「歴史秘話ヒストリア」第206回
「新常識 ! 歴史NEWS~日本史を変える10の発見~」


本放送: 2/4(水)22:00~22:43, 再放送: 2/10(火)24:40~25:23

【キャスター】渡邊あゆみアナ


過去である歴史は変わらない。そんなことはない。かつての常識は通用しなくなっている。歴史は過去のものではない。
昨年も数々の発見が日本の歴史を書き換えている。
研究の進展や分析技術の発達、さらには偶然の積み重ねで、日々、歴史は塗り替えられているのだ。


昨年1年間にあった、日本史に関する定説・常識を覆す新発見100項目を紹介する。

そんな2014年の日本史100のニュースを、専門家56人へのアンケート調査や一般の視聴者投票で注目度順にランキング化し、TOP10を発表する。
併せて新説解説をする。





 
夫 「この記事を書くのにエネルギーを要したなァ~!」
妻 「誰も頼んでな~い!」
夫 「そういう言い方って好きだな(逆説的)。何分にも"歴男"を標榜してるもんで」 



■ 2014年の日本史新説TOP10 


①「本能寺の変」 新文書で真相解明か!?・・・1582/6/2の京都、光秀はなぜ主君・信長を討ったのか?  2014年6月、岡山市・林原美術館から発見された戦国時代の「石谷家(いしがいけ)文書」に、光秀の重臣・斎藤利三(としみつ)から光秀と同盟関係にある四国の武将・長宗我部元親に近しい武将に宛てた書状。元親を脅威に感じて来た信長が翻意、戦闘を回避するため元親を説得し続ける光秀。取り成しでせめて土佐近辺の領地だけでも保証してもらえないかと懇願する元親。にも拘わらず四国攻めを決定。四国説が有力となって来た。

 
②「昭和天皇実録」(全61巻1万2千頁)の編纂終了・・・侍従長・百武三郎の日記などの新資料を採り入れた。2014年8月、宮内庁発表。


③前代未聞! 飛鳥にピラミッド型古墳・・・2014年8月、明日香村の「都塚古墳」は、石を階段状に積み上げた構造と判明。埋葬されているのは誰か? 蘇我氏繁栄の礎を築いた(仏教伝来に大きく関わったのではないかという)稲目か? 当時の天皇陵より大きいため古代史の見直しに発展するかもしれない。
更に2015年1月、飛鳥で巨大石溝を発見・・・舒明天皇の「滑谷岡陵」か??


④生前最後(暗殺直前)!? 龍馬直筆の手紙・・・1867/10/14付け、福井藩主・松平春嶽に会う旅の詳細報告を土佐藩・後藤象二郎に宛てた草稿。福井藩の財政担当"三八"(三岡八郎)にも面会し新政府の経済政策(金札発行など)について意見を聴くつもりだった。2014年4月、NHK「突撃!アッとホーム」の取材中に発見。


⑤卑弥呼の鏡!? 最新技術でナゾを解明・・・愛知県犬山市の「東之宮古墳」で出土。極限まで薄く削る⇒研磨する圧力で撓(しな)る「三角縁神獣鏡」を3Dプリンターでコピー⇒複製⇒レーザー光を照射・反射させると、呪術的な文様が映し出される「魔鏡現象」が起きた。2014年1月、京都国立博物館が研究発表。


⑥歌麿の幻の浮世絵、最晩年の最高傑作「深川の雪」・・・2014年3月、栃木市で当番組が独占スクープ。60年以上、行方知れずだった肉筆画を発見。
私のブログ 「歴史秘話ヒストリア~大発見! 歌麿の最高傑作『深川の雪』」


⑦気取らない芭蕉の素顔、手紙で判明・・・2014年8月、兵庫県伊丹市の「柿衛文庫」で、直筆を含む21点。弟子(絵の師匠)の森川許六を褒め千切っているなど。


⑦平安京の庶民生活を記した木簡が出土・・・2014年7月、南区東九条上殿田町の「施薬院」。


⑦国内初! 機織り埴輪(はにわ)が出土・・・2014年3月、栃木県下野市の「甲塚古墳」。


⑩家康の城!? 堀跡を発見・・・2014年10月、浜松城が本当に在った場所。






■ 独占スクープ! 「幕末の新資料」


○ 新年早々、長州藩士・吉田松陰の直筆の手紙・・・大阪府豊中市・服部天神宮か1858/12/13付け(投獄直前)。



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私なりに調べて、日本史において近年(昨年分だけではない)に変更された項目をピックアップしてみた。
これにより、我々、昭和世代が日本史で学んだ"史実"の幾つもが変更されている!!



■ 愛知県犬山市東之宮古墳から出土された古代鏡《三角縁二神二獣鏡》の金属3Dプリンターを用いた復原によって、"魔鏡現象" (鏡のツルツルした表面に太陽光を当てると裏面の凹凸模様が浮かび上がる現象)が起こることが初めて確認された。


■ 従来、「弥生時代」の始まりは紀元前3~4世紀頃とされて来たが、大気や海水、生物の体に含まれる「炭素14」の変化(半減期)に着目した測定法を使用することによって、弥生式土器に付いていた煤(すす)などを調べた結果、「弥生時代」の始まりは紀元前10世紀に遡(さかのぼ)ることが確認された。


■ 従来、古墳時代における「大和(ヤマト)王権」を 「大和朝廷」と表記して来たため、大和地方を中心に広く九州地方~東北地方に亘って一つの国家行政組織として政治権力が及んでいた印象があった。しかし実際には、瀬戸内海沿岸の吉備地方にも王権を象徴する大規模古墳も存在するため、中国・四国地方に加えて東北地方にも支配が及んでいなかったことを踏まえ、「朝廷」の使用を止めて 「王権」という表記に止めるようになった。



■ 従来、日本最大の古墳を「仁徳天皇陵」と呼んでいたが、宮内庁が調査のための発掘を認めていない現状において、確定することはできないため、今日では「仁徳天皇陵」との呼び名が用いられなくなり、「大仙(陵)古墳」と表記されるようになった。


■ 従来、聖徳太子 [戒名。本名は厩戸(うまやど)皇子] の肖像画とされて来た「聖徳太子像」は、別人の可能性が出て来たため、断定調を避けて "~の肖像画と伝えられている" という表現に変えて、「伝厩戸(うまやど)皇子像」と記載されるようになった。


■ 従来、「大化の改新」は、、645年とされていたが、645年は中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我氏を暗殺したクーデター「乙巳(いっし)の変」という表記となり、政治体制を刷新した「改新の詔」が発布された646年を以って、「大化の改新」の始まりと変更されている。


■ 従来、「平城京」の読み方は、呉音読み寄りの「へいじょうきょう」と漢音読み寄りの「へいぜいきょう」が併記されて来た。厳密に読むと、先に伝わった全て呉音ならば「ひょうじょうきょう」、全て漢音ならば「へいぜいけい」となってしまう。そこで今のところは最も普及していると判断された混交読みの「へいじょうきょう」に統一することとなった。


■ 日本最古の貨幣は、「和同開珎」(かいちん・かいほう)に変わりはないが、1999年に奈良県飛鳥池遺跡から「富本銭」が出土した。但しこれは、厭勝銭(ようしょうせん)と言う通貨として見なされない副葬品の「まじない銭」であるため、日本最古の硬貨だとして区別されている。


■ 従来、源頼朝の肖像画とされて来た「源頼朝像」は、別人の可能性(1995年、足利尊氏を補佐した副将軍格の足利直義とする説)が出て来たため、断定調を避けて「伝源頼朝像」と記載されるようになった。



■ 従来、鎌倉幕府が成立したのは、" いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府" と覚えた1192年とされて来たが、今では1185年とするのが定説となっている。変更理由は、1185年に壇ノ浦で平家を滅亡させた源頼朝が、朝廷に全国への守護・地頭の設置を認めさせて実質的な政権支配が移ったと考えられるからである。1192年の根拠となっていた征夷大将軍の任命は、頼朝が朝廷から軍事権力を奪うために敢えて任命させた官位で、地位としては1190年に任命の右近衛大将よりもずっと低い。


■ 従来、「足利尊氏像」と思われていた肖像画が、別人の足利家の執事・高師直(こうのもろなお)もしくはその子たちと判明し、代わって「伝平重盛像」が尊氏その人との説が有力となっている。


■ 従来、「倭冠」は日本人の海賊集団であり、中国や朝鮮半島の沿岸部を荒らし回ったとされて来たが、実は、中国や朝鮮の人々が海賊集団一般を指した呼称と分かり、中国や朝鮮出身の人々も多く含まれていた。しかも14世紀末頃になると「倭寇」の主力は朝鮮の高麗人となり、16世紀になると中国人が主力となっていたのである。


■ 従来、「慶安の御触書」は、将軍・徳川家光の慶安期に江戸幕府が農民統制のために発令された幕令とされていたが、元禄期に甲斐藩領地の幕府役人が発布した農民教諭書が広まって行った可能性が高いと見られるようになった。


■ 従来、江戸時代までの近世特有の身分制度や上下関係として、「士農工商」という表現が定説のように使われて来たが、1990年代に入って、「士農工商」は存在しないことが実証的研究から明らかとなった。


■ 従来、江戸時代の日本は、「鎖国」体制を取り東アジアのなかで孤立していたかの記述が一般的だった。確かにヨーロッパやアメリカに対しては閉鎖的ではあったが、長崎のみならず対馬・薩摩・松前各藩を窓口として、中国・朝鮮・東南アジアの諸国と交易を続け一定の関係は保っていたので、全方位の「鎖国」を堅持していた訳ではなかった。
【参考】 私のブログ NHK-E高校講座/ 日本史「江戸時代の鎖国に対する誤解」


■ 従来、松尾芭蕉の紀行文は、「奥の細道」と漢字表記していたが、「おくのほそ道」という自筆原本が発見された(1996年)。