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10/4(土)14~17時、インターFM「RADIO DISCO」を聴いた。
今秋から放送時間が、金曜⇒土曜日に変更され、"Saturday Afternoon Fever"と唱う。
ミラーボールは欠かせない! 80年代のキラキラ輝く記憶が蘇える。
70~80年代のディスコ全盛期のリアルタイムミックス、90年代のクラブ全盛期のサウンドも加えてディスコカルチャー完全網羅。
DJは、DJ OSSHYさんと亀井佐代子さん。
DJ OSSHYこと、押阪雅彦
・・・1965/10/1東京都方南町生まれ、高井戸東育ち。父母は有名な押阪忍さんと栗原アヤ子さん。
1981年、渋谷の「ラ・スカーラ」、「CANDY CANDY」という伝説のディスコ店で修行・デビュー。
80年代のディスコシーンをリードして来た。
1990年に米国オクラホマに留学、1991年に横浜FM放送に入社、2003年に退社。
クラブDJ活動を再開、伝説のディスコ「キサナドゥ」DJなどクラブDJ活動を再開した。
現在は、六本木「ナバーナ」のDJ、ディスコ・イベント「ファミリー・ディスコ」のプロデュースなどを務める。
「犯罪の無い、健全なディスコカルチャーを伝達する」ことを使命として活動中。
亀井佐代子
・・・1971?/11/3東京都渋谷生まれ・育ち。本名: 亀井・シーナ・佐代子。ペルーの作曲家の祖父を持つチリ人の父。
米国オレンジカウンティ・チャップマン大学の放送ジャーナリズム学科卒業。
少女期より、渋谷⇒六本木⇒天王洲のディスコで活動して来た。
ヴァージン・メガストアーズ店内DJを経てラジオDJとして活動中。
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【オンエア曲目リスト(SET LIST)】
14:11 "STAYIN' ALIVE" BEE GEES
14:13 "MORE THAN A WOMAN" TAVARES
14:16 "IF I CAN'T HAVE YOU" YVONNE ELLIMAN
14:19 "A NIGHT IN NEW YORK" ELBOW BONES & THE RACKETEERS
14:21 "REAL LOVE" JODY WATLEY
14:25 "SAX A GO GO" CANDY DULFER
14:34 "I MISSED AGAIN" PHILL COLLINS
14:37 "HOLD ME NOW" THE THOMPSON TWINS
14:40 "WITH OR WITHOUT YOU" U2
14:44 "EYE IN THE SKY" THE ALAN PARSONS PROJECT
14:47 "SAY IT ISN'T SO" HALL & OATES
14:49 "LESSONS IN LOVE(REMIX)" LEVEL 42
14:53 "BREAKOUT" SWING OUT SISTER
15:03 "SHINE ON" GEORGE DUKE
15:05 "ON THE BEAT (REMIX)" B.B.& Q.BAND
15:09 "SKIP TO MY LOU" FINIS HENDERSON
15:12 "I WANT YOU" GARY LOW
15:16 "KNOCK ME OUT" GARYS GANG
15:18 "MISS ME BLIND(REMIX)" CULTURE CLUB
15:21 "QUEEN OF THE RAPPING SCENE" MODERN ROMANCE
15:25 "BOOGIE OOGIE OOGIE(REMIX)" A TASTE OF HONEY
15:33 "SWEET FREEDOM" MICHAEL MCDONALD
15:38 "SWEPT AWAY" DIANA ROSS
15:40 "MARIA MAGDALINA" SANDRA
15:45 "BRAND NEW LOVER" DEAD OR ALIVE
15:48 "VENUS" BANANARAMA
15:52 "AFTER THE LOVE IS GONE" AIRPLAY
15:56 "SWEET BABY" STANLEY CLARKE & GEORGE DUKE
16:10 "REALLY INTO YOU" AROUND THE WAY
16:12 "I MAY BE SINGLE" ELISHA LA'VERNE
16:15 "GOODY GOODY" LISETTE MELENDEZ
16:18 "INFORMER" SNOW
16:20 "HIP HOP HOORAY" NAUGHTY BY NATURE
16:24 "COME ON" CHARLIE
16:27 "FUNKY SENSATION" MUSIC & MYSTERY
16:39 "THE NIGHT OWLS" LITTLE RIVER BAND
16:42 "CRYIN' ALL NIGHT" AIRPLAY
16:45 "CALL ME" BLONDIE
16:48 "THE BREAKUP SONG (THEY DON'T WRITE 'EM)" GREG KIHN BAND
16:50 "SHAKE IT UP" THE CARS
16:53 "MICKEY" TONI BASIL
16:55 "WE GOT THE BEAT" THE GO-GO'S
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【日本のディスコの歴史】(70年代後半~90年代前半)
・・・Wikipediaなどから引用させて頂きました。
■ 私の独身の終り頃、74~75年にはソウルやR&Bの人気が根強いほか、ディスコティックの兆しがあって、蒲田や赤坂辺り(店の名は覚えていない)へ、会社の独身男女で踊りに行っていた。私はツイストしか踊れなかったが、チークタイムにはドキドキしたものだった。
ボルテージが最高潮を迎え、全力を出し切って踊った後にチークダンスタイムがあった。ミラーボールが一転、メローな曲とともに穏やかな光を投げ始めると、男女が頬を寄せ合って抱き合わんばかりに密着して体を前後に揺らし始める。
■ ところが、1977~78年、ジョン・トラボルタ主演映画 「サタデー・ナイト・フィーバー」が爆発的にヒットし、新宿・渋谷・池袋・赤坂・上野などの繁華街に多数のディスコ店が開業した。
更に、追い撃ちをかけるように、「ダンシング・クイーン」(ABBA)が上陸し、国内では「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(西城秀樹)、「UFO」(ピンクレディー)が大ヒットした。
原宿の歩行者天国(ホコ天)で竹の子族が出現したのもこの頃。
しかも、これらの夏は長くて暑く、夏の若い女性の露出(タンクトップ、ノーブラ派生商品)が目立った。
■ また、1970年代終わりから1980年代初めにかけては、ディスコの定番となる曲が数多く生まれた。Chicのような本物のブラック・ミュージックも存在したが、多くはドナ・サマーやBee Gees、アラベスク、ジンギスカンなどは、踊らせることだけが目的のサウンドだった。
さらに、YMOのもたらしたテクノブームが新宿のディスコにも影響を与えた。
JUNやROPEのモノトーンスーツ姿がフロアのダンサーの大半を占めた。
この頃の東京を代表するディスコは、新宿の「ツバキハウス」、「ワンプラスワン」、上野の「ブラックシープ」、浅草の「シャトー」などであった。
しかしながら1982年、新宿ディスコ殺人事件が発生したことから、深夜営業の禁止・未成年者の入店規制など取締りが強化され、新宿のディスコは衰退した。
恐ろしい麻薬MDMAは、1978~1985年のレクリエーション・ドラッグ「エクスタシー」として、北米に爆発的拡大。1990年代前半から、日本の六本木のディスコ・クラブなどから流通し始めた。
■ 1984年の風営法改正により「ディスコ」は深夜営業ができなくなる。その際に風営法を申請せずに小規模で営業する店が便宜上日本では「クラブ」と呼称されるようになる。風営法を遵守している「ディスコ」と脱法の「クラブ」の奇妙な混在。
その頃のディスコブームを象徴するのが六本木スクエアビル、渋谷「ラ・スカーラ」が人気店となった。共通するのがサーファーブームに乗った「サーファーディスコ」である。そしてこの頃のディスコの主役は女子大生であった。スポーツ系のブランド服を基本としてレイヤードのヘアースタイルがファッションの特徴。
■ 1980年代半ばからハイエナジー(ユーロビート)ブームが起こり、全国的に人気となり第2次ディスコブームが発生する。当時のディスコの曲は、よりポップス調を強める一方で、ストック・エイトキン・ウォーターマン(PWLサウンド)によるプロデュース作品や、イタリアからのユーロビートに代表されるような、コンピュータを用いた打ち込み系の音楽が多く使用され始めるようになる。
このユーロビートから生まれた振り付けダンスがパラパラ。 都内では、麻布十番「マハラジャ」、青山「キング&クイーン」、六本木「エリア」「シパンゴ」、日比谷「ラジオシティ」などが人気店になった。 このブームは、大阪「マハラジャ」、福岡「マリアクラブ」、金沢「サムライ」など全国的に波及した。
しかし1988年、鳴り物入りで登場したばかりの六本木「トゥーリア」で、電動の巨大照明バリライトが天井から落下し、死者3名・負傷者14名を出す事故が発生し都内のディスコブームは衰退し出した。
■ バブル経済期において、東京では従来、倉庫街・物流関連施設が立地しているに過ぎなかった湾岸地区が「ウォーターフロント」と呼ばれ、六本木周辺の地価高騰から新たな再開発地区として、またプレー・スポットとして注目を集めるようになっていた。
1987~89年、「MZA有明」、「オーバー2218」、「サイカ」、「ゴールド」、「横浜ベイサイドクラブ」などのナイトクラブやディスコが次々誕生した。
六本木の高級店では、ドレスコード(ダサい奴は入店させない)を採り入れたこともあり、女性はボディコン派(馬鹿っぽいスマイル・踊りまくる)と肩バットスーツ派(キャリアウーマン)とに二分化して行った。
そして1991年、巨大ディスコ「ジュリアナ東京」が芝浦に開業し、ユーロビートに代わって人気となったテクノサウンド(レイヴテクノ)が流された。 ボディコンの女性たちが、羽根付き扇子「ジュリ扇」を振り回し、高さ約130cmの巨大お立ち台で踊るといった現象がみられるようになった。女性客のなかにはセクシーさを争う者も現れ、若い女性が燃え盛る時代に突入した。
(アメーバニュースより、2008年9月9日復活したジュリアナ東京)
バブル末期の当時の私は40代半ば。芝浦ウォータフロントで働く身ではあったが、既に若者と行動する情熱は薄れ、専ら大衆割烹~銀座クラブに繰り出していた。
==以下、略==
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