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NHK-Gの朝の連続テレビ小説『マッサン』が9/29(月)から始まった。
日本初となる国産ウィスキーを造りたいという一念で、スコッチウィスキー造りの本場スコットランドへ1918年(大正7年)に留学した、マッサンこと亀山政春。
そこで生涯の妻となるエリーと運命的に出会い、マッサンはエリーを連れて日本に帰国する。
外国人妻を認めない母・早苗や、マッサンを待ち続けた婚約者の田中優子と対立するも、亀山とエリーは結婚し、夢である国産ウィスキー造りを進めて行くというストーリー。
作品の主人公モデルとなったのは------
ニッカウヰスキーの創業者で日本初の国産ウィスキーを作った竹鶴政孝(1894/6/20広島県竹原町生まれ~1979/8/29、85歳)。
妻・リタ・・・ジェシー・ロバータ "リタ" カウン(Jessie Roberta “Rita” Cowan、1896/12/14英国スコットランド・グラスゴー近郊生まれ~1961/1/17、64歳)。
竹鶴政孝ことマッサンは、広島・竹原の造り酒屋三男として生まれ、大阪高等工業学校(現・大阪大工学部)醸造科を卒業後、大阪の摂津酒造に就職した。ウイスキー製法を学ぶためスコットランドに派遣され、グラスゴー大学応用化学専修に留学中のマッサンは、医学部に在籍していたリタの妹エラが弟ラムゼイへの柔術指南を依頼し、カウン家でリタと出逢った。彼女は第一次大戦で婚約者を亡くし経済学部に在籍していた。マッサンはリタに求婚。「あなたが望むなら、日本に帰るのを断念し、英国で職を探してもいい」というマッサンに、リタは「私たちは日本へ向かうべきです。日本で本当のウイスキーを造るマッサンの夢を、私は手伝いたい」と。
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この機会に、日本と英国の交流史をスタディしてみた。
【日英の交流史年表】
1600年
オランダ船リーフデ号が豊後(現・大分県)に漂着し、英国人航海士(ナビケーター)のウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針)が徳川家康の外交顧問となる。1613年、平戸に到着したジョン・セーリスが、ウィリアム・アダムスの仲介により、英国王ジェームズ1世の国書を徳川家康に奉呈し、通商許可が出され正式な国交が始まる。東インド会社が平戸に商館を設置する。
1623年
モルッカ諸島アンボンでオランダ軍に英国商館員全員が虐殺された事件により、英国は東南アジアから先の貿易を断念しインドに集中特化した。これにより平戸・商館を閉鎖し日英関係は事実上断絶する。
1808年
英国船が長崎・出島のオランダ商館を襲撃する事件が勃発したため、徳川幕府は英国などの外国を強く警戒するようになる。1825年、幕府は異国船打払令を発布する。
1840年
英国がアヘン戦争を仕掛けて清朝を圧倒し香港を獲得する。日本への飛び火を恐れた幕府は、1842年に異国船打払令を撤廃する。
1854年
日英和親条約を調印する。1858年、日英修好通商条約を調印し、米国同様に関税自主権制限・治外法権承認など、不平等条約が強化される。日本初の公的英語教育機関・長崎英語伝習所が設立される。
1859年
江戸高輪の東禅寺に英国総領事館が開設される。ジャーディン・マセソン商会の代理人としてスコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーが長崎に来日し、日本の政財界人と深い人脈を形成する。
1862年
攘夷論の薩摩藩士が英国人を殺害する生麦事件が発生、その後も英国人襲撃が相次ぐ。1863年、生麦事件の報復として大英帝国海軍が薩摩を砲撃する薩英戦争勃発。以後、薩摩と英国は和平関係に入る。
1864年
攘夷論の強い長州藩が関門海峡で外国船を相次いで砲撃し下関戦争勃発。報復で英・仏の海軍によって下関砲台が占拠され長州は降伏。
1870年
薩長藩閥を中心に構成された明治政府は、大日本帝国海軍を編成。大英帝国海軍を模範とした組織整備を進める。
1871年
横浜山下町のカルノー商会が日本市場向けの「猫印ウヰスキー」を輸入販売開始。
(ウィスキーマガジンhttp://whiskymag.jp/whiskyhistoryinjapan_2/ より、
猫印ウヰスキー)
1872年
岩倉使節団の英国訪問。日本最初の鉄道を開業、建設には英国人技術者が深く関与。英ロイター通信社が日本に初の支局を開設。
1894年
日英通商航海条約を調印し、治外法権を撤廃。
1896年
英アイルランド人のラフカディオ・ハーン(日本名・小泉八雲)が日本に帰化。1904年、「怪談」を出版する。
1899年
田中銀之助が慶應義塾生にラグビーのルールを伝授。
スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(Auld Lang Syne、英times gone by)が、小学唱歌集の編纂に際して日本語歌詞「蛍の光」となり、1881年に尋常小学校の唱歌集初編に掲載される。
1900年
夏目金之助(後に漱石)が文部省より英語研究のため英国留学を命じられるが、留学中に神経衰弱に陥り、1902年に帰国。しかし、その後、相次ぎ名作を世に出す。1905年「吾輩は猫である」、1906年「坊ちゃん」、1907年「虞美人草」、・・・。
===日英同盟===
1902年
ロシアの領土拡大南下戦略に対抗し、日英同盟が調印される。1904年、日露戦争が勃発。英国は日本の戦争公債引き受けなどで強く支援し、辛くも日本が戦勝となる。
1911年
日本の対ロシア善戦を評価し、日米通商航海条約、日英通商航海条約が相次いで改正され、関税自主権を回復し不平等条約が完全に解消する。
1914年
ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発。日本は日英同盟を根拠して参戦する。国内世論反対を押し切って地中海や東アジアで集団自衛行動を貫き、日英両国軍の協力でドイツを陥落させる。更に1918~22年の長きに亘って、シベリアへ出兵しロシアの干渉を続ける。
1918年
竹鶴政孝がスコットランドに渡り、キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所で実習し、1920年に帰国し、実習報告書(=竹鶴ノート)として提出する。
1921年
日英米仏の四か国条約により日英同盟廃止が決定、1923年に正式に失効する。
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以下、文化面を中心に記す。
(サントリーHPより、白札の新聞広告)
1929年
国産の大麦と英国のピートを使用して、日本初の国産ウイスキー「白札」(現・サントリーホワイト)が発売される。
1934年
竹鶴は寿屋を退職して大日本果汁(現・ニッカウヰスキー)を設立、北海道・余市蒸溜所を建設する。
===日独伊三国同盟===
1936年
余市でのウイスキー蒸留が始まり、1940年に「ニッカウヰスキー」と名付けられ発売される。一方、1937年に改良の成果である「角瓶」(現・サントリー角瓶)が、1940年に「サントリーウイスキー黒丸」(現・サントリーオールド)が発売される。
(アサヒビールHPより、ニッカウヰスキー第一号と竹鶴ノート)
===日米同盟===
1966年
ザ・ビートルズが東京・日本武道館で日本公演を開催する。ジョン・レノンは1969年に小野洋子(ヨーコ・オノ)と再婚する。
1975年
エリザベス2世が英国王として史上初の訪日を果たす。
1986年
日産自動車がイングランド北東部のサンダーランド工場で本格稼働を開始、日本車メーカー初の完成車英国生産。英国王室のチャールズ皇太子夫妻が日本を訪問しダイアナ妃ブームになる。
1990年
ローリング・ストーンズとポール・マッカートニーの日本公演が実現。
2002年
日本で2002FIFAワールドカップ開催(韓国と共催)。イングランド代表が出場しベスト8進出、主将のデビッド・ベッカムが日本でも人気を得る。
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【参考】
★ 私のブログ
「昭和後期 (1960~80年代) のお酒の歴史と私」 (2009/01/24投稿)http://genkinagochan.blog.ocn.ne.jp/doranyanko/2009/01/part_0e99.html
という記事で、ウィスキーとの関わりを書いたことがあります。
★ 私は、ヨーロッパに3度、業務出張しており、その中にロンドン一泊があります。
国連のITU(International Telecommunication Union, 国際電気通信連合) / CCITT(Comite Consultatif International Telegraphique et Telephonique、国際電信電話諮問委員会。現・ITU-T)が、4年に一度、スイスのジュネーヴで開催する通信分野では世界最大級の「テレコム」フォーラム&フェア。
91年10月の「テレコム91」が迫っていた3月に、会社の準備委員会事務局の仕事として事務局長のお伴で、ジュネーヴとローザンヌへの出張を命ぜられ、ロンドン、ドイツのハノーバとジュッセルドルフへの訪問も旅程に組み込まれました。
その時の往きの便はBOACで、機内では当時は珍しい個別シートでの映画鑑賞ができ、スコッチウィスキーを傾けながら日本公開前の「ゴースト/ ニューヨークの幻」を観たので、快適なフライトでした。
バッキンガム宮殿前ではツーリスト目当ての記念写真詐欺師にも出逢いましたし(事務局長の機転で難を逃れ引っ掛からず)、噂のブリティッシュ食も美味しく、晴天のロンドンの一日を過ごせました。
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