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武蔵野高校1年の2012年にオリンピック代表入りを果たし、"岩崎恭子二世"の呼び声高かった、
渡部香生子さん(18歳、早稲田大1年)が、シンクロの快挙を受けて、
8/3(月)、競泳でメダル第1号となる「200m個人メドレー」日本新(2分8秒45)・銀メダルを獲得した。感動!!
武蔵野高校1年の2012年にオリンピック代表入りを果たし、"岩崎恭子二世"の呼び声高かった、
渡部香生子さん(18歳、早稲田大1年)が、シンクロの快挙を受けて、
8/3(月)、競泳でメダル第1号となる「200m個人メドレー」日本新(2分8秒45)・銀メダルを獲得した。感動!!
金メダルのカティンカ・ホッスー選手(ハンガリー)は、2分6秒12の世界新記録。
断トツの記録だが、このレース1本に絞って満を持した勝利。
断トツの記録だが、このレース1本に絞って満を持した勝利。
一方の渡部さんは、40分前に、100m平泳ぎ準決勝で、やや抑え加減の1分6秒64の5位に入り決勝進出を決めた。
レース運びは驚異的な追い上げ。タフネス。
#1バタフライ(50m)5位、#2背泳ぎ(100m)を泳ぎ終えて最下位の8位。それでも日本新ペース維持。
ここから得意の#3平泳ぎ(150m)で逆襲し一気に4位に急浮上。
最後の#4自由形(200m)で気力を振り絞ってホッスーに食い下がり、2位・日本新でフィニッシュ!!
電光掲示板で確認した渡部さんは、銀色に輝く右手でガッツポーズし、応援席に感謝の手を何度も振る。白い八重歯が零(こぼ)れた。
40分後に200m個人メドレー決勝を控えているため、
「初めて世界選手権の決勝に残ることができた。メダルを取れるチャンス。思い切って楽しみながら泳ぎたい」と、表情を崩すことなく足早に調整へと向かったのである。
前向きな幼気(いたいけ)さを超え、キリリとした大和撫子の後ろ姿が、胸を打った。
「初めて世界選手権の決勝に残ることができた。メダルを取れるチャンス。思い切って楽しみながら泳ぎたい」と、表情を崩すことなく足早に調整へと向かったのである。
前向きな幼気(いたいけ)さを超え、キリリとした大和撫子の後ろ姿が、胸を打った。
レース運びは驚異的な追い上げ。タフネス。
#1バタフライ(50m)5位、#2背泳ぎ(100m)を泳ぎ終えて最下位の8位。それでも日本新ペース維持。
ここから得意の#3平泳ぎ(150m)で逆襲し一気に4位に急浮上。
最後の#4自由形(200m)で気力を振り絞ってホッスーに食い下がり、2位・日本新でフィニッシュ!!
電光掲示板で確認した渡部さんは、銀色に輝く右手でガッツポーズし、応援席に感謝の手を何度も振る。白い八重歯が零(こぼ)れた。
「こんなタイムが出ると思っていなかったし、本当にうれしい。2番を取れると思っていなかった」。込み上げる嬉し涙で声を震わせる。
表彰式を終え胸に輝く銀メダルを首に架け喜びも一入(ひとしお)。
「タイムといい順位といい信じられない部分がある。うれしい。初めて世界水泳で取れたメダル。日本に少しでもいい流れを作りたかった。(竹村コーチにも)感謝している」。
泳いだ直後と違って終始 "カナコ・スマイル" だった。
明日の100m平泳ぎも期待する。
【続報】 1/100秒の差で銅メダルに届かず!!
*
【略歴】
2015年4月、早稲田大学スポーツ科学部のトップアスリート入試(AO方式)に合格。
※
渡部さんは、実は2013年にスランプに陥り、人目も憚(はばか)らずに号泣する日々。
素直に感情を晒(さら)け出す程の大の負けず嫌い。
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「タイムといい順位といい信じられない部分がある。うれしい。初めて世界水泳で取れたメダル。日本に少しでもいい流れを作りたかった。(竹村コーチにも)感謝している」。
泳いだ直後と違って終始 "カナコ・スマイル" だった。
明日の100m平泳ぎも期待する。
【続報】 1/100秒の差で銅メダルに届かず!!
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【略歴】
渡部香生子(わたなべ・かなこ)
1996/11/15東京都葛飾区堀切生まれ。
4歳の頃には病弱だったため、少しでも丈夫になるようと両親がJSS立石ダイワスイミングスクール(葛飾区立石2-31-17)に通わせ始めた。
葛飾区立堀切小学校。
武蔵野中学競技水泳部1年までは個人メドレーをメインにバタフライ・背泳ぎ・自由形などでも競技会に出場。この頃は平泳ぎは苦手だった。
しかし、1年秋に右肩故障により平泳ぎで出場したところ好成績が出たため、以後、平泳ぎの出場機会が増えた。
しかし、1年秋に右肩故障により平泳ぎで出場したところ好成績が出たため、以後、平泳ぎの出場機会が増えた。
そして、2年の2010年全国中学総体で平泳ぎ100m・200mの2種目優勝したのだ。
2012年4月、武蔵野高校1年時、ロンドンオリンピック出場権を賭けた日本水泳選手権に出場、女子200m平泳ぎ決勝で自己ベストタイムをマークして2位となり、オリンピック代表入りを果たした!!。岩崎恭子二世”の呼び声が高まる。渡部さんは「これだけ騒がれて、(オリンピックに)行けなかったら」と不安を漏らし、100mで代表になれず不安的中したが、気持ちを切り替えて200m代表となった。
この時、今はスポーツコメンテーターの岩崎恭子さん(バルセロナオリンピック金メダリスト)は、「普通なら100mの失敗を引きずるのに、土壇場での強さは凄い」と評した。
しかし、2012年ロンドンオリンピックでは、世界の強豪相手に200m平泳ぎ14位に終わった。
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2014年オーストラリアNSWオープンに出場。50m・100m平泳ぎ、200m個人メドレーなど、予選も含めると17レースに出場した。
そして17レース目となった200m個人メドレーでは、疲労をものともせず日本新を樹立した。
日本水泳選手権では100m・200m平泳ぎ、200m個人メドレーの3種目に出場し、全て制覇。ジャパン・オープンの女子100m平泳ぎで日本新の優勝。
パンパシフィック水泳選手権で主要国際大会の初優勝を果たした。
アジア大会の200m平泳ぎで優勝、金2・銀3のメダルを獲得した。
日本水泳選手権では100m・200m平泳ぎ、200m個人メドレーの3種目に出場し、全て制覇。ジャパン・オープンの女子100m平泳ぎで日本新の優勝。
パンパシフィック水泳選手権で主要国際大会の初優勝を果たした。
アジア大会の200m平泳ぎで優勝、金2・銀3のメダルを獲得した。
世界短水路選手権の200m平泳ぎ優勝、400mメドレーリレー3位。
2015年4月、早稲田大学スポーツ科学部のトップアスリート入試(AO方式)に合格。
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渡部さんは、実は2013年にスランプに陥り、人目も憚(はばか)らずに号泣する日々。
素直に感情を晒(さら)け出す程の大の負けず嫌い。
そこで、指導者として、かつての中村真衣選手(2000年シドニー五輪100m背泳ぎ銀メダリスト)を育成した竹村コーチが担当になった。
持ち味だったキックの強さに加え、上半身の強化に努めた。
そして、個人メドレーの#2背泳ぎから#3平泳ぎに移行する際のターンを、通常の縦回転ではなく横回転にすることでタイムロスを減らすことにする。背泳ぎは90度、体が傾くと失格になるためリスクを伴うが、タイムは短縮できる。女子では珍しい高難度「バケットターン」導入の構えをとった。
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