新潮社・月刊ミステリ「yom yom(ヨムヨム)」 vol.35 2015冬号 (2015/01/31発売)
を図書館から借りて読むと---


直木賞候補の
三崎亜記氏の読み切り中編小説
「ニセモノの妻」(計42ページ)が面白かった。


★ SFタッチのミステリーであり、ラブリーな夫婦物語でもある。


★ 特殊な感染症に罹ると、その人間のクローン(ニセモノ)が出現する異界。
身体的特徴・DNAばかりでなく、記憶まで全く同じというのだ。
だとすると、判別は不可能だろう。
只、ニセモノは劣等感を持っているのが相違点。もう一つは、セックスをしてみて違いを感じ取れるかどうかである。


国は、ニセモノを監督し、検査・判定する機関 (環境整備局、真偽分離者管理局) を立ち上げて、ニセモノ狩りに躍起になるが、如何せん、検査技術を確立できないでいるのに、ニセモノを物品扱いしようとする。
そのスキを狙って、ニセモノを拉致・監禁し臓器売買を謀る犯罪が出現している。
方舟協會なる詐欺集団が。


主人公の妻も感染したらしく、或る日突然、ニセモノを名乗る妻が出現する。
そして、二人は行方不明となったホンモノの妻捜しの旅に出る。


★ 主人公は、一夜だけ伴にしてくれたニセモノの妻と別離し、翌日、ホンモノの妻を迎え入れることになる。そこにはこれまでの夫婦関係を反省し、新鮮な自分があるのだが、去ったニセモノへの哀惜を拭い去れない。


本当に超常現象は起こっていたのだろうか?
一人の妻が夫婦関係の飛躍的改善を願って、演じ切ったのではなかろうか? 謎は深まるばかりである。


*


【三崎亜記(♂)氏の略歴】

http://portal.nifty.com/2008/11/07/b/ より転載させて頂きました。
 

1970/8/27福岡県久留米市生まれ・本名同じ。当初のペンネームは御清街(みせい・まち)。
熊本大学文学部史学科卒業。
1998年、地元・久留米市役所職員の傍らで、「となり町戦争」の執筆を始める。

2004年、「となり町戦争」で第17回小説すばる新人賞受賞、第18回三島由紀夫賞候補、第133回直木賞候補となり、作家デビューする・・・集英社・小説すばる2004年12月号、単行本2005年1月、文庫本2006年12月。
同作は、映画化(2007年2月公開、配給:角川映画、監督:渡辺謙作、主演:江口洋介)、舞台化(2007年5月、ザムザ阿佐谷、プロデュース:ケンジ中尾)。

2005年、短編集「バスジャック」で第59回日本推理作家協会賞短編部門候補・・・集英社・小説すばる2005年6月号、単行本2005年11月、文庫本2006年12月。
2006年、「失われた町」で第136回直木賞候補、第28回日本SF大賞候補・・・
集英社・小説すばる2005年12月号~06年11月号、単行本2006年11月、文庫本2009年11月。
2006年末で、市役所職員を辞職し専業作家となる。

2008年、短編集「鼓笛隊の襲来」で139回直木賞候補・・・光文社・小説宝石2007年6月号、単行本2008年3月、集英社・文庫本2011年2月。

2010年、「コロヨシ!!」・・・角川書店・単行本2010年2月、文庫本2011年12月。
現在も久留米市在住。


※ 脚注に主な作品紹介。


*



【あらすじ】


「私はニセモノかもしれない」――。6年連れ添った妻(名前は「さなえ」)の顔をした女はそう告白し、妻のホンモノ捜しが始まった。……けれどいったい、僕は誰を愛してきたのだろう ?


「何か、変なの。ねえ。私を見て。もしかして、私、ニセモノなんじゃない? だって、自分がホンモノだって思えないもの」。
もし目の前の彼女が、言葉通りにニセモノだとしたら、いつの間にホンモノとすり替わってしまったのだろう。何より、ホンモノの妻は、いったいどこにいるのだろう。


ニセモノが増え出したのは数年前。
正式な学術名称は「突発性、真偽体分離症」と言い、感染症の一種。
或る日忽然とニセモノが現れる。が、ニセモノを見分けることは非常に困難。
身体的特徴・血液型・遺伝子情報、そして記憶のいずれにおいてもホンモノと全く同じ。
判定機関に持ち込み鑑定してもらう。検査機関の名称は「真偽分離者管理局」。
「検査には、ニセモノを所持して来て下さるだけで結構です」と言うように、ニセモノを人間以外の「物体」とでも見做し、社会的には「器物」であり、無残に殺されてしまっても「損壊」でしかない。


ニセモノの妻は別々に寝床に就いた。
「あなたと一緒に寝たらホンモノの私に申し訳ない」。しかもホンモノの妻の衣服を勝手に着るわけにはいかないと近所の安売りの洋品店で服を買って来ていた。
律義なところもホンモノそっくり。
ダブルベッドの枕や毛布にはホンモノの妻の残り香があるが、ニセモノと同じだろうか?


「真偽分離者管理局」で、ニセモノは判定するための問診を受けた。
その後、僕も面談に呼ばれた。
「奥さんがニセモノと気付かれたのは、いつごろでしょうか?」「実は、僕自身は気づくことができませんでした。彼女自身が、ニセモノだと言い張っているので」。
検査官は「これが、『真偽検証対象者』が答えた奥さんのプロフィール。奥さんの情報と合っているかどうかチェックして下さい」。「間違いありません」。
次に、検査官が案内した六畳ほどの空間にはベッドが置かれており、監視用カメラが設置され、壁には大きなマジックミラーがあった。
「ホンモノかどうか判別するには、反応の違いで確かめるのが最も効果的。夫婦のプライベートでしか行っていない行為の際の反応が、真偽を確かめる上での決め手」「ここで性行為をしろ、ということですか?」「ええ、それが、最も効果的な手法です」「その検査は、遠慮しておきます」。
こんな環境で、セックスなどできるはずもない。第一、ニセモノだと思い込んでいる妻はベッドすら共にしないのだ。
「最後はショック療法になります。被験体に電気ショックを与えることによって自分のニセモノ感が錯覚だったと理解する場合があります」。
「人体への悪影響は?」。ウサギでの実験では五回の通電で死んでしまうほどのショックだ。「その検査で、判別できた事例は?」。「過去に二回ほど」。あれだけニセモノ騒動が起きた上での「二件」とは、その効果は推して知るべし。
中止を願い出ると、検査官は「検査結果の信頼性は大きく低下します」と言ってカルテに大きく×を記し、それ以上の鑑定を投げ出すようにして言った。
鑑定結果が送られて来た。「真偽判別できず」。


「やっぱり、ホンモノを捜すべきだと思うの」。彼女は図書館でニセモノたちに関する新聞報道について調べていた。
一つは、ニセモノとの「接触事故」が人身事故と誤認されていて交通事故統計が訂正されたという記事、もう一つは、ニセモノをアルバイトとして雇い違法な雇用として逮捕されたという記事。
どちらもS市で発生していた。「S市には、ニセモノが集まっているってことじゃない?」。
妻に追い立てられてS市へ向かうことになった。


会社には馬鹿正直に理由を言うわけには行かないので、祖父の遺産相続問題で親戚間が話し合うことを口実として、三日間ほどの休暇申請をする。
僕たちはS市の駅に降り立った。
「こういう人を捜しているんですが」と老婆に声をかけると、「これは、あなたじゃないですか?」「これは、私のホンモノなんです」「おお、ヤダヤダ、あんたニセモノなのかい、近寄るんじゃないよ」。
「これに懲りずに、どんどん聞き込みをしましょう」。
僕たちは駅前で通行人を呼び止め写真を見せ続けたが、手がかりは何も浮かんで来なかった。


翌日、市街地の繁華街で、聞き込みを再開する。
やがてニヤニヤしながら小男が近づいて来た。「ホンモノ捜しだろ? 珍しいな、ホンモノがいなくなってニセモノが居座っちまったってことか」。
僕は男の意図を察し千円札を数枚、握らせた。
「この街には、方舟協會っていう組織が活動しているんだよ。ニセモノを保護して安心して暮らしていけるようにサポートしている団体。だからニセモノたちが集まっている。
トーゲンキョーって場所にニセモノを集めて集団生活をさせている。
何しろニセモノには人権も何もないんで悪い奴らに捕まったらひどい目に合わされるから、ニセモノにとっちゃ、まさに桃源郷」。


さらに数枚の札を握らせると、「駅前に協會の巡回バスが停まってニセモノを収容してる」。
ニセモノの妻にホンモノを演じてもらって、ホンモノが協會に捕まっていないかを探る。
協會の男が、「あんた、もしかして、ホントはニセモノなんじゃないのかい? ホンモノを騙(かた)るのは重大犯罪だ」と言う。
ところが、あの小男を見て一目散に逃げ去った。
「あんた、見てたよ。奥さんはやっぱりニセモノだったのか。おい、富沢、また堅気の衆に迷惑かけてるんじゃないだろうな」。去って行った富沢を見送っていた男は警察手帳を出して見せた。


ホテルのレストランで隣のテーブルの男が話しかけて来て、「私は、一時期ニセモノでした」と。「どうやって、ニセモノからホンモノになられたんでしょうか?」
「落しものだって、落とし主が三か月見つからなかったら、所有権は拾った人に移るでしょう? それと同じで、ホンモノとしての認定を受けることができまして」
「もし、後になってホンモノが発見されたら、認定は取り消されてしまうんでしょうか?」
「私の場合は、大丈夫」。
男は思わせぶりに笑って、「ニセモノだって、生きる権利はある。ニセモノとホンモノの違いはただ一つ、ニセモノだっていう劣等感だけ。なくせば、完璧にホンモノに成り代われる。ホンモノだって言い張っても、誰も分からない」。


二人で別行動を取った。
「僕は、方舟協會の噂を聞き集めてみる」
「私は図書館で、新聞やインターネットの情報を収集してみる」。
聞き込みがうまく行かなかった。彼女も、図書館で大した成果は上がらなかったようだ。


四日の日数を費やして、ホンモノの影すらもつかむことができていない。
「何を弱気になっているの? 愛して一緒になった相手を、捜し出して上げなくて、いったい誰が見つけるって言うの ! 捜し出してみせるわ、私だけでも、明日中に、絶対」。
翌朝、目が覚めると、ニセモノの姿がなかった。午前中いっぱい捜し続けたものの見つからない。


万策尽き果て、公園に向かった。ベンチに座る女性がいる。
夢の中と同じだ。
「あなた! 迎えに来てくれたのね」「いったいどうして、突然飛び出してしまったんだ?」「気がついたらここにいた。お金も携帯もないし。十日前から、ずっとこの街で、来てくれるのを待っていたの」。
どうにも話が噛み合わない。離れていたのは、ほんの数時間でしかないのだ。
[もしかして、君はホンモノの妻なのか?]
「まさか、ホンモノとニセモノの区別がつかないわけじゃないでしょうね」。
確かに、ホンモノが持っていた服。ニセモノは決して着ようとしなかった。
「君は、ホンモノ」「さあ、一緒に帰りましょう !」
「ちょっと、待って。実は、この街にはニセモノと君を捜しに来たんだ。だけど今朝から、姿を消してしまった」
「ニセモノなんか、どうだっていいじゃない」「用済みってわけにはいかない」
「私と一緒に三人で帰るの? 逢えないまま、この街を離れた方がいいんじゃない? 私に出逢えるのを確認したから身を隠したのかもしれない」。


S市を後にすることになった。ニセモノに会うことはないのだろう。
すると、あの富沢が近づいて、「あいつがニセモノですぜ!」と妻を指差して大声を上げる。
数人の男が一斉に駆け寄った。
「私はホンモノよ!」。抵抗する妻を、引きずって行く。
「ニセモノにしては活きが良すぎるぞ」。妻を車に押し込むと走り去ってしまった。
富沢は残った一人の男に、「あのニセモノは、利用価値が高そうだ」。男は数枚の紙幣を渡して立ち去った。「ニセモノが、この街を離れられちゃ、元も子もない」と、富沢は慰めるように、僕の肩に手を置いた。
「あれはホンモノなんだ! ニセモノが姿を消していた。姿を捜すうちに、ホンモノに出逢ったんだ」「嘘じゃなさそうだ。ホンモノが方舟に拾われたとなったら、大ごとだぞ」「やっぱり、方舟協會の奴らだったのか」
「仕方がねえ、こっそり潜入しよう。いったん入っちまったら、ホンモノだろうが出て来ることはできねぇ。無理やり奪還するしかねぇ」。
富沢は嘘を言っているようには思えない。


「トーゲンキョーは?」「まだトーゲンキョーなんて信じてるのか? 今から行くのは、ニセモノの処理場。あの電柱に上って、塀を越えるぞ。ダンナは見ない方がいい」。
二人はすぐに、見張りに捕まってしまった。
「いい度胸をしてるな、富沢」「会長にご判断いただくしかねぇ」。
引きずるように会長室へと連行された。
会長と呼ばれる男は、七十代と思われる老人だった。
「その男は何者だ?」「ホンモノの旦那」
「さっき回収した女を連れてこい」「さなえ! 大丈夫だったか?」
「あなたがここの責任者? ここを出たら、警察に拉致監禁罪で訴えてやる」
「奥さん、考え直すつもりはないかな? 処理しろ、二人まとめて。訴えられれば警察の介入は逃げられん。環境整備局の立ち入り検査のように甘くはないだろう」
「処理するって、どういうことだ?」「会長、冥土の土産に、ニセモノの処理のことを教えてやっちゃあくれませんか?」
「ニセモノは、法律での規制が無い。拾得物で、その所有者が明確ではない。道端の石のようなもの。それを捕獲して、どう扱おうが、拾得者の自由」「ニセモノの臓器売買ということ」「困っている人の役に立つんだ」。


パトカーのサイレン音だ。「全員、動かないでいただきましょうか?」。現れたのはあの刑事だった。「ニセモノの奥さんから届出があってね。ホンモノが方舟協會に捕まったから、保護してほしいとね。会長、ホンモノまで処理している疑いとあっちゃ、動かざるをえませんから」「そんな証拠がどこにあるんですか?」「あんたの違法行為の証拠は、充分に揃ってる」。
富沢は、処理方法を、敢えて会長の口から語らせた。「富沢、お前、いったい何者だ?」「環境整備局の本局から派遣された調査員」。


「あなた、大丈夫だった?」「ニセモノが、通報してくれたおかげ」
「ごめんなさい、あなたを騙していた。私はニセモノなの。ニセモノからの通報ってのは刑事さんの嘘よ。
ホンモノの服も一着だけ持って来ていた。
ここに潜入して無事でいるためには、ホンモノだって演じ切る必要があった。
図書館に行くって嘘をついて、あの刑事さんと富沢さんに接触していた。
今は目的を果たさなくっちゃ。
若くて美しい女性は、買い手がつくまでニセモノの保管庫に保管されているはず。そこに、ホンモノの私が紛れ込んでいる可能性が高い」。
しかし、そこに、ホンモノの姿はなかった。


「あなただけ帰って。私は、あなたを平気で騙す女よ」「君は間違っていない」。
僕たちは、家に戻った。
「このまま、僕と一緒に暮らしてもらえるだろうか? 僕の妻として。ニセモノの君もホンモノに負けず劣らず大事に思えて来たんだ」
「私はニセモノ。絶対にホンモノにはなれない。確かに、ホンモノと変わらないだけの性能は持っていると思う」。僕を見つめる、ニセモノの妻の瞳。
「ホンモノは言っていたよ。夫婦っていうのは、完成されたものじゃない。二人で一歩ずつ近づいて行くんだって」
「ホンモノが見つかるまで、私で我慢してね」。
「ホンモノと一緒にいた頃も、不用意な言葉で傷つけたり」「不完全な僕で、我慢してくれないかい?」.


その夜、ニセモノの妻は初めて、同じベッドに入った。
「なんだか、緊張するね」。結婚から六年が経ち、ホンモノの妻との夫婦生活も、さすがに新鮮味に薄れていた頃だ。
唇と唇がかすかに触れ合う。ゆっくりと、服を脱がせた。
妻とまったく同じで、違う存在とのセックス。妻と同じ反応で声を上げ同じ恥じらいを浮かべて。そこには、倒錯的な快感すらあった。
ニセモノの真偽判別のために管理局に行った時、検査官は言った。セックスは判別する最も有効な手段だと。


「ホンモノが発見されました」。突然、相手は用件を切り出した。「真偽分離者管理局です。引き取られますか?」
「ホンモノが、見つかったそうだ」「良かったじゃない!」 ---本当に、良かったのだろうか? 
「私は出て行く準備をしなくっちゃ! 一緒に暮らすことができるはずないでしょう?」「お別れだね」
「あなたが会社に行ってから、私は家を出るわ」「君は、ホンモノに会わないのか?」
「あなたは時々、そんな風に、ホンモノの奥さんも、言葉にできない悲しみをため込んで来たのかもしれない」。
「最後にちょっとだけ」。かすかに唇が触れる。「ごめんなさい。ホンモノには、言わないでね」


「ただいま」。
ニセモノと暮らした三か月間のものは全て処分されていた。思い出の写真は全て消去されていた。僕の記憶の中にしか残っていない。
冷蔵庫には、ニセモノが作り置いてくれた晩ごはんのおかずが入っていた。
テーブルの上のメモに目が留まる。「お仕事お疲れ様です。おかずはレンジで温めて食べて下さい。このメモは、捨てて下さいね」。ホンモノと同じ筆跡。
僕はそのメモを、どうしても破り捨てることができなかった。
ニセモノの最後の心づくしの、僕の好物ばかりだった。喉が詰まる。


想像してみる。この宇宙のはるか彼方に、この星と全く同じ星があると。僕と全く同じ男性が全く同じ人生を辿り全く同じ妻と結婚し家庭を作っている。
もし、そんな二つの星の、僕と向こうの僕だけが突然入れ替わったとしよう。そして、妻も僕が入れ替わったことなど何も気づいていない。
目の前の妻は僕が愛した妻ではない。本当の妻は何万光年も離れた別の星にいる。
それでも彼女は僕と全く同じ記憶を持っている。全く同じ妻を前にして僕は喜びを分かち合えるだろうか?
流れて来た涙を拭いながら食器を洗う。
何事もなかったように迎えて上げること。それがきっとニセモノの望むことだった。
ニセモノはきっと大丈夫だろう。ホンモノを演じ切ったのだから。


待てよ!? ニセモノの彼女が変わったのはあのホンモノと成り代わった男の励ましを受けてからだった。
男は言った。ホンモノとニセモノには何の違いもない。あるのはただ劣等感だけだと。
そして彼女は、劣等感を押し隠して見事にホンモノを演じ切り方舟協會の摘発を成功させた。


今から帰って来るのは果たしてホンモノの妻だろうか? それがたとえニセモノだとしても僕には分かるはずもなかった。
玄関の鍵が開く音がした。「ただいま、あなた」。



画・笹井一個
 






※ 
【主な作品紹介】


 ミステリアスな異世界、ブラックユーモアに溢れた新感覚、無秩序・不条理な社会へのニヒリズム。
松本清張や東野圭吾張りの本格ミステリーは未だ無いが、村上春樹・伊坂幸太郎が好きな私にとっては、興味津々の書き下ろしだ。



「となり町戦争」

現代の戦争の狂気と恐怖。
或る日突然に始まった舞坂町と隣町との戦争。広報で突然知らされた『となり町との戦争のお知らせ』。
地域振興の公共事業として戦争が遂行され役所に管理される。
とりあえず私が心配したのは職場までの通勤手段だった。
だが、銃声も聞こえず流血もなく、町は今まで通り平穏な様相を呈していた。
戦時中だという意識を強めたのは、広報紙に掲載された戦死者数。なぜか見えない死者は静かに増え続ける。
やはり戦争は始まっていたのか。
現実感を抱けずにいた主人公・北原修路の元に、町役場総務課戦争係から偵察業務の任命書が届く。


「バスジャック」
今、バスジャックがブームだ。
地方テレビ局のカメラマンがたまたま遭遇したバスジャックの模様が放映された。
その切り取られた映像のドラマが話題になったことから、ブームが始まった。
バスジャックは、規制法により定まった形式に則って行われる。
数々のマニュアルが整備され、様式美を備え娯楽として人々に認知されている。
犯人は概ね4人組。能楽に見立て、それぞれ別々の役割を振られた「シテ」「ツレ」「地謡(じうたい)」と呼ばれる実行犯。そして、犯人たちのバスジャックを評価、バスジャックの要件を充たしているかチェック、ランキングサイトへ通知する中立的な「後見」の計4人が一組となって行われる。
人々は、バスジャックの報道を見ては、心密かに応援したり、この新種の娯楽を求めて高速バスに殺到する。
或る日、私の乗ったバスがバスジャックされた。今、4人の男女が一斉に立ち上がり動き出した。
さりとて私は困っている。荷物検査で今持っているアタッシェケースの中を見られては困るからだ。
主人公は、バスジャッカーの改革を志す「新・黒い旅団」の主力メンバーだったのだ。



「失われた町」

或る日突然にひとつの町、月ケ瀬町から住民が消失した。
町の住民が跡形もなく消滅するという、30年毎に起きる不可解な現象。
悲しみを察知してさらにその範囲を広げて行く。
そのため、人々は悲しむことを禁じられ、失われた町の痕跡は国家によって抹消されていった。
残された者たちは何を想って今を生きるのか?

消滅という理不尽な悲劇の中でも、決して失われることのない希望を描く。


「鼓笛隊の襲来」

赤道上に発生した戦後最大規模の鼓笛隊が、勢力を拡大しながら列島に上陸する。
「この国」に進路を定めた鼓笛隊を迎え撃とうと、崎矢岬に1,000人規模の巨大なオーケストラ・ステージが準備されたが、鼓笛隊はやすやすと突破する。
直撃を恐れた住民は次々と避難を開始するが、主人公・園子の一家は老人ホームを一時退去させられた義母とともに、自宅で襲い来る夜を過ごすことにした。
やがて、心の奥底から揺さぶられるような音を奏でる悪夢のような行進曲が街に到達する。
避難もせず防音スタジオも持たないが、果たして無事に乗り切ることができるのか。
眩いほどに不安定で鮮やかな世界を見せ付ける。


「コロヨシ!!」・・・頃良しの発声

主人公・藤代樹(いつき)は「掃除部」に所属している西州内の公立高校二年生だ。
芸術点と技術点を競う競技「掃除」は、国家の統制下に置かれているマイナースポーツだった。
幼い頃に祖父の教えで「掃除」を始めた樹は、昨年の州大会新人戦で優勝するほどの腕前。誰もが認める才能を持ちながらも、目標を見出せずどこか冷めた態度で淡々とスポーツとしての「掃除」を続けていた。
しかし謎の美少女・高倉偲(しのぶ)の登場により、そんな彼に大きな転機が訪れる。