「武田鉄矢の昭和は輝いていた」#80

「美脚ファッション」



BSジャパン10/29(水)20:00~21:00

【ゲスト】
鳥居ユキ(ファッションデザイナー)、奈美悦子(女優)、姫田幸宏(福助クリエイティブ本部)。

【司会】
武田鉄矢(アーティスト)、須黒清華(テレビ東京アナ)





この番組を観ながら、時々、NHK-BS1の日本シリーズを覗いた。


今回のテーマ「美脚ファッション」は、昭和40年代(1965~74年)における
ミニスカート、ストッキングなど若い女性のファッションを語るに格好のテーマである。

武田鉄矢さん(1949年生まれ)と同じ戦後ベビーブーマーの私(47年生まれ)の、
高校3年生(65年)~独身社会人(74年)の時期に当たっている。







【番組概要】


「戦後、強くなったのは "女性と靴下" 」と度々言われて来たように、社会進出し始めた女性たち。
それに伴いファッションは様変わり。
膝下(ひざした)だったスカートの丈は、1967年のツイッギー来日を皮切りに、一気に短くなり脚を露出するようになった、「一大ミニスカートブーム」!! が起きた。
その後は、ストッキングなど、女性たちの美脚を支えるファッションアイテムが続々登場。
脚を細く見せる裏技も出現。
相次ぐ技術革新を遂げ、圧倒的にストッキングが支持されるようになった文化背景。


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【ストッキングの日本史】


▽ ナイロンとナイロン製ストッキングは、1937年、米国デュポン社有機化学部門リーダー、W・カロザースによって発明され、1940年に発売された。
ナイロンモノフィラメント繊維で生産され世界中に普及した。
当時は筒状に編み立てる技術がなく、縫い目篝(かがり、シーム)のある靴下。


後に、ナイロンとポリウレタン糸で編まれたシームレスストッキングが開発され画期的!!


▽ 日本上陸は1952年。
厚木編織(後の厚木ナイロン工業)が、シームレスのストッキングとタイツの製造・販売に着手し、61年から本格的な国内販売を開始した。


しかし当時は、脚に何も着用していないように見えるのが好まれず、売れ行きははかばかしくなかった。


▽ 63年、米国で世界初のパンティストッキングが開発され発売された。全米の女性の間で大ブームとなった。


60年代、プレタポルテの台頭に加え、若者ファッションのストリートファッションの影響力も強まり、後半になって、ロンドンのストリートデザイナー、マリー・クワントが若者向けに、ミニスカートを売り出した。
65年、イギリスのアンドレ・クレージュがオートクチュールでミニスカートを発表し、モデルのツイッギーが着用してブームを呼び起こし、ミニスカートは世界中に大ブームを巻き起こした。


▽ 67年10月、ツイッギーが来日!! 旋風を起こしてミニスカートを流行させた。


65年、帝人が日本初のミニスカート「テイジンエル」を発売。
67年、野際陽子さんがパリから帰国した際に着用。
同年、あの演歌の美空ひばりさんがミニスカート姿で『真赤な太陽』を歌い脚光を浴びた。

 
  

更に同年、西野皓三( こうぞう)さんは、日本テレビ『レ・ガールズ』を企画・構成・制作し、西野バレエ団の中でも特にエース格であった金井克子・原田糸子・由美かおる・奈美悦子・江美早苗で構成されたダンスグループによって、アイドル性を持ち合わせた本格的なダンスや歌を演出し、当時の若者に熱狂的な支持を受けた。
彼女らの脚線美・ミニスカ姿に魅了された若い女性たちは、自分なりに一歩近づくよう努めた。

 


▽ 68年、遂に、厚木ナイロン工業(現・アツギ)が、初の国産パンティストッキングの製造・販売に着手。
パンストは、日本女性でも普及の兆しが明らかになって来たものの、当時は伝線した物を修理する業者なども存在した程、まだまだ高級かつ稀少だった。


そしてやがて、「女性とパンストは日増しに強くなった」と形容される程、普及が顕著となり、技術の進化で伝線や劣化のし難い商品が開発される。
パンストは当初の着用法としてパンティをはかずに着用することを想定していたが、日本女性達の恥じらいからパンティに重ねて着用した。

 武田鉄矢さんは、当時、パンティ + ストッキングという言葉を聞いただけで、ダブルでバクバクした! と述懐していた。僕たち皆、思春期の男の子だったもんなあ~。

 女子のスカートは日増しに短く、武田さんも私らも髪は日増しに長くなって行ったのだ。



▽ 70年代を迎え、都市部の若い女性だけに止まらず、世代を超えて全国津々浦々に広がりを見せた。
それでも、当時の多くの一般女性のミニスカート姿は、ぽっちゃり太めの脚のひざ丈よりほんの少し短く、ちょっぴり恥じらい、我々男性の目に初々しくも嬉しく映った。


70年の大阪万博。多くのパビリオンのコンパニオンの制服を筆頭に、スチュワーデスから婦警の制服に至るまで普及するに至ったのである。

70年の大阪万博
 
71年の新宿歩行者天国