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「震災20年~がんばろう神戸をもう一度~(あの時を忘れない)」開催
オリックス・バファローズは、1995年の「阪神・淡路大震災」から20年を迎えた、1/17(土)正午、
ほっともっと神戸で、
95年シーズンにリーグ優勝したオリックス・ブルーウェーブのコーチ・選手らを含む、森脇浩司監督を始めとする首脳陣、青濤館・神戸第2で自主トレの選手、ドラフト指名の新人選手9人らが、
グラウンドに整列し、震災の犠牲者の御霊に黙祷を捧げた。
2015/01/17
1995年1月17日、未曾有の被害をもたらした「阪神・淡路大震災」。
当時のオリックス・ブルーウェーブは、このシーズンを通して「がんばろうKOBE」のキャッチフレーズのもと、復興を目指す神戸市民のシンボルとしてペナントレースを戦い、悲願のパ・リーグ制覇を果たし、あれから20年経過した。
日刊スポーツ1/17(土)配信
森脇浩司監督は、当時ダイエー・ホークスの現役選手で、福岡在住ながら実家は兵庫で知人も多く被災した。「ひと言では言い表せない、いろんな思いが交差する。あらためて大変なことだったと思う」。今シーズンを迎えるにあたり「節目の年でもあり、いかなることがあっても(優勝を)実現したい。課せられた任務だと思う」と力を込めた。
デイリースポーツ 1/17(土)配信
オリックスは、地震発生の95年当時は神戸に本拠地を置いていた。「がんばろうKOBE」を合言葉に仰木彬監督(故人)の下、イチローを中心としたチームで快進撃を続け、球団初となる優勝を勝ち取り被災地に明るい話題を届けた。
現在の首脳陣には、福良淳一ヘッド・星野伸之投手・小川博文打撃・大島公一2軍打撃・平井正史2軍投手の各コーチら当時の主力が在籍している。
1995/01/17

福良ヘッドコーチは、節目の年に向けた意気込みを口にした。
「何年たっても忘れてはいけない日だと思う。あの日は自宅のある神戸市垂水区にいた。宮古島で行われる合同自主トレに向けて出発する日だった。早朝5時過ぎに自宅を出たが、忘れ物を思い出して、戻ったところに大きな揺れに見舞われた。自宅周辺はそれほど大きな被害はなかったのと、ほかの選手と待ち合わせをしていたので、待たせてはいけないと思って出掛けた。偶然、流しのタクシーがつかまったので、三宮に向かったのだけれど…。到着した街はかつての面影をとどめていなかった。当然、空港に向かうこともできず、やむなく帰宅することにしたが、交通手段は皆無だった。歩くしかなった。途中、三宮から西に向かって長田の前を通ったらもう…。漏れ出たガスのにおい、火事、うねる道路…何もかもが悲惨だった。家族の待つ自宅まで20キロ以上を歩いて戻った。それからの日々は自主トレどころではなかった。自宅は水が止まった。水を求めて神戸市北区に住む同僚の家まで向かったこともあった。このままでは練習にならないと実家の宮崎へ車で帰ることにした。真っ暗なんですよ。道が。西の方は被害が少なかったはずなんですけど。岡山に入って街の明かりが見えてホッとしたことを覚えていますね。キャンプ地へ選手は各地からバラバラで入った。『どうなるんだろうか』という不安を抱えてのスタート。それでも開幕を迎えるとたくさんのファンがグリーンスタジアム神戸(現・ほっともっと神戸)を埋め尽くした。ファンに勇気をもらい、ファンと一つになって球団初優勝へと突っ走った。だれにとっても忘れられないシーズンになった」。
あれから20年。ヘッドコーチという立場でシーズンを迎える。
「20年だからというのではないけど、区切りの年ですから勝ちにこだわってあの感動をみんなで喜べたらいいと思います」。
かつてのV戦士は19年ぶりの優勝へ思いを新たにした。
(以上、デイリースポーツ・達野淳司記者)
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1995/09/20
また、オリックスでは、今年の4月18日(土)・19日(日)に、ほっともっとフィールド神戸での対埼玉西武ライオンズ公式戦を、「震災20年~がんばろう神戸をもう一度~(あの時を忘れない)」と題して開催する。
この企画は、神戸市のプロジェクトである「震災20年継承・発信事業」への参画要請を受け、震災の経験や教訓を次世代に伝えることを目的に実施するもの。
試合では、森脇監督以下、コーチ・選手全員が95年当時の復刻版BWユニフォームを着用する。
尚、18日(土)は、神戸市の久元市長も来場予定。
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【私事】
1995年の震災時の我が家(私は47歳)は、埼玉県に在ったので揺れは小さかったのですが、当時の仕事上、大変お世話になっていたお客様のお母様が震災で亡くなられ、後日、西宮で行われたご葬儀に弔問で訪れました。
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