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松本清張氏が亡くなったのは、1992年8月4日(満82歳、享年84)。
先日の「清張日記」に続いて、未読だった「グルノーブルの吹奏」を図書館で手にした。
単行本「グルノーブルの吹奏」は、同名の講演記録・・・「小説現代」に1988年1月掲載・・・をはじめ、エッセイ・コラムなどを集めた"雑文集"と言うべき単行本として、新日本出版社が1992年11月に刊行した。 松本清張氏(1992逝去)のような日本政治の闇に鋭くメスを入れる(動機を設定する)推理・現代史作家が、オウム事件(~1995)、福島原発問題(2011~)の現代に登場してほしい。
そういう意味では、山崎豊子氏(2013逝去)も惜しかった。
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この機会に、晩年の1986年以降の軌跡を選んで年表にしてみた。
【松本清張氏 1986年以降の軌跡】
■ 1986年6月、名作「点と線」の英訳本を刊行。
「点と線」は、実は英訳だけなら1970年に既に行われたそうだ。
1982年、仏訳「Le rapide de Tokyo」・・・Masque社。
1986年6月、英訳「Points and Lines」・・・講談社インターナショナル社。ニューヨーク・タイムズ紙上で、伝統的なものではあるが息もつかせぬ探偵小説だと紹介された。
尚、 名作「砂の器」は2003年7月に「Inspector Imanishi Investigates」・・・Soho Crime社、
名作「霧の旗」は2012年7月に「Pro Bono」・・・Vertical社。
■ 1987年10月、フランス東部グルノーブルで「世界ミステリ祭~第9回世界推理作家会議」に招待され、日本の推理作家として初めて出席し講演。
※ その講演記録が単行本「グルノーブルの吹奏」であり、その抜粋は下記に掲載。
帰国後、日本の推理小説の真価を海外に知らせるため、外国語翻訳がもっと行われるべきであると主張した。
また、グルノーブル原子力発電所、その他ヨーロッパ各地に絡んだ推理長編を構想し1992年明けに中央公論社と執筆を約束、初夏にはヨーロッパ取材する予定だったが、帰らぬ人となってしまった。
■ 1989年6月10日付け遺書。
遺書には「自分は努力だけはして来た」(詳細は未確認)などと記されていた。日付はヨーロッパ取材旅行の前日となっていた。
■ 1991年1~2月、短編集「草の径」・・・文藝春秋社・単行本1991年7月。
「老公」「ネッカー川の影」「死者の網膜犯人像」「『隠り人』日記抄」「モーツァルトの伯楽」「呪術の渦巻文様」「夜が怕い」を収録。
■ 1992年1~5月、時代小説「江戸綺談 甲州霊嶽党」・・・単行本未刊。
「週刊新潮」1992年1~5月連載、病気のため休載、9月遺稿発表。
2009年11月再掲。
■ 1990年3月~92年5月、長編推理小説「神々の乱心」・・・未完のまま文藝春秋社・単行本1997年1月。
「週刊文春」1990年3月~92年5月連載、病気のため休載。
■ 1992年5月、「グルノーブルの吹奏」
下記※ の17編を収録(collection of 17 sort works)。
「あとがき」を書かないまま死亡。
■ 1992年4月20日、脳出血のため東京女子医科大学病院に入院し手術は成功したが、7月に病状が悪化、8月4日に肝臓癌で逝去。
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「グルノーブルの吹奏」・・・新日本出版社・単行本1992年11月。
グルノーブルの吹奏
==時系列に並べ替えました==
9「私の中の日本人 ~松本峯太郎・タニ」・・・「波」1975/2掲載
8「江戸川乱歩論」・・・「幻影城」1975/7掲載
1「調べ推理する楽しみ」・・・「波」1976/11掲載
2「倫敦(ロンドン)犯罪古書」・・・「オール讀物」1977/2掲載
10「私感・戦後史 ~事件と報道操作」・・・「諸君!」1977/6掲載
11「近い眺め ~追悼・和田芳恵」・・・「新潮」1977/12掲載
12「いまだ見ぬ花 ~ぼくのマドンナ」・・・「日本経済新聞」1979/5掲載
13「葉脈探究の人 ~木村毅氏と私」・・・「オール讀物」1979/12掲載
14「あのころのこと」・・・「オール讀物」1980/8掲載
15「立読み半生の記」・・・「複刻・日本の雑誌 解説」1982/6掲載
3「日本最古の暗号文学」・・・「別冊文藝春秋1982/夏」掲載
4「『史料』と『西域探検』 ~私の読書」・・・「図書」1982/12掲載
6「フリーメーソンP2マフィア迷走記 ~ヨーロッパ取材記」・・・「別冊文藝春秋1984/秋掲載」
==1986年以降==
5「未完短篇小説集」・・・「小説新潮」1986/2掲載
7「グルノーブルの吹奏」・・・「小説現代」1988/1掲載
日本では1924年ごろになって、はじめて創作探偵小説が出ましたが、その作家は前述のエドガワ・ランポです。・・・ 乱歩は謎解きを主体とするtrickyな小説を書いていました。こういうのを日本ではgenuine school(本格派)と呼んでいます。・・・ そこには日本の伝統的な趣味が入れられ、詩情があります。また心理的描写もその分析が鋭敏であります。乱歩の出現を契機として推理作家があいついで輩出しましたが、どれもトリックや意外性を主体とした「本格派」であります。しかし、・・・ 犯行動機に説得力がなかったり、背景となる「社会」が欠落したりしています。
わたしはこれらの点を残念に思い、推理小説といえども人間を描く小説の一分野にちがいないから、「もっと動機を」と主張しました。犯罪に「動機」を書きこむとき、それは社会のメカニズムの解明にもなり、政治機構にもメスを入れることになり、またじっさいの犯罪を解剖する犯罪小説にも通じます。
第二次大戦後、アメリカ文学が輸入され、とくにヘミングウェイの影響からハードボイルド派のミステリー小説が輸入され、よく読まれるようになりました。・・・ しかし、これは現状ではかならずしも盛行とはいえません。その原因の一つは、アメリカ流の「非情」がそのまま日本には通じにくいことでありましょう。・・・ 外国の探偵小説は凶器としてピストルがよく使われます。・・・ 日本では市民がピストルを護身用として持つことを許されてないばかりか、それを所持しているだけでも厳重に罰せられます。
トリックそのものについていえば、日本のものはイギリス派の申し子だけに、およそ論理的で、現実性があります。メカニックなものはあまり用いられません。いうなればドイルとチェスタートンとクリスティの系統です。
「点と線」の犯罪動機は「官庁の汚職」です。当時、日本ではじっさいに官庁汚職があいついで暴露し、検察当局の取調べを受ける前に、上層部への波及を憂える下僚の自殺が続出していました。その自殺がもし他殺であったら、波及を恐れるだれかの手による偽装自殺であったら、というのが、この発想になりました。「汚職」が殺人事件の動機というのは欧米の探偵小説にはあまり見られないのではないでしょうか。
さきほど「時間トリックの小説」に官庁汚職の背景があったことを申しましたが、この背景を主役として引っ張り出しますと、政治的事件の解明ということになります。敗戦後、日本ではアメリカの占領政策下におかれましたが、その期間、さまざまな奇怪な、未解決の事件がしきりと起こっております。わたしがこれらを推理して題したのが "The Black Mist in Japan"(日本の黒い霧)です。・・・ このようにしてわたしは「現代史」に分け入りましたが、このことは「歴史の粉飾」を推理によって剥(は)ぐという作業にも通じます。
==遺言が書かれた1989/6/10以降==
16「運不運 わが小説」・・・「新潮45」1990/1掲載
1989/10/15小平市の松明堂書店本店の特別講演会速記録。
「或る『小倉日記』伝」は、最初は直木賞委員会にかけられました。そのころは直木賞委員会と芥川賞委員会は別の日に開かれていた、今は同じ日ですけど。直木賞委員会では、委員の永井龍雄さんが、この候補作は芥川賞委員会にかけたらどうかということで、数日後に芥川賞委員会にそれが回された。もし今のように、直木賞委員会と芥川賞委員会が同日の晩に開かれたならば、わたしの運はなかったでしょう。
17「文学の森・歴史の海」・・・「讀賣新聞」1990/11掲載
小説の舞台となる土地は、そこを最初から使おうと考えているわけではないんだ。「ゼロの焦点」では、・・・ 初めは、別の取材で金沢に調査に行った。目的とする取材のほうが、どうにもモノにならなくて、仕方がなく能登の西海岸へ回った。・・・
「ゼロの焦点」を書いているときに、女主人公の最後の地として、このときの旅の印象がふと浮かんだ。書いているうち作中のヒロインには情が移るもので、自殺させるにしてもむごい状態にしたくない。そこで遺体が出てこない方法を考える。日本海の荒波と雲が重く低くたれこめたうらさびれた風景がそれにマッチすると考えた。
「点と線」の場合も、・・・ 国鉄と西鉄の両方の香椎駅はわずか百メートルしか離れていないが、その間の夜の町がさびしい。その印象を生かしたかった。
血族をテーマにしたものでは、小さいが「家紋」という小説がそうだった。※「家紋」・・・「小説新潮」1967年4月号に掲載。家紋というのは家系の象徴。それを延長すれば天皇制がなぜ続いたかという問題につきあたる。それは血族の系統主義にあったと思う。だから、武家権力者でも天皇に代わることができない。日本の指導者層に系統主義がしみこんでいるから、天皇を倒してとってかわろうとする権力者が出てきても、周囲が認めなかった。万世一系の天皇制はそれでつづいた。
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