ドキュメンタリー(紀行的ノンフィクション)長編小説
松本清張・著 「暗い血の旋舞(センブ)」

書き下ろし・単行本 日本放送出版協会 1987年4月刊行。




東野圭吾の「虹を操る少年」とともに図書館から借りていた。
ドッシリと重い大仰(おおぎょう)なハードカバーだ。 


*

明治時代中期に、ハプスブルク帝国の終期に当たるオーストリア=ハンガリー(二重)帝国における、
ボヘミアン貴族=伯爵・外交官の
ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー(Heinrich Coudenhove-Kalergi、1859/10/12~1906/5/14)に嫁ぎ、
ウィーン社交界に華やかに舞った東洋の花、
旧名・青山みつ、
クーデンホーフ=カレルギー・光子(Mitsuko Coudenhove-Kalergi、1874/7/24~1941/8/27)。


光子は、汎(
パン)ヨーロッパ運動によりEEC(欧州経済共同体)の提唱⇒後のEC(欧州共同体)⇒今日のEU(欧州連合)の礎を築いた、
伯爵・国際政治活動家のリヒャルト・
ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー(Richard Nikolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi、1894/11/16~1972/7/27)の母である。


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■ 清張氏は、本作の主人公である作家・杉田省吾に扮して、駐日オーストリア公使に見初められ欧州へ渡った明治の女・光子の実像を推理すべく、
暗い血に彩られたハプスブルク帝国終末期の一面にスポットを当てたドキュメンタリー小説を企画して、、チェコ・ボヘミア地方に飛び、その足跡を辿る旅を続ける。

[※脚注]  この頃の松本清張氏 



■ 一方、本作の側面としては、1987年(5/4~6/1)に5回に亘って放映された、NHK特集 「ミツコ  2つの世紀末」 (ミツコ 2つの世紀末―シナリオ集、 案内人は吉永小百合) では、
光子の四男・カルル
や、三男・ゲオルフの孫ソフィアなどを取材している。

本書は、この光子に関するドキュメンタリー映像番組のノベライズ化と言ったら清張氏に失礼だが、そんな位置付けで並行して進められた書籍でもあった。






【あらすじ】



明治中期。
東京・牛込納戸町に住む骨董商の娘・青山みつは、芝・紅葉館に座敷女中に出た。
当時の紅葉館と言えば、「官」のシンボル鹿鳴館の向こうを張った「民」のシンボルに当たる政府要人が集う迎賓館。
ここでみつは、箏三弦・踊り・歌・お茶・生け花など幅広いお稽古事を身につけ、ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と出会っている。


見染められた18歳のみつは、現地妻になった。
当時の日本人からすれば考えられない国際結婚として、世間の注目の的となった。
みつは、実家の青山家から"異人さんの嫁"として表向き勘当された形となり、伯爵は青山家に多額の犠牲を払った。


みつには、日本で2人、欧州へ渡って正式な妻・光子となってから5人の子を授かる。
欧州へは当初予定では一時帰国の筈だった。だが、二度と日本に帰ることはなかった。


19世紀末の欧州は、まさにハプスブルク帝国の終末期。
その属国のオーストリア=ハンガリー二重帝国は、光子が嫁いだ28年後に瓦解した。
まさに光子はウィーンの帝国の落日を体験しに行ったようなものだった。

クーデンホーフ家はボヘミアとハンガリーに跨る広大な領地をもつ伯爵家であり、一族は、極東から来た東洋人で仏教徒の光子を奇異の目で見た。
だが、ハインリヒ伯爵は、光子をヨーロッパ人と同等の扱いをしない者とは決闘をすると言い、庇護に努める一方、子供たちが完全なヨーロッパ人として成長することを望み、日本人の乳母を帰国させ光子に日本語を話すことを禁じた。


夫婦仲は良かったが、18カ国語を理解し哲学に関しては学者並みの博識を持つ教養豊かな夫と、尋常小学校を卒業した程度の学力しかない妻とでは教養のレベルの差があり過ぎた。
光子は、無学を恥じて歴史・地理・数学・語学(フランス語・ドイツ語)・礼儀作法など、家庭教師の元で猛勉強したのだった。


しかし、夫が急死する。
一族が財産を巡り訴訟を起こすが、光子は勝訴する。
以後、夫の遺産を相続し伯爵未亡人として家政を取り仕切った。
突如襲った逆境に向かい合い、光子は子供たちを育て上げた。

激動の時代を生き抜き、ウィーン社交界の華と伝わって来ていたのだが、実は不幸にも、クーデンホーフ家は財産を処分してウィーンに移り住んだ光子には、社交界からの正式な声は掛かってはいなかった。
王室に近い筋や代々の名貴族とは異なっていた。

次男リヒャルトの公式出版された回想録からは、親の世代を美しく語る個人的な思いが伝わってしまいがちだが、個人記録として自費出版された三男ゲロルフの回想文には、実際の事情を書いていると思われる記述がある。

第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊したことに伴い、クーデンホーフ家も財産を失った。
晩年の光子は、殊の外、気難しく家族に疎ましがられていたとも聞く。
そうして光子は、1925年に脳溢血に襲われて右半身不随となり、
ウィーン郊外で、唯一の理解者であった次女・オルガの介護により日々を過ごした。

その頃の唯一の楽しみは、ウィーンの日本大使館に出かけて大使館員たちと日本語で世間話をし、日本から送られてくる新聞や本を読むことであったと言う。
1941年8月、第二次世界大戦の火の手がヨーロッパを覆う。
私が死んだら日本の国旗に包んで頂戴と言い遺して、光子はオルガに見守られながら息を引き取った。


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尚、 老舗ゲランから1919年に売り出され、世界的に大ヒットした香水「Mitsouko(ミツコ)」。
そのネーミングの由来は、クーデンホーフ光子と、ファーレルの小説「ラ・バタイユ」に登場する日本海軍提督の妻ミツコとを重ねた命名らしいのだ。


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[その他、本作で注目される記述]


■ (p277~278)

芥川(龍之介)は創作に行き詰まり、神経衰弱になっていた。のみならず、親友の宇野浩二の精神を病んだ(梅毒性)状態を見て、自分もそうなるのではないかと不安になり、恐怖に襲われた。
芥川は、片方の眼の中に無数の歯車が回っているのを見たり、・・・ 沿道の家々が燃え上がるのを見たりした。この幻視を彼は「狂」の前触れだと感じた。
芥川夫人の友人に麻素子という女性があり、自殺の恐れがある芥川を死なせないように彼の話し相手などする世話を頼まれた。芥川は麻素子にすがるようになり、ついに彼女との情死を持ちかけた。麻素子は承諾した。
芥川は帝国ホテルの一室で麻素子がくるのを待った。しかし彼女は来なかった。それは芥川夫人との友情からだというが、もともと彼女には死ぬ気がなかった。
芥川は彼女に裏切られたと思い、数日後、自宅の二階でベロアナルおよびジャールを多量にのんで自殺した。
芥川は麻素子を死のダイヴィング・ボードにするつもりだった。しかし、それは麻素子とは限らず、一しょに死んでくれる女ならだれでもよかった。芥川がそのような状態でいたとき、小穴隆一(芥川の親友)は麻素子に「あなたでなくとも、どの婦人にでも取りすがろうとするのが、いまの芥川です」と云った。






[※脚注] この頃の松本清張氏


晩年(1984~90年)の主なノンフィクション作品を挙げてみたい。


○ 「岡倉天心 その内なる敵」 (新潮社・単行本1984年1月・刊)。

○ 「密教の水源をみる 空海・中国・インド」 (講談社・単行本1984年4月・刊)。

○ 「清張日記」 (日本放送出版協会・単行本1984年10月・刊)。
       私のブログ 松本清張の「清張日記」を読む(2014/10/29)

○ 「銅剣・銅鐸・銅矛と出雲王国の時代」 (日本放送出版協会1986年9月・刊)。

○ 「暗い血の旋舞」(日本放送出版協会・単行本1987年4月・刊)。

○ 「古代出雲・荒神谷の謎に挑む」 (角川書店1987年5月・刊)。

○ 「過ぎゆく日暦(カレンダー)」 (新潮社・単行本1990年4月・刊)。