ブログネタ:死語といえばなに? 参加中
「死語」と思われる言葉は、挙げ出したら切りがない程、多い!?
そこで、私の幼少期から高校生までの時期==1952年(5歳)~1965年(18歳)==で、
自分や周囲の友達が使っていた言葉で、死語になっていると思われる言葉を挙げたい。
1953年
「むちゃくちゃでごじゃりまするがな」
吉本興業の重鎮(じゅうちん)・花菱アチャコ(1897~1974)が、ラジオのバラエティ番組「アチャコ青春手帖」や浪花千栄子(1907~73)・共演の「お父さんはお人好し」と、それらの映画化で一世風靡(ふうび)した流行語。
「滅茶苦茶(めちゃくちゃ)でございますなあ」の関西訛(なま)り。
だらしない亭主・アチャコが、しっかり者の嫁・浪花千栄子から、厳しく窘(たしな)められた時に発する。現代なら差し詰め「無茶言いなさんなって」。
1958年
「イカすぜ」
当時、人気沸騰の石原裕次郎(1934~87)・主演の日活映画「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」「錆(さ)びたナイフ」「明日は明日の風が吹く」「風速40米(メートル)」などで、盛んに使われ、当時の様々な歌手の歌謡曲に採り入れられたり一般の若者間のホメ言葉の流行語となった。
少し前の近代なら「カッコいい」、現代なら「イケてる」に当たる。
ところが、この言葉は元々は軍隊用語だったのだと言い、かなり昭和の長い間、死語とはならなかった。
イカす裕次郎&エルビス
「神様、仏様、稲尾様」
プロ野球・パリーグ (埼玉西武ライオンズの前身) 西鉄ライオンズのエース・稲尾和久投手(1937~2007, 背番号24)は、1957年に35勝、58年に33勝を挙げた。
特に読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは、第1戦・2戦・3戦を稲尾で敗戦し3連敗と追い込まれた。4戦も稲尾でようやく初勝利し第5戦でも稲尾はリリーフ登板すると自らのサヨナラ本塁打で勝利投手となった。6戦・7戦では2日連続の完投勝利で、とうとう西鉄が3連敗後の4連勝という大逆転日本一を成し遂げた。優勝時の地元新聞・西日本スポーツ紙には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが踊った。稲尾は「当時は投げられるだけで嬉しかった」と振り返った。
今日の先発投手は中5日前後であり15勝なら沢村賞候補級。
昭和の長い間、世間では、組織で頼れる人物□□にここ一番の場面では、「神様、仏様、□□様」と手を合せて拝んで(おだてて)頑張ってもらっていたものである。
1961年
「お呼びでない?…こりゃまた失礼いたしました!」
日本テレビの人気バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」(1961~72年)で、当時、人気グループ「ハナ肇とクレージーキャッツ」の植木等(1926~2007)が、期待していない上に場違いの登場で行動をすると、メンバー一同が睨(にら)む。すると、植木は「お呼びでない?イッヒッヒ。こりゃまた失礼いたしました」とおどけてみせると、一同ズッコケる。
当時、中高生だった我々の中でも、ひょうきん者はしばしば活用していた。
差し詰め今日なら、KYだったことの自虐ネタを発することかな。
1962年
「あたり前田のクラッカー」
朝日放送=TBSの人気を博した公開TVコメディ時代劇「てなもんや三度笠」(1962~68年)では、
スポンサーの前田製菓・ランチクラッカーのPRを兼ねて、主演の藤田まこと(1933~2010)が番組のオープニングで、「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」という駄ジャレ・フレーズを発しながらカメラに差し出すと、お寺の鐘がゴーン!と鳴って観客拍手。
その他に、「耳の穴から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたる!」というギャグもあった。
当時の我々小中学生達は、よく前田のクラッカーを食べながら、真似たものだった。
1963年
「ガチョン」(後に「ガチョーン!」)
「ハナ肇とクレージーキャッツ」に加わったコメディアン 兼 トロンボーン奏者の谷啓(1932~2010)は、「ガチョン」「ビローン」「ムヒョーッ」といった各種のギャグを編み出して人気を博し、特に、追い詰められた時やオチとしてタイムリーに使った「ガチョン」は愉快だった。
これらの擬態語の造語は、どうも谷らメンバーが親しむ麻雀のゲーム中に、指を動かし(牌を引き)ながら一喜一憂する寸芸らしかった。
「シェー!」
「週刊少年サンデー」(1962~67年)に連載され日本全国を席捲(せっけん)した、赤塚不二夫(1935~20008)の漫画「おそ松くん」の劇中で、嫌味(いやみ)な男・イヤミは散々、イタズラや悪事(今日の苛め)をやらかすが、主人公の六つ子(おそ松・カラ松・チョロ松・一松・十四松・トド松)によってボコボコにやっつけられると、手足を曲げたポーズを取って「シェーッ!」と奇声を発する。
当時、このポーズは国民的に認知され、各界の有名人から果ては1966年来日のザ・ビートルズ、1970年大阪万博を訪れた当時10歳の徳仁親王(現・浩宮皇太子)までもが、受諾してお取りになった。
我々の高校時代には、先生から急にテストだと言われると、クラス全員が「シェーッ!」と驚いてみせたものだった。
現代のカメラの前で「Vサイン」じゃないけど、まだやるの? と感じつつも長い期間、続けられたが、流石に70年代に入ると下火になって行った。
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