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NHK-G 「ブラタモリ」
#3「金沢その1」#4「金沢その2」
【スタッフ】
ディレクター: 森崎章子(#1)、佐々木知範(#2)、山内太郎(#3)、三原直(#4)
プロデューサー: 石原謙一郎(#1#4)、垣東大介(#2#3)
映像デザイン: 山口高志
CG制作: 由水桂
【テーマ曲】 井上陽水
オープニングテーマは、引き続き「女神」。
エンディングテーマは、新シリーズから「瞬き」。
【取材協力】
#3
辰巳用水土地改良区、近江町市場商店街振興組合、金沢FC、海遊亭、武野一雄、増田達男、他。
#4
石川県箔商工業協同組合、金沢FC、武野一雄、金澤しつらえ、他。
【出演】
タモリ
桑子真帆アナ
【ナレーター】 草彅剛(SMAP)
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■■ #3「ブラタモリ~金沢その1~」
【初放送】4/25(土)19:30~20:15
【再放送】4/26(日)13:05~13:50
■ タモテバコの旅のお題 「加賀百万石はどう守られた?!」
今、新幹線の開業により日本でいちばん注目を浴びている、城下町・金沢。
2時間ほど前まで暴風雨だった。ようやく風は止み、始まった途端にカラスは鳴き素晴らしいロケ日和になった。
タモリさんは、ほぼ初金沢だった!! 金沢に対して持っているイメージは、武士の町。前田家は大名の中でいちばん石高がデカい、加賀百万石。
しかし、タモリさんが探すモノは、グルメでもショッピングでもない。
江戸時代には、江戸や京に並ぶ文化や芸術の中心地として栄えた。そして今も、その町並みの下には繁栄を守って来た、驚きのシカケがひっそりと眠っている。
加賀百万石は、常に存亡の危機に立っていた?? 兼六園や近江町市場など、お馴染みのスポットの裏側に隠された、町を「守る」ための工夫、驚きのシカケを探る。
□ 市場に驚きの痕跡!?
□ 金沢を守った巨大な壁とは!?
□ 兼六園や城に秘密の知恵が!!
□ 町を守る地下トンネル!
そう言えば、幕末までずっと前田家だった。
金沢城調査研究所・木越隆三所長の登場。
木越さんって少し私に似てませんか? 確かに! 今日は紫外線除けにサングラスを。私のは全然変わりませんので。<勤務態勢は大きく変わりましたけど。>
加賀藩は、今の石川県と富山県にまたがる日本最大の藩だった。今回の旅のスタートは、金沢城や兼六園ではなく、少し離れた場所、
□ 「長町武家屋敷跡」・・・江戸時代の武家屋敷が多く残る、細長い町割が「長町」の由来。
色んな危機が在った。
しかし前田家はうまいこと対応し何とか300年間を百万石を守り通した。
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関ケ原の戦い以前 ⇒ 以後
徳川家 256万石 400万石
前田家 83万石 120万石
宇喜多家 57万石 0 取り潰し
上杉家 120万石 30万石
毛利家 120万石 37万石
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色んな駆け引きがあった、その辺の事情が町を歩くと分かって来る。
武家屋敷の道幅は、二間(にけん)≒3.6m、歩数で3歩半。
城下町の街路を書き残した江戸後期の記録が、金沢に残っていて、現在の道の70%位は江戸前期以来の道。「大野庄用水」(1591年までに完成)が流れる。
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□ 「鞍月用水」・・・城と並行し南から北へ流れる。1648年までに完成。
用水沿いの道(外道、「せせらぎ通り」と言う)・喫茶WEST COAST(香林坊2-12-23)辺り・ファッション・グレース(香林坊2-12-34)・ニュー香林坊ビル(香林坊2-12-34)の階段を上る
~道(内道と言う)がある~日本銀行金沢支店(香林坊2-3-28)の裏=塀。
上の道と下の道の高低差。城からタテに流れるのが自然なのに、ヨコに流れているのは不自然、つまり人工的に造った堀ということになると、タモリは見事に解明!!
「延宝金沢図」(17世紀後半、県立図書館・蔵)によれば、鞍月用水に沿ってあったのは、石垣=土居 (京都の土塁に当たる)。またしても正解!!水路と高低差をつけたのは、城下町を守る堀と土居だったのだ。
【参考】 香林坊2丁目せせらぎ通り商店街HP、マップ
□ そういう街造りを「惣構」(そうがまえ)と言う。
内道は敵から城を守る兵士の通り道。
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城~内道~土居(河岸段丘の上に、堀を掘った後の土を盛った、8-10mとビル3F相当)~高低差~堀~外道
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惣構は二重になっていた。
今、見上げている「外惣構」(全長7km)と城に近い「内惣構」(全長3km)。
更に城の堀の三重の守りになっており将に鉄壁の守り。
明治期以降は、土居は削られ堀は半分埋められて、街並みの地下に眠っている。
「外惣構」から城へと向かうには?
鞍月用水が暗渠(あんきょ)になった場所、
KOHRINBO109(香林坊2-1-1)横~「香林坊橋」(現在の香林坊交差点)を渡り「北国街道」に出ると、「木戸」があった。
「内惣構」の痕跡探しは、
居酒屋・和らぎ(尾山町4-2)・ヘアサロンふちがみ(尾山町10-9)の位置が土居、その向かって右が内道、左が堀~外道。僅かな高低差あり。
何故、こんなに厳重に身構えたのか?
利家が1598年8月に死去すると直ぐ、徳川家康が自分の暗殺計画の噂を口実に加賀攻めを検討した。
暗殺陰謀事件の主犯だとの噂が流された前田家は和戦で揉め、
和睦交渉をしながら1カ月で1599年12月に2代目・利長は惣構を完成させ、和睦に至った。
1600年春、利家の妻・まつが人質になり、最大のピンチを切り抜けたのだ。
「近江町市場」(上近江町、「近江町市場」HP、マップ)
・・・昔の道(幅二間、ビミョーに湾曲)が約300年前に市場の通路になった。この辺りになると外道と内道の段差が見当たらない。
しかし、市場内の食品スーパー「ダイヤモンド」店内に入ると、段差があった!!
店長・卯辰さんも知らなかった段差の痕跡。
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□ 「ブラコレ」(ブラタモふるさとコレクション)
1964年8月30日NHK金沢が放送したニュースコーナー「夏に拾う」より。
香林坊交差点の中心には、交通整理の警官が立つコンクリの台、その下の小部屋(地上と同じ目線)で汗を拭いながら市電のポイント切り替えをする男性。
運ばれた氷 <山田氷店(片町1-3-299)か??> を頬張る男性に降り掛かる災難⇒犬が全面を塞ぎ、停止したバイクの排気ガスが襲う。
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□ 「金沢城」「兼六園」「辰巳用水」(丸の内)
「金沢城公園」の前・石川橋の上で、
市役所文化財保護課・谷口(やぐち)明伸さんが登場。
1631年(寛永8年)4月14日に襲った巨大な危機・大火から金沢を守った巨大な構造物が在った。民家から出火し城を含む城下町に大被害をもたらした。
元々、細長い台地に造られた町。犀川と浅野川に挟まれ守りには適していたが、2つの川から取水しにくい弱点があった。
犀川上流から引っ張って来るしかなかった。
大火の翌年1632年、城から11km犀川上流で取水する「辰巳用水」が完成した。
兼六園(海抜14m)まで届いた水を、堀を潜らせて城(海抜11m)まで揚げる必要があったのだが、14-11=3mの落差があるので自然の水圧で可能。
兼六園に辰巳用水の痕跡
・・・隧道(ずいどう・トンネル、4km)~開渠(かいきょ、7km)~霞ケ池に貯水し二の丸まで導水、徽軫(ことじ)灯籠傍~海遊亭裏に導水石管の遺跡。
「辰巳用水長巻図」(1834年)。
参考として辰巳用水の才・板屋兵四郎、断面図
隧道は、先ず岩盤に「横穴」を30m置きに139カ所掘ってから全長4kmを掘り進めた。
「横穴」には、今でも普段は水深1m位の流れがある。
土地改良区・畦地実参事(85歳)が登場。
特別に横穴に案内してもらう。ノミやツルハシの跡。暗いなあ、サングラス掛けてたんだった。魚が泳いでいる。
辰巳用水の取水口
・・・兼六園から11km離れた「辰巳ダム」の底の側面に、「東岩取水口」(上辰巳町)が在った。
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1日目のタモリさんの印象「地形を利用した先人たちの知恵。それが加賀百万石を守り、今の金沢の礎になったのではないでしょうか。
金沢の街作りの素晴らしさを感じた旅でした」。
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■■ #4「ブラタモリ~金沢その2~」
【初放送】5/2(土)19:30~20:15
【再放送】5/3(日・祝)13:05~13:50
■ タモテバコの本日のお題 「金沢は美のまち!?」
昔ながらの美しい町並み。
城に日本一バラエティに富んだ石垣があったり、市内を流れる犀川で今も砂金が採れたりするという金沢。
蒔絵をはじめ華麗な伝統工芸。
そう言えば、工芸とか確かに昔から有名ですよね。
金沢=美のまち。
なぜ、この町に華麗な美の世界が花開いたのか? タモリさんならではの角度で迫る。
□ 「金沢21世紀美術館」(広坂1-2-1)
オラファー・エリアソン作「カラー・アクティヴィティ・ハウス」
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再び、金沢城調査研究所・所長: 木越隆三さんが登場。
□ 金沢と美の関係を知るために「金沢城」へ向かう。
石垣は築城当時25mの1段だったが、その後3段。更に明治期に最下段の4段目と階段を付けた。
さながら石垣の博物館。
1600年頃の石垣は、大石の間に細かい小石を詰めた・・・間詰石(まづめいし)。
石垣は見えているよりも何倍も長い石が奥に隠れている。
スポットを当てた歴代城主と石垣
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初代・利家(1583~1598)
防御をしつつ権威を示した、自然石をそのまま積んだ・・・野面(のづら)積み15mは当時の最大級。一見ランダムだが何かリズミカルで統一されている。
3代・利常(1605~1639)
ポップでカラフルなモザイク模様のような、石の色合いを面白く見せようとする意識があった。
刻印が多いのは一種のデザインとして気取って見せたのではないか?
財源を武力から美術工芸に求め、全国から職人が集まり作品が誕生した。
5代・綱紀(1645~1723)
石垣のバリエーションを拡大し、実用性より遊び=趣味性の要素を加えた。色紙短冊積みなどはピエト・モンドリアンの「コンポジション」さながらのポップアート・オブジェ。
美への意識が更に強まり、全国の工芸見本2,000点以上を「百工比照」として厳選・収集した。
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アルタミラ~モンドリアンに至る西洋美術史を見ているような気持ちになり、
改めて、庭園から石垣を眺めてみる。
綱紀さんのオタクさに通じるものがあり、できることなら一度お会いしたかったとタモリさん。
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□ ブラコレ(ブラタモふるさとコレクション)
元・石川県立図書館・館長: 香村幸作さんが登場。
金沢の方言(加賀言葉)
例
つるつるやいね・・・すりきれ一杯ですね。
ネガねーがんねーがか?・・・ネガがないのではないですか? (大阪のちゃちゃちゃう?)
しましまにしまっしまん! ・・・ストライブにしなさいよ! しましまにしっこっちゃ・・・ストライブにしたらいいですね。
【参考】 私のブログ
ついキュンとしてしまう方言---加賀言葉
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□ 砂金
砂金採り名人: 野村祐介さん、金沢高校・化学教師: 四ケ浦弘さんが登場。
砂金を見て桑子アナが異常にイテンションになった!? コレコレコレコレコレ!!
金沢の名前のルーツ、約1万年前に金山から砂金を含む土砂が流れてできた町らしい。
事実、80年前にゴールドラッシュの北國新聞記事・・・試掘競願(採鉱許可願)188件。
タモリさんは3粒ゲット!!
四ケ浦先生は金5g bar(時価25,000円)を飲んで実験したところ、全く消化・溶解されないで循環したそう。
金ウンが現われたんですねとタモリさん。
□ 金箔
金沢金箔伝統技術保存会・会長: 松村謙一さんが登場。
日本の金箔はほぼ100%金沢産。工芸品、神社仏閣・仏壇、食品・化粧品などの用途。
金銀箔工芸さくだ(東山1-3-27)を訪問。
箔打ち職人の山﨑茂さんと寺本健一さん。
金箔の原料は、金に少量の銀・銅を加えた合金1,000分の1mmの薄板を、箔打ち紙と交互に重ねて繰り返し叩いて、厚さ10,000分の1mmにする。
型紙切りにトライしませんか?の誘いに一瞬怯(ひる)むが、トライし失敗。
1696年、箔打ち禁止令が出る。
1808年、火事で金沢城が焼失、修復のため金箔製造が許可され、修復した2年後に再び禁止。
技術保存のため密かに継続。
1819~26年、再三禁止令。
大正期、箔打ち機が金沢で開発された。
騒音問題となり町中での製造が困難になり、地下室を造って作業する。山﨑進一さん宅を訪問。
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金沢の美が江戸時代から今まで、土地とここに暮らす人たちにずっと支えられて来たことを実感する旅でした。
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【参考】
私のブログ
10/6~8金沢を訪ねる(2012/10/08)
金沢・小立野台地の思い出(2014/02/06)
金沢・寺町台地の思い出(2014/02/09)
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