エッセイ集 「サラダ好きのライオン ~村上ラヂオ3」

村上春樹・文

大橋歩・画
葛西薫・装丁

「村上ラヂオ」シリーズの3作目として、2012年7月、マガジンハウスより刊行された単行本。
『anan』(2011/3~2012/4号)連載 +  『GINZA』(2012/4号)掲載を集め、加筆修正。

タイトルの「サラダ好きのライオン」とは、滅多にない珍しいことの喩(たと)え。








区立図書館から借りて読んだ。小説と違って速読できた。

若い女性専門雑誌向けのエッセイにしては、本音ベースで綴られている⇒「まえがき」。
村上流自然態。


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【2011年以降の著作 私のブログ】


[小説]

・色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文藝春秋社2013年4月)  http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11512904707.html

・恋しくて―Ten Selected Love Stories (中央公論新社2013年9月)  http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11621829295.html
  恋するザムザ Samsa In Love (書き下ろし)  http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11611436748.html

・女のいない男たち (文藝春秋社2014年4月) http://ameblo.jp/ashhrr/day-20140315.html
    ドライブ・マイ・カー (『文藝春秋』2013年12月号) http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11675190211.html
    イエスタデイ (『文藝春秋』2014年1月号) http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11737093011.html
    独立器官 (『文藝春秋』2014年3月号)  http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11770286050.html
    シェエラザード (スイッチ・パブリッシング『MONKEY』2014年2月号)
    木野 (『文藝春秋』2014年2月号)  http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11756353651.html
    女のいない男たち (書き下ろし)

[随筆]

・村上春樹雑文集 (新潮社2011年1月)  http://blogs.yahoo.co.jp/tsn_take/162756.html
・おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2 (マガジンハウス2011年7月) 未読
・サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3 (マガジンハウス2012年7月) http://ameblo.jp/aauasks/entry-11944455588.html


[翻訳]

・私たちがレイモンド・カーヴァーについて語ること (中央公論新社2011年6月) 未読
・恋しくて TEN SELECTED LOVE STORIES (中央公論新社2013年9月)  http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11621829295.html
    翻訳9編
・セロニアス・モンクのいた風景 (新潮社2014年9月) 未読







【共感したフレーズ】・・・全52編から抜粋させて頂きました。



0.「まえがき」

もちろん「アンアン」の読者の大半は若い女性だし、もちろん僕はもうかなり高いレベルのおっさんだし、両者のあいだには共通する話題なんてほとんど存在しない(はずだ)。しかし「共通する話題なんてない」といったん腹をくくってしまえば、逆に気楽に好きなことが書ける。相手が何を思うかなんてとくに考えずに、自分の書きたいことを、自分が面白いと感じることを、好きなように楽しくすらすら書いていれば、それでいいじゃないか。潔(いさぎよ)い開き直りの精神。その一方で、もし僕みたいなおっさんが、おっさん雑誌向けに連載エッセイを書いていたら、ついその「おっさん同類性」を意識したものを書いてしまうかもしれないし、それはあまり面白くない。


2.「ブルテリアしか見たことない」

男が怒る場合、そこにはおおむね「こうこうこうだから怒る」という筋道がある(それが適切かどうかはともかく)。でも女の人は、僕が見たところ、多くの場合そうではない。普段はとくにめくじら立てるでもなく、穏やかに見過ごしていることでも、それが怒る時期にたまたまあたっていれば怒るし、それもかなり真剣に怒る。俗にいう「地雷を踏んだ」みたいなことになってしまう。結婚した当初は、何が起こっているのかさっぱり理解できなかったのだが、回数を重ねるうちに「そうか、そういうことなのか」とおおよその仕組みがわかってきた。相手が怒っているときは防御を固め、おとなしくサンドバッグ状態になるしかない。自然災害に正面から立ち向かってもまず勝ち目はないからだ。


3.「愛は消えても」

わかりやすい文章を書くには、まず自分の考えをクリアに整頓し、それに合った適切な言葉を選ばなくてはならない。時間もかかるし、手間もかかる。いくぶんの才能も必要だ。適当なところで「もういいや」と投げ出したくなることもある。


11.「死ぬほど退屈な会話」

そこ(英会話)で大事なのは「流ちょうに話す」ことよりは「相手に伝えるべき内容を、自分がどれだけきちんと把握しているか」ということになる。つまりどんなにすらすら英語が話せても、話の内容が意味不明だったり、無味乾燥だったりしたら、誰も相手にしてくれない。英語を「社用語」にしようという日本企業も出てきたみたいで、まあそれも大事なんだろうけど、同時に「自分の意見」を持てる人を育成することがもっと大切じゃないかと、僕なんかは思います。


13.「知りません、わかりません」

きっと人にとっていちばん大事なのは、知識そのものではなく、知識を得ようとする気持ちと意欲なのでしょうね。そういうものがある限り、僕らはなんとか自分で自分の背中を押すように、前に進んでいくことができる。


16.「僕の好きな鞄(カバン)」

僕はどちらかというと、最近流行のキャスターつきの小型スーツケースはあまり好きではない。重いし、がらがらとうるさい。舗装のないところでは役に立たないし、故障も多い。それよりは自分の力で持ち運べる、ストラップつきのシンプルなバッグが好きだ。僕にとっては「便利なものは、必ずどこかで不便になる」。だから旅行に持っていくものは、単純であればあるほど良い。

19.「プレゼントする人、される人」

プレゼントを選ぶのがうまい人を見ていて思うのは、選び方にエゴが入っていないことですね。たとえ優れた服装のセンスを持っていても、多くの人は「この服は自分が気に入っている」とか「この服をあの人に着せてみたい」とか、自分がという気持ちが先に立つ。ところが見立てのうまい人は、自然に相手の立場に立ち、相手の気持ちになってものを選ぶ。こういうのは、身も蓋(ふた)もない言い方だけど、きっと生まれつきの資質なのだろうな。個人的な意見をひとつ言わせてもらえれば、世界でいちばん選ぶのがむずかしいプレゼントはネクタイです。そしていちばんよくもらうのもネクタイだ。


26.「楽しいトライアスロン」

年をとるということを、いろんなものを失っていく過程ととらえるか、あるいはいろんなものを積み重ねていく過程ととらえるかで、人生のクォリティーはずいぶん違ってくるんじゃないか、という気がする。


28.「秋をけりけり」

高校生の頃、深夜机に向かって勉強(だかなんだか)をしていると、窓ガラスにこつんと小石があたって、ふと外を見ると、友達が手を振っていた。「海岸に行ってたき火でもしないか」というので、一緒に海岸まで歩いて行った。そして流木をいっぱい集めて火をつけ、とくに何を話すともなく、砂浜で何時間もその炎を二人で眺めていた。でもそこまで暇を持てあます時期って、一般の人生においては残念ながらそれほど長くは続かない。


33.「たくさんの人の前で」

ずいぶん昔、NHKの教育テレビの番組に出演を依頼された。いつものように「顔をあまり表に出したくないから」と言って断ると、担当のディレクターは「あのですね、村上さん、うちの番組の視聴率は2パーセント以下です。ほとんど誰も見ていません。そんな心配されることありませんよ」と言われた。「ふーん、なるほど、そんなものか」と一方で思いつつも、「ちょっと待てよ。そういう問題でもないだろう」とも思った。「すぐ終わるから」と言って女性に性行為を迫っていたやつが知り合いにいたけど(世の中にはけっこう変な人がいる)、NHKの人の言いぶんはちょっとそれに似てますよね。そう言われて、「そうか、すぐ済むのならいいよ。ちょっとやろうか」という女のひとはまずいないですよね。


34.「昼寝の達人」

自慢ではないけど、僕はよく昼寝をする。そしてきっちり三十分で目が覚める。すると頭はすっきりして、気持ちは前向きになっていて、すぐに仕事の続きにかかることができる。昼寝をするときには、いつも音楽を小さな音で鳴らしておく。室内音楽かバロック音楽をかけることが多く、かけるCDはだいたい決まっている。


37.「コップに半分」

小説家にとって、また創作家一般にとって、基本が楽観的であるというのは大事なことじゃないかと、常々思っている。たとえば長編小説に取りかかるときは、「よし、これは絶対に完成できる」という確信を持つ必要がある。「私の能力ではこれを書き終えることはできないかも」みたいなことを考え出したら、まとまった仕事なんてできなくなってしまう。


38.「二番じゃだめなのか?」

いくら相手がでかくて、歯が立ちそうになくても、なんとかやっつけてやろう、知恵をしぼってそのポジションを脅かしてやろうという気迫があれば、そこに新鮮な発想、新しい機軸が生み出される。


45.「信号待ちの歯磨き」

女性関係についていえば「あのとき、やろうと思えばやれたんだよな」といケースは何度かありますが、それはとくに後悔するほどのことではない。やれたけどやらなかったというのは、僕は思うんだけど、いうなれば可能性の貯金みたいなものだ。そういう貯金のぬくもりが、時間の経過と共に、僕らの時として寒々しい人生をじわじわと温めてくれるようになる。とにかくやればいい、というものではないっていうのが、今週の村上の結論です。


47.「ワシントンDCのホテルで」

アメリカ人について考えるときに、力と金がすべてというタイプと、あくまで社会の公正さ(フェアネス)を信じるタイプ。どこの国だって、もちろんそういう図式はあるんだろうけど、アメリカの場合、その落差がとても大きいみたいだ。前者に会うと「ああ、もうこんなところいやだ」と思うし、後者に会うと「でもなんのかんの言っても、アメリカってちゃんとした国だよな」と思う。


49.「濡れた床は滑る」

よく「美しい日本語」とか「正しい日本語」とか言われるけど、美しいもの、正しいものは人それぞれの心の中にあるのであって、言葉はその感覚を反映させるツールに過ぎないんじゃないか。もちろん言葉は大事にしなくちゃいけないんだけど、言葉の本当の価値は、言葉そのものよりも、言葉とそれを用いる人の関係性の中にあるのではあるまいか。


52.「椰子(やし)の木問題」

インターネットで調べていたら、産まれてくる子供に「椰子」と名前をつけて、「ココナッツ」と読ませたいという、妊娠中の女性からの書き込みをみつけた。「そういう名前のつけ方を他人から批判されるとむかつく」ということだ。もちろん自分の子供に好きな名前をつけるのは親の権利であり、僕としてはとやかく言うつもりはまったくないんだけど、それにしても、うーん、むかつくむかつかないかで、そう簡単に世界を二分されちまってもなあ……という気はした。