ブログネタ:旅行の思い出 参加中◇
旅行では、思い掛けない出来事に出遭う。
海外の場合は、私の語学力の無さがもたらした出来事が多かった。
国内の場合は、大方、平穏無事に運ぶ場合が多いのだが、時として事件とのニアミスもあった。
これまでの数泊以上の旅行については、ブログを始めた2006年以降に、記憶を辿りながら書き留めている。
⇒ 巻末リスト。
その中から数件、ピックアップして紹介したい。
◇
[サラリーマン海外出張などの思い出]から2件---
☆ 1982年のケベック
ケベックと言えば、カナダ建国当初から今日に至るまで、国のヘゲモニーを握るブリティッシュ系に抗し、独立の意志が事ある毎に見え隠れするフランス系が居住する地域である。実際に滞在してみると州の至る処がフランスであった。
幹部B氏と早朝散歩に出掛けた。その散歩道に、とんでもない落し物がある! 女性特有のナプキン、それも特大だ。ジョギングしていて外れて落ちてしまったのだろうか? それにしても驚嘆サイズ。体格が違い過ぎる。
3日間の会議日程も過ぎ、ケベックシティの最後の夜、民話劇を鑑賞した。フォークダンス、フォークソング、フォークコスチュームの素晴らしかったこと。旅愁も手伝ってウルルンする程だった。
会議終了後の休暇は、幹部A氏のプランで3人は、業界所定のコースに参加せず中年カナダ女性をガイドに雇って彼女の運転する車で、ご推奨コースを回ることになった。
日本に例えると夏を迎えた北海道であり、実に 美しい緑木と花と滝の連続だった。
A氏は、途中の土産として、とても大きな Wood Carving(木彫り画)を購入した。
これを成田空港に着くまで、私が運搬する役目だと。
私は大変困った。
出発前夜のホテルの部屋でHand Carryの準備に取り掛かった。
この時、良妻に感謝した。旅の準備中に妻から「遠出の時だから持ち帰り小物を持って行ったら。」と忍ばせてくれた麻紐・手提げが正しく活きた。
汗かきかきカナディアンウイスキーを飲みながら仕上げた。
日本に例えると夏を迎えた北海道であり、実に 美しい緑木と花と滝の連続だった。
A氏は、途中の土産として、とても大きな Wood Carving(木彫り画)を購入した。
これを成田空港に着くまで、私が運搬する役目だと。
私は大変困った。
出発前夜のホテルの部屋でHand Carryの準備に取り掛かった。
この時、良妻に感謝した。旅の準備中に妻から「遠出の時だから持ち帰り小物を持って行ったら。」と忍ばせてくれた麻紐・手提げが正しく活きた。
汗かきかきカナディアンウイスキーを飲みながら仕上げた。
B氏と空港で別れた後、ダラス経由でヒューストンに一泊し、世界的なコンピュータ・フェアを見学した。
見学後、ヒューストンから最後のサンフランシスコに向かうため、A氏と搭乗手続を取った。
外国の航空会社は、必ず、前夜、Recomfirmationしておく必要があるので、私がまとめて済ませていた。
しかし、安心は裏切られた。
あのパンアメリカンは、Reconfirm関係無く、過剰にOverbookingしていた。我々を含む7,8名があぶれてしまった。
A氏は得意の英語で捲くし立てて交渉に成功し、最後の一人として予備シートかをGetしたのである。
私のこともPartnerだと折衝はしてくれていたものの、彼は「I don't like PANAM !」と捨て台詞し、機内に吸い込まれて行った。
見学後、ヒューストンから最後のサンフランシスコに向かうため、A氏と搭乗手続を取った。
外国の航空会社は、必ず、前夜、Recomfirmationしておく必要があるので、私がまとめて済ませていた。
しかし、安心は裏切られた。
あのパンアメリカンは、Reconfirm関係無く、過剰にOverbookingしていた。我々を含む7,8名があぶれてしまった。
A氏は得意の英語で捲くし立てて交渉に成功し、最後の一人として予備シートかをGetしたのである。
私のこともPartnerだと折衝はしてくれていたものの、彼は「I don't like PANAM !」と捨て台詞し、機内に吸い込まれて行った。
私はパニクった。これは大変困ったことになった。
そこへ、日本語で「もしもし」と後ろから肩を叩く人物がいた。
振り返ると白人であった。彼はフィンランド人で秋葉原にも調査と買い物に来ることもあるという、部品メーカーのManaging Directorの方、欧州では社長に当たる。
PANAMからUnitedのシートを確保したという解決策が出され、社長氏のリードの下にそのゲートへ向かった。
空港は物凄く広い。その代替のゲートは全く反対側だった。彼に励まされ、痺(しび)れる両腕の力を振り絞って着き従った。
サンフランシスコ国際空港(SFO)に到着し彼はレンタカーでシリコンバレーに向かうと言った。
別れる前に空港のバーでビールまでご馳走してくれた。「よく頑張ったね」「何と御礼したら良いか」「日本の事を教えて下さい」。私は一生懸命にペンを走らせながら、時間の許す限り、返礼した。
涙の「See you again, in Tokyo.」の後、SFOにやっと着いたのだった。
会社の現地事務所にとっくにご到着のA氏に電話が繋げた。「心配していたよ。一人でも来れるじゃないか。自信になるね」。
そこへ、日本語で「もしもし」と後ろから肩を叩く人物がいた。
振り返ると白人であった。彼はフィンランド人で秋葉原にも調査と買い物に来ることもあるという、部品メーカーのManaging Directorの方、欧州では社長に当たる。
PANAMからUnitedのシートを確保したという解決策が出され、社長氏のリードの下にそのゲートへ向かった。
空港は物凄く広い。その代替のゲートは全く反対側だった。彼に励まされ、痺(しび)れる両腕の力を振り絞って着き従った。
サンフランシスコ国際空港(SFO)に到着し彼はレンタカーでシリコンバレーに向かうと言った。
別れる前に空港のバーでビールまでご馳走してくれた。「よく頑張ったね」「何と御礼したら良いか」「日本の事を教えて下さい」。私は一生懸命にペンを走らせながら、時間の許す限り、返礼した。
涙の「See you again, in Tokyo.」の後、SFOにやっと着いたのだった。
会社の現地事務所にとっくにご到着のA氏に電話が繋げた。「心配していたよ。一人でも来れるじゃないか。自信になるね」。
戦後、先駆けてボーイング・ジェット旅客機を世界に飛ばし、インターコンチネンタル・ホテルを経営し、日本でも、兼高かおる世界の旅、大相撲のヒョーショージョーで名を轟かせた老舗PANAMは、その3年後の1985年のユナイテッドへの一部営業譲渡、91年経営破綻。
その後、デルタ、アメリカンの各航空会社へその多くを譲渡し、国内便会社となってしまった。
その後、デルタ、アメリカンの各航空会社へその多くを譲渡し、国内便会社となってしまった。
*
☆ 1991年のスイス
☆ 1991年のスイス
私が初めてスイスに出張したのは1991年3月のこと。
国連における電気通信分野の国際標準・電波割り当てという大変重要な機関としてITU(International Telecommunication Union, 国際電気通信連合)があり、本部はスイス・ジュネーヴに置かれている。
この機関の主催で、4年毎に開催される通信分野では世界最大級のフォーラム&フェアが、その年は開催年であり10月に迫っていた。「テレコム91」である。
そこで、いよいよ会期が迫り、後、残すところ半年となって来たため、リーダーのD氏と二人でスイスへ乗り込み、ITUとの対話、会場の下見、フェアサポート要員の宿泊施設予約、等をすることになった。
この機関の主催で、4年毎に開催される通信分野では世界最大級のフォーラム&フェアが、その年は開催年であり10月に迫っていた。「テレコム91」である。
そこで、いよいよ会期が迫り、後、残すところ半年となって来たため、リーダーのD氏と二人でスイスへ乗り込み、ITUとの対話、会場の下見、フェアサポート要員の宿泊施設予約、等をすることになった。
レマン湖の西南端に位置し、フランスに突き出ている地形なので、周囲をフランスに囲まれています。市電で通勤するフランス人労働者が大変多いそう。
アルプスの雪が融(と)けたレマン湖水が、ここジュネーヴから流れ出し、ローヌ川となってフランス・マルセイユで地中海に注ぐ。
我々が訪れた3月下旬は天候に恵まれ、長旅の眼が覚めるような雲一つ無い快晴だった。レマン湖面を滑空しながらコアントラン空港に着陸するまでの心のときめき。
空港から「国連ITU本部」を告げたにも拘わらず、タクシーの運ちゃんは通り過ぎる始末。どうも英語が通じない様子なので、フランス人でしょう。それとも誤魔化した?
ITUの下部組織の事務局を訪れドイツ人の幹部氏と対話した。ところが、彼が何度かお茶を頼んでも事務局の女性二人はおしゃべりしていて、給湯室? から出て来ない。自分達のティーブレイク優先? とうとう痺(しび)れを切らした氏ご自身が、申し訳無さそうに、ティーを入れて来られた。国連の非効率性の一端を垣間見た気分だった。巨額の運営費を負担している米国がいつも批判的なのは理解できた。
アルプスの雪が融(と)けたレマン湖水が、ここジュネーヴから流れ出し、ローヌ川となってフランス・マルセイユで地中海に注ぐ。
我々が訪れた3月下旬は天候に恵まれ、長旅の眼が覚めるような雲一つ無い快晴だった。レマン湖面を滑空しながらコアントラン空港に着陸するまでの心のときめき。
空港から「国連ITU本部」を告げたにも拘わらず、タクシーの運ちゃんは通り過ぎる始末。どうも英語が通じない様子なので、フランス人でしょう。それとも誤魔化した?
ITUの下部組織の事務局を訪れドイツ人の幹部氏と対話した。ところが、彼が何度かお茶を頼んでも事務局の女性二人はおしゃべりしていて、給湯室? から出て来ない。自分達のティーブレイク優先? とうとう痺(しび)れを切らした氏ご自身が、申し訳無さそうに、ティーを入れて来られた。国連の非効率性の一端を垣間見た気分だった。巨額の運営費を負担している米国がいつも批判的なのは理解できた。
ジュネーヴで初めてのランチは、街中の庶民的な所でということになり、旧市街の石畳をかなりの高速で走る路面電車「トラム」に乗って移動し、適当なところでスーパーマーケットの中に在る大衆食堂に入った。
カフェテリア・スタイルだったので、D氏が私の勉強をかねて先に列に並ぶようにと。順番が来るまでにアレとコレにしようと決め、いよいよ私の番が来た。国際都市といえども街中では英語が通じないとは知りつつ、単語位は分かるだろうと指を差してローストチキン&フライドポテト、プリーズと注文した。
ところが、チキン、ビーフの両ミートに、粟(あわ)のような主食の物、更に途轍(とてつ)も無い大量のプライドポテトが大皿に載って出て来たのだ! とても全部は食べられそうに無い程の量。予めパンも選んでいる。ア・リトル・フライドポテトと再び申し出ても全く通じず、食堂のお婆ちゃんの方も迷惑というより分からなくて申し訳無さそうな表情を繰り返すばかり。私も狼狽(ろうばい)している。どうも定食メニューしか無く、一品別の組み合わせはやっていなかった。
私は、結果として、どうも二種類の定食・・・①ローストチキン+フライドポテト+主食、②ローストビーフ+フライドポテト+主食・・・を一度に頼んだことになり、その量の、言わば馬にでも食わせるような多さに苦笑。周りのお客さんもさぞ、"東洋人の大食漢" と思ったに違いない。
午後は、特急に乗ってヴォー州都の上品な街、ローザンヌへ向かった。国際オリンピック委員会IOCの本部が置かれている。
現地に住む日本人女性の通訳さんの案内で、フェアのスタフが会期中、寝泊りするホテルの確認作業。全世界の政府・業界団体、ベンダー各社が、前回「テレコム87」が終了した直後に予約を済ませるような状況。
ローザンヌでの役目を終えたジュネーヴへの帰途、飛び乗った電車が特急や急行でなく普通電車(レギオナルツーク) で、1時間に1本しかない各駅停車。
のんびり構えましょうと、徐(おもむろ)に件(くだん)の沢山残ったポテト・・・かなり臭(にお)って来ていた・・・をバッグから取り出し、二人仲良く半分っこし、ムシャムシャ。ローザンヌ駅を出て間もなく、程近い西の外れにワイン畑とチューリップ祭で知られたモルジュがあり、その隣村がトロシュナ。かのオードリー・ヘプバーンはこの村に眠っている。私が訪れた2年後の1993年1月に亡くなってしまった。
車内でポテトを食っている東洋人二人は、途中で乗って来た女学生にご挨拶した。我々と彼女達、その車両には他に乗客はいない。アルプスの少女ハイジ」や「ハウルの動く城」の雰囲気。
のんびり電車で、退屈を和らげることができ、車窓のスイスの田園風景と旅情に浸(ひた)ったのだった。
現地に住む日本人女性の通訳さんの案内で、フェアのスタフが会期中、寝泊りするホテルの確認作業。全世界の政府・業界団体、ベンダー各社が、前回「テレコム87」が終了した直後に予約を済ませるような状況。
ローザンヌでの役目を終えたジュネーヴへの帰途、飛び乗った電車が特急や急行でなく普通電車(レギオナルツーク) で、1時間に1本しかない各駅停車。
のんびり構えましょうと、徐(おもむろ)に件(くだん)の沢山残ったポテト・・・かなり臭(にお)って来ていた・・・をバッグから取り出し、二人仲良く半分っこし、ムシャムシャ。ローザンヌ駅を出て間もなく、程近い西の外れにワイン畑とチューリップ祭で知られたモルジュがあり、その隣村がトロシュナ。かのオードリー・ヘプバーンはこの村に眠っている。私が訪れた2年後の1993年1月に亡くなってしまった。
車内でポテトを食っている東洋人二人は、途中で乗って来た女学生にご挨拶した。我々と彼女達、その車両には他に乗客はいない。アルプスの少女ハイジ」や「ハウルの動く城」の雰囲気。
のんびり電車で、退屈を和らげることができ、車窓のスイスの田園風景と旅情に浸(ひた)ったのだった。
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[シルバー京都・奈良旅行の思い出]から1件---
[シルバー京都・奈良旅行の思い出]から1件---
☆ 2012年の京都
2012年4月、二泊三日の旅程で、桜の京都を訪ねた。
初日は生憎(あいにく)の雨模様だったが、二日目はカラッと晴れ上がり正に花見日和だった。
初日は生憎(あいにく)の雨模様だったが、二日目はカラッと晴れ上がり正に花見日和だった。
世界遺産登録に含まれる醍醐寺は、桜の宴をするならここだ !と思う程、鮮やかで派手である。
石清水八幡宮に向かう中距離列車・京阪本線沿線の景色が気持ちいい。清和源氏の氏神としての威容を誇り、緑盛る初夏がいいのかもしれないが、桜の花は多くない。
三条大橋から鴨川を眺めていると、上空がヘリコプターで滅多矢鱈に五月蠅(うるさ)い。どうも隣りの四条大橋~祇園・南座の辺りの上空に一機がホバリングし、その周りを三・四機が周回している。桜満開の時季に合わせた警戒かな? イベントのアクロバット飛行でもやるのかな? と暫(しばら)く見上げていたがやってくれない・・・。
市庁舎向かいの本能寺に信長の墓を参った直後、境内を通り掛かった地元のオバアチャンが、息を切らしながら、南座の直ぐ近くで東京の秋葉原のような大変な事件が起きて多数が亡くなられたとのこと。
それで逃走した犯人をヘリで追跡捜索しているのかと尋ねると、犯人も重体で泡を吹いているらしいと分かった。薬物でもやったのだろう⇒後に癲癇(てんかん)症と知る。
もし、余った時間で四条~祇園をブラついていたらとタラレバを思うと、ゾ~~ッとした。
事件・事故の偶然性を夫婦で話しながら、混乱している祇園側でなく先斗町側を四条へ向かう。遂に、四条大橋に到着。川向こうは未だ封鎖のままでパトカー・消防車の傍(そば)で、犠牲者・被害者らしき姿と携行品が散乱した状態。急遽、喫茶店に入り4Fから様子を窺うと、赤いレスキュー隊の消防車が未だ留まっていた。
それで逃走した犯人をヘリで追跡捜索しているのかと尋ねると、犯人も重体で泡を吹いているらしいと分かった。薬物でもやったのだろう⇒後に癲癇(てんかん)症と知る。
もし、余った時間で四条~祇園をブラついていたらとタラレバを思うと、ゾ~~ッとした。
事件・事故の偶然性を夫婦で話しながら、混乱している祇園側でなく先斗町側を四条へ向かう。遂に、四条大橋に到着。川向こうは未だ封鎖のままでパトカー・消防車の傍(そば)で、犠牲者・被害者らしき姿と携行品が散乱した状態。急遽、喫茶店に入り4Fから様子を窺うと、赤いレスキュー隊の消防車が未だ留まっていた。
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【私のブログ】
[学生時代の修学旅行などの思い出]
■ 1961年 東京・神奈川、1964年 広島・山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・大分
思い出の修学旅行(2012/09/29記)
■ 1966年8月 滋賀・大阪・兵庫・香川・愛媛・山口・島根・鳥取
大学浪人生の旅(2007/01/03記)
■ 1970年8月 東京・神奈川・静岡・愛知・三重
無賃旅行(2007/01/01記) 私の1人旅---大学時代の無賃旅行(2012/08/02記)
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[サラリーマン海外出張などの思い出]
■ 1975年5月 米国(ハワイ)
ロイヤルハワイアンホテルでハネムーン(2008/04/15記)
■ 1981年□月 米国(サンフランシスコ・サニーベール・サンタバーバラ)
海外の小話1---初めての海外出張(2006/10/10記)
海外の小話2---サンフランシスコの大男(2006/10/22記)
海外の小話3---サンフランシスコのカップヌードル(2006/11/12記)
■ 1981年□月 米国(サンフランシスコ・ロサンゼルス)、メキシコ(ティファナ)
メキシコ・ティファナ・・・アメリカ国境を越えて(2007/04/26記)
■ 1982年6月 カナダ(ケベック)
ケベックの旅を終えて・・・老舗の没落(2007/01/16記)
■ 1982年6月 カナダ(バンクーバー)、1991年3月 西ドイツ(ハノーバー・ミュンヘン)、
海外のエピソード・・・バンクーバー、ハノーバー編(2007/05/02記)
■ 1986年□月 スペイン(マドリッド・トレド・コルトバ・セビリア)
マドリッドの数日間(2007/02/24記)
■ 1988年1月 韓国(ソウル)
ソウル・オリンピック直前の訪問(2007/04/03記)
■ 1991年3月 スイス(ジュネーブ・ローザンヌ)
スイス旅情(2007/07/29記)
■ 1996年11月 米国(シリコンバレー・ラスベガス)
そのとき感じたストリップ(2007/04/11記)
■■ 1975年~1991年のまとめ
私の海外旅行の思い出(2014/01/13記)
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[サラリーマン定年旅行、再就職後の国内出張の思い出]
■ 2001年8月 福島・宮城
いわき・仙台・石巻の旅(2007/08/22記)
■ 2001年11月 北海道(札幌・小樽・函館)
カシオペアに乗って、札幌・小樽・函館(2007/04/15記)
■ 2007年11月 青森、12月 福岡
津軽から博多へ(2007/12/05記)
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[シルバー京都・奈良旅行の思い出]
■ 2008年12月 京都
そうだ! 初冬の京都、行こう。(2008/12/16記)
■ 2009年11月 京都・奈良
霜月に、京都~奈良の旅(2009/11/17記)
■ 2010年12月 京都
再び、初冬の京都巡り(2010/12/18記)
■ 2012年4月 京都
京都で桜満喫(まんきつ)!!(2012/04/15)
■ 2014年4月 京都・奈良
春の京都・奈良を訪れました(2014/04/17記)
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