ブログネタ:韓流ブームは終わった? 参加中私は終わった派!
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2003年からの「冬ソナ」でブレイクした韓流ブームは、
~2012年の李明博、2013年~の朴槿惠という両大統領が取った、過激な対日攻撃の政治的パフォーマンス/ アクティヴィティによって、
完全に冷え切ってしまった。
極東アジアの善隣/ 平和外交の停滞を憂う者としては、
自分自身の韓国との接点なり交流なりを顧みながら、復活を願いたい。
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私が韓国という国を知ったのは、60年余り前の1952年(昭和27年)、幼い5歳の頃からである。
石川県の干拓前の河北潟を挟んで内灘海岸の向かい側に住んでいた私は、
当時、朝鮮戦争(1950~53年)のための米軍射爆場・弾薬庫が置かれた内灘海岸から轟く、
演習の大砲轟音を聴きながら少年時代を過ごしていた。
ところが1952年、韓国初代大統領の李承晩が、マッカーサー・ライン廃止に代わるものとして、
一方的に日本海~東シナ海の洋上に軍事境界線(韓国呼称は平和線)、通称・李承晩ラインを引いた。
それからは、哀れ敗戦国。能登をはじめ日本海側の漁師の多くが拿捕(だほ)され続けた。船舶3百隻強・抑留者約4千人・死傷者44人。
李承晩ラインは、親日派の朴正煕大統領との国交正常化に伴う日韓漁業協定(東京オリンピック64の翌年1965年)まで続いた。
私は、子供心の中に、理不尽な大統領から取って代わった米日韓三極の蜜月路線の朴正煕に親しみを感じたものだった。
しかし、私が社会人8年目の1979年に暗殺された。
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1970年代後半、高度経済成長を遂げ、オイルショック(1974~75)に耐えた日本経済は、やがて来る80年代のバブル経済期を控えて、
OAブームにあった私の会社(総合電機メーカー)も、これからは軽薄短小、輸出促進の時代だと事業シフトを進めていた。円高・・・1ドル=297円(75年)⇒227円(80年)・・・の荒波に。
そんな折、先ずオフコン(パソコン開発前)を西ドイツや韓国へ輸出する商談があり、私個人も韓国企業の大韓電線から迎えた研修生のお世話を指示された。
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80年代後半に入り、通産省(現・経産省)の指導の下、日本のコンピューターメーカーは将来のソフトウェア・クライシス(SE不足)に備える一環として、
基本ソフト生産性の向上プロジェクト(Σ計画)、アジア企業へのアブリソフト開発協力(海外外注)を指向した。
1985~88年に再び私は、雙龍(双竜)自動車財閥の子会社・双竜コンピューター、帝国データバンクの提携先・韓国データバンクの窓口業務を指示された。
そんな縁で、麻布の在日領事館や赤坂の韓国クラブ・・・黄色いシャツ(1961)、釜山港に帰れ(1972, 日本語79)※、等々・・・に出入りしている中、
ソウルオリンピック88が真近かに迫った初冬、ソウルで日本の分散情報処理をテーマとした講師を依頼され、初めて韓国に出張した。
早朝から日本語の勉強会を行う韓国企業の若手社員の眼は輝き、
世紀の祭典を待ち侘びるソウルは活気に溢れていた。
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2003年のドラマ「冬ソナ」大ブームを口火として、"韓流ブーム"が過熱。
一旦、沈静したかに見えたが、2005年からのドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」、東方神起を筆頭に少女時代・KARAなどK-POPが人気を博し、裾野が大いに拡がった。
この間、日本列島は韓流色に染まり、新大久保のコリアタウンばかりか幅広い日本女性層が韓国に渡った。我が娘も然り。
★ 私が観た韓流映画 (カッコ内は日本公開年)
「八月のクリスマス」(1999)
「シュリ」(2000)※
「JSA」(2001).
「猟奇的な彼女」(2003)
「大統領の理髪師」(2005)
「My Son ~あふれる想い」(2007)
「あなたを忘れない」(2007、合作)
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しかしながら、2012年辺りから人気は下落した。
新しく登場するタレントのどの顔も似かより過ぎ。
追い撃ちを掛けるように、2012年8月の李明博大統領自らの竹島上陸強行・天皇謝罪要求などを契機として、日本国内に嫌韓感情が急激に広まった。
ブーム終息にダメを押したのが、2013年2月の朴槿惠大統領の就任。
誕生した瞬間は私なんぞは心から喜んで期待した。父上の故・朴正煕への回顧からだった。
その期待は完全に裏切られ、その後は泥仕合。
"告げ口外交" "硬直外交" と国際的な批判を浴びる朴さん。
一方、大人になって接近すべきところを、靖国参拝で逆撫でする日本の閣僚。オバマさんに仲介してもらっても、焼き肉は好きですしか言えない情けない外交手腕。
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昨年夏、久し振りに新大久保のコリアンタウンを歩いてみると、閑散としていた。
韓流ブームは消滅し、日韓は冷え切った"冷戦"のような外交関係。
両国の政権交代が同時に実現しない限り、ムリムリな状態なのである。
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