1月、リューマチ治療のため湯ケ原・中村是公の許に転地療養。
5月、「明暗」の朝日新聞連載(~12月。岩波書店1917年1月刊)。更に糖尿病にも悩む。
12月9日、辰野隆の結婚式に出席した後、大内出血を起こし「明暗」執筆途中に死去(49歳)。
死の翌日、遺体は東大医学部において主治医・長與又郎先生によって解剖され、摘出された脳と胃は寄贈。墓所は豊島区南池袋の雑司ケ谷霊園。


以上のように、晩年(40代)、明治末期~明治天皇崩御~大正初期の漱石は、
小説家として多忙を極める一方で、身体はどんどん蝕まれていた。
命運を意識する中、国家存在を一層、際立たせた天皇崩御と乃木大将夫妻の殉死事件。


森鴎外らと異なって、国家=中央集権=官僚=軍閥などとは一線を画したい、個人主義に惹かれた漱石は、個人の「心」をテーマとした連作に着手する。


彼にとっての心の問題点

▽ 自我・個我とは?
しかし個人主義(
individualism)は、"明治の精神"から見れば利己主義(egoism)としか見られない。

▽ 思慕・愛とは?
友情・友愛(friendship)、性愛(sexual love)など様々な愛は、殖産国家と家父長制度の仁・義・礼の前には押し潰される。

▽ 宗教と科学
神仏と対立する科学も文明も宗教化し、個我を操って行くのか?

本作に登場する「私」も「先生」も「K」も皆、漱石自身が持つ3つの側面(分身)ではなかったか。
「K」 (若き金之助) の内面の軌跡、若さに羨望する「先生」(老い行く漱石)。
二人を客体化する「私」は、葛藤と不安と孤独の中で・・・。


*


姜氏(1950年生まれ)とはほぼ同世代の私たちは、敗戦後の欧米民主主義教育の下、
自我、個人の自由と平等と幸福、自由と責任などを自覚できる世代として育った。

漱石のような大文豪でも極めて窮屈で、"共同幻想体" = 国家・地域・家父長の軋轢(あつれき)。
現に大正~昭和初期には、皇国史観下の殉死は特攻・玉砕へと、国体は戦争へと直(ひた)走った。
彼は心中、予感したのではないか?


戦勝国・米国から授かったとは雖も、平和憲法下(戦争・海外派兵の放棄)で70年間も交戦しない、我々の時代は本当に幸せ、だった。

姜氏の場合は、私たちと違って出自による苦しみがあった。

姜氏も私たちも、安保法案、東北放射能汚染状態を偽ってオリンピックを招致、弱者救済(最低水準引き上げ)の放棄、などを直走る現政権が恐ろしい。