私は手取り月収22~23万円の現場作業員をしています。

2024年からは2万円減って20~21万円になる予定です。

共働きで家族4人なんとか生活しています。

 

もう34歳になるんだけど、

まさか自分が34にもなって手取り20万程度だとは思ってなかった。

新卒と変わらないっていう。

正社員だからボーナスも一応あるけど、少ないし。

 

でも自分が選んだ道。

自分の性格、特性に合わせて、ずっと続けられる仕事にした。

求められたことに自信をもって応えられる内容の仕事で、

身体を動かすことが好きだし、健康にも良い。

地元で、自宅から近く、土日祝は休み。

高収入の人は収入以外の面を捨てているんだと思って、

自分の収入の低さを正当化している。

 

そして、週末は週末で、趣味の撮影を活かして(?)

業務委託のブライダルカメラマンをしている。

仕事を振ってくれる制作会社はだいぶ融通を利かせてくれていて助かっている。

だから、単価が相場より低いけど、続けてこれた。

自分で式場と直接契約すれば単価を上げることができるんだろうけど、

撮影以外の仕事に時間も手間もかけたくない。

この収入は月平均4万円ぐらいあるのかな。

撮影の仕事は不安定な収入なので生活費にはせずに妻と折半して、

お小遣いにしている。

 

今後、5年後、10年後を考えた時、

今と同じだったら嫌だなぁ。

それに、いつか身体が思うように動かなくなったら今と同じように働けないし、

その時にも収入が今と同じぐらいはあるように、今から何か考えないと、と思っている。

社会人になってから、お金のことばっかり考えている。

資産家でもない限り、我々労働者にとってはそれが当たり前か。

 

 

 

最近年をとったと感じることが多い。 仕事では現場作業員をしているが 腰が痛くなった。 最近ずっと痛い。 これは年を取った証拠なんだ。 顔のシワも増えた 。 お風呂に入らなかった翌日は 本当に臭い。 物覚えも悪くなった。 使える言葉も減ったし 。 もう若くない。 人前で 鼻をほじるし おならだってしてもいい。 どう思われたって いい。 正真正銘のおっさん。

年を取るということは 諦めていくこと というのを何かで読んだ。 実感を持って 日々 この言葉が 真実らしい と思えてきている。 いつまでも呑気に生きていたいけど そんなこと今更できない。 毎日 自分が 死ぬことを考えている。 怖い。 今が 永遠に続けばいいと思っている。 でも カレンダーの 月日は 止まらないし 気づけば 2月も終わる。 3月も すぐに去るんだろう。

私の母は41歳の時に 自殺をした。 私ももうすぐその年齢になる。 年を重ねる度に 母の気持ちがわかる。 血が繋がっているから。

体質であったり 考え方であったりそういったものが しっかりと 遺伝している。きっと私は母に似ているのだろう。

過去を思い出しては後悔して 将来のことを考えては不安に思う。

社会では生きづらいし 仕事なんてしたくない。 できることならずっと家にいたい。 でもそんなこと許されない。 


突き詰めれば 将来私は死ぬ。 この日々は ただ先へ向かって歩いて行く日々だけど その先にあるのは 崖。 生きている以上 これは運命なんだろうけど。 崖へ向かって歩いていく日々にどんな意味があるんだろうか。 

この日々を楽しめないのならいっそのこと やめてしまった方が幸せなんじゃないだろうか。


死は怖いものだと考えていた。 でも最近は少し考えが変わってきている。 多分 寝ているのと同じようなものなんだと思う。 私たちは毎日寝ている。 夜になったら寝て 朝になったら起きる。 寝ている間 考えることはできないし 意識はない。 夢を見ることはあるけど 私は最近全然夢を見ない。 であれば私は毎日 死を疑似的に体験しているのだろう。

毎日夜になったら体験していることなんだから もう怖くないでしょ 。

それに 死ぬということは 私が生まれる前に 戻るということ。 元に戻るというだけの話。 自分が生まれる前の時代のことを テレビ などで 見ると あーこの時自分は存在していなかったんだと。 今はたまたま生きているけど この世界の果てしなく長い歴史の中で見れば 自分が 生まれて今生きていること。 それは 本当に一瞬のことで かっこよく言えば キセキで。 本当にたまたまなことで。 生きているだけで儲けもんだと思える。 ほんのこの一瞬の人生 寿命が来るまで生きても 自分の好きなタイミングで終わらせても同じような気もする。 まあでもせっかくだから 寿命が来るまで 生きていたい。 今はそんな気持ち。