浴場を出ると、テテュスはディングレーに抱きついた。
「同じ、香りだ!」
ディングレーは笑ってテテュスを抱き上げ、その頬に顔を寄せて香りを嗅ぎ、言った。
「うん・・・同じだな!」
いつもは滅多ににこりともしない強面のディングレーが心から笑う様子を、ギュンターもゼイブンも目を丸くして見た。
「あいつ、実は子供好きなのか?」
ローフィスは馬の側で手綱を引き、二人に振り向き、素っ気なくつぶやく。
「そうらしい」
ディングレーはテテュスを腕に抱いたまま、振り返った。
「だってテテュスは、可愛いだろう?
アイリスの息子に思えない」
皆が一斉にアイリスを見、途端彼は顔を、下げきった。
果樹園から庭に戻ると、ごった返しが収まりつつ、あった。数人の騎士が行き来し、召使い達に飲み物を振る舞われ、屋敷では大勢の召使いが忙しく、血の付いた外階段やテラスを、拭いて居る。
だがアイリスや騎士達を見つけると、皆が微笑んで会釈した。
まるで、嵐から護ってくれた守護神に、心からの感謝を捧げるみたいにして。
庭で報告を受けていたライオネスが、アイリスを見つけ顔を上げる。
「・・・報告を受けた酒場にも出向き、縄打たれた賊を逮捕し、総勢が62名にものぼる」
オーガスタスが、ため息混じりにつぶやく。
「思ったより、少ないな」
ライオネスが、オーガスタスを呆れたように、見た。
「剣士じゃなく、盗賊なのに?
剣士より厄介でしょう?」
ディングレーがぼそりとつぶやく。
「それは確かに、そうだ」
「奴ら、金品を奪う為にあまり真剣に立ち向かって来ないで、時間稼ぎばかりしませんか?
あなた方のような強い相手には余計に、そうでしょう?」
ギュンターは下向き、吐息を吐く。
「・・・マトモにかかって来たのは、俺が賞金首だと知って追いかけて来た時の、奴らだけだ」
ライオネスが、頷いた。
「最近この辺りを狙う一味の間で、近衛、もしくは中央護衛連隊の騎士に賞金がかかってる。隊長を仕留めれば大金が貰えるそうだ。
一度連中に、情報を流さねばと思っていた矢先だ」
ギュンターが、聞いた。
「情報?」
ライオネスは頷く。
「軍は長が死んでも、幾らでも後釜が居る程層が厚く、幾ら殺しても無駄だと」
ギュンターは近衛の名物色男、年上の部下、ディンダーデンと同じ濃紺の瞳をした、がその弟よりも年長でうんと落ち着きのある、若々しく凛々しいライオネスを見た。
「・・・だがあんたが狙われて死んだら、美人の奥さんが泣き崩れるぞ・・・」
ライオネスは癖の無い艶やかな濃い栗毛の長髪を揺らし、ギュンターを、そっと見た。
「ソフィスに、会ったっけ?」
ギュンターは、頷く。
「一度だけ」
ライオネスは笑った。
「君の記憶に残る位の美人だから、彼女の後を引き受ける男も多数居るだろうな」
ギュンターは俯くと、ぼそりと言った。
「だが彼女はあんたにぞっこんだ。
いつ死んでもいいように言うのは、彼女に残酷だろう?」
ライオネスはついそっと、ギュンターに顔を傾けた。
「別に彼女に、惚れてないだろう?」
ギュンターはその男を見て言った。
「惚れて無い俺ですら、気の毒と思う程だ」
ライオネスは言葉を慎み、ギュンターの気遣いに微笑んだ。
「覚えておこう」
「そうしてくれ」
ライオネスはその場を、去ろうとして、立ち止まった。
「・・・弟・・・ディンダーデンは君に面倒を、かけているか?」
皆がつい、その会話に振り向いて聞き入る。
ギュンターは静かにつぶやいた。
「俺の部下と言っても・・・面倒見られてるのは、俺の方だ。彼が居なければ俺は負傷した部下を担いで、仲間の元迄戻れなかった事が、多々ある」
ライオネスは、笑った。
「“金髪の守護者"の異名を取る君の、それは大層な評価だな?」
ギュンターは素っ気なく、言った。
「だが、事実だ。
本来は彼が隊長を任ずる筈だが、他人の面倒を見るのが大嫌いで自分に向かないと俺に譲った。俺が死んだら今度こそ自分が隊長を引き受けるしか無いから、仕方なく俺を、護ってる」
ライオネスは、くすくす笑った。
「・・・無茶をするなと、伝えてくれ。
それと女遊びは控えるようにと。
次々に隠し子が発覚しても、俺は面倒見ないとも」
ギュンターは肩をすくめた。
「伝えておこう」
ローランデ始め、皆がギュンターを見つめて彼を迎えた。ギュンターが、ローランデの横を通り過ぎ様、そっと告げた。
「覚えてるだろう?俺の同じ隊の、ディンダーデンの兄貴だ」
ローランデは、頷いた。
シェイルが、それを聞き、びっくりしてライオネスを見つめ直した。
「随分、奴と印象が違うな」
オーガスタスが、頷く。
「兄貴は立派で、弟はギュンターとつるんで、酒場で女を口説く楽しみを男達からかっさらう、遊び人だ」
ゼイブンが、唸った。
「ディンダーデン?都の酒場で女達から、よく聞く名だ」
オーガスタスが肩をすくめ、ゼイブンはその素晴らしく背の高いオーガスタスを見上げて、訊ねる。
「長身で体格のいい、アイリスみたいな焦げ茶の髪の、いけすかない流し目の色男だろう?」
ギュンターがゼイブンを、見た。
「お前にいけすかない色男と、呼ばれてもな」
ディングレーが、二人を見て言い捨てた。
「女を取っ替え引っ替え遊ぶ所は、ギュンターも含め、どんぐりの背比べだ」
思わず、ゼイブンとギュンターはお互いを見て、怒鳴り合った。
「こいつと、一緒にするな!」
二人の声が揃って、全員の笑い声が、上がった。
つづく。