ブログネタ:スナック行ったことある? 参加中私はある派!
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世の中は、平成27年度(2015年度)スタートの朝を迎え、
度合いの強弱はあれ、新鮮・緊張・慌(あわ)ただしさが漂っているのだろう。
私はリタイアから丸5年を経過し、既に"年度"の意識も感覚も失せている。
ブログネタのサーフィン(笑)をしていたところ、
この「スナック」ネタの投稿期限が今日までだと知り、バーゲンセールや通販のタイムリミットに煽(あお)られる消費者心理かのように、リーチしてしまった。
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とは雖(いえど)も、「スナック」と若かりし頃の私の関わり合いは密接だった。
「スナック」との関係を語る前に、私なりの「スタンドバー」との違いは? と言うと-------
その境界線は曖昧(あいまい)だけれど、
「スタンドバー」は、ウィスキーなど酒類が主体、ツマミもナッツ・当り目・チーズ・チョコなどの乾き物。一応のバーテンダーがいらっしゃる。近年では「ショットバー」などとも言い、酒を味わう雰囲気が優先される。カラオケよりもクラシック・ジャズ・ポピュラーなどの音楽を聴きながら。
それに対して「スナックバー」なり「スナック喫茶」は、酒類に加えマスター得意のパスタ・焼きソバ・カレーなどの軽食がかなりイケル。カラオケを目的とした常連も多く、休日のゴルフや釣りの集まりも伴いがち。
私が密に関わった「スナック」は、3つ4つあった。
その中で特に思い出深い2つを挙げてみよう。
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☆ 大学浪人~大学教養部時代(1966~68年の頃)
金沢の繁華街・片町に「エスカルゴ」があった。
浪人の1年間、始まりは傷心の頃。終いは大学教養課程の70年大学・安保闘争が激しくなるまで。
駅前に程近い予備校の授業や、城址の大手門傍に在った市立図書館での自習の後には決まって、その店で時間を潰した。
美人系を含む4人の若い女性が働いていた。
当時、よく聴いた曲は、エディット・ピアフ「愛の賛歌」(フランス1950)、ジリオラ・チンクェッティ「夢見る想い」(イタリア1964)、ヴィッキー「恋はみずいろ」(ギリシャ1967)、メリー・ホプキン「悲しき天使」(英1968)など。
私はここで、今も思い出すことがある空しい思い出がある。
私が唯一、買って店に預け掛けてもらっていた、お気に入りの映画音楽サントラ「太陽シリーズ」・・・「太陽がいっぱい」(フランス1960)、「太陽はひとりぼっち」(イタリア・フランス1962)、「太陽は傷だらけ」(フランス1963)など。
それを事もあろうか誰かに貸し出したらしく、とうとう戻って来なかった。
その出来事もあり、70年闘争の坩堝(るつぼ)もありで、いつの間にか遠退いてしまった。
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☆ バブル経済時代(1986~95年の頃)
男性サラリーマン・オヤジの聖地、JR新橋駅・烏森(からすもり)口(港区新橋)。
無尽蔵(むじんぞう)かの如く営む居酒屋・スタンドバーそしてスナック。
このエリアは、社会人となって配属されたのが愛宕下(港区虎ノ門)だったこともあって、
私にとっては、1971~2009年のサラリーマン人生38年間で最もお世話になった所だった。
就中(なかんずく)、スナック「ルナ」は、バブル期の40歳代には仕事の後であれ接待の後であれ、1日の仕上げをするかのように3日と空けず入り浸っていた。
キープしていたボトルはサントリー角瓶、ユトリの時期はスーパーニッカ。
マスターの作る焼きソバは絶品だったが、この頃は歯も未だ丈夫で当り目を頼むことが多かった。
私を始め常連客は、得意とするカラオケの曲目カードが整えられていた。
「美しい十代」(三田明1963)、「恋のバカンス」(ザ・ピーナッツ1963)、「星のフラメンコ」(西郷輝彦1966)、「花はおそかった」(美樹克彦1967)など。
様々な会社・職業・年齢・性別を超えて交流した、一種のサロンではあったが、
バブルが弾け50歳の年波が寄るに連れ、いつしか離れることとなった。
惰性の関係から抜ようという私のドライさがそうさせたのかもしれない。
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金沢の「エスカルゴ」も新橋の「ルナ」も、ネットでチェックしてみると、今も店の名前は残っていた。
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