眠るのが怖いと、ただひたすら感じるときがある。

今だってさっきまで、2時間前に家に帰ってきて
1時間りんごの香りのお風呂に入って

ふぃーあったまったーお風呂って最高。

と思っていたはずなのに。



その「時々」の頻度は、もちろんずっと前から比べたら増えたんだけど
そんなときは、ただ自分の中にある思考の渦に身を任せるようにしている。

ただ、部屋にひとりなのででかい声で叫んだり
見えない相手に語りかけたりするわけにはいかない。怪しいし。

怪しいというか、その思考の渦は、私の中にある私にしかわからない(であろう)ことなので、たとえ相手がいても語りかけないけども。


だからただひたすらに考える。

だけども、何度かいろんなところで言ってきたように
私は、私の心が動いた、ということを残しておきたいと常日頃から思っていて。

思考の渦の中で感じたことや気持ちの変化や、たくさんの気づきを残しておきたい、と。

思考の渦というのは

眠れないときに発生する=眠るための支度をする前後=強制的に夢の中に引きずり込まれる前

に発生するものなので
寝て起きたら

( ゜д゜)?!

みたいな状態だったりすることも多くてですね。
(典型的B型思考)

だが、そんなときに浮かんだ考えとか気づいたこととかって
実は、ほんとにほんとの、自分に正直な気持ちとかなんじゃないかって思っているのです。

だからできるだけ残しておきたい、と思う。

そうすると。
思考を残すには、ことばにするしかないって事実をいつも痛感する。


人間って不自由な生き物でね。ことばを獲得した私たち人間は、ことばなしでは生きていけないんだって。
それは、思考や認識がことばに引っ張られるからなんだって。無意識に脳がことばを想起するんだって。
(某大学入試の課題図書よりw)


ことばを使って自由に気持ちを表現できるのが人間なのに、
知っている「ことば」で表現できる以上の「きもち」や「こころの動き」がある。


語彙を増やすために、いろんな表現ができるように、ことばについて勉強したり
「動いたこころを残しておきたい」と思うから、それを表現できる「ことば」を探して、見つけてきたのに

人間って、不自由で不器用で、不思議だから
どうしても、「ことば」で表現できる枠を越えた「こころの動き」や「きもち」が生まれてしまう。

もどかしいけど、なんか暖かい気がする。
人間の暖かさって、そういうところにある気がする。

そのもどかしさを何とかしたい、表現したい、残したい、と思って
「こころ」をぴったり表す方法を手繰りよせたくて
私はまた、
本を読んで
音楽を聴いて
楽器に触れて
誰かを信じるんだと思う。

そういうのも悪くない。

ということで、今日も思考の渦は、残せず仕舞いです。

でもこんなことを考えていたら、書きはじめる前はトゲトゲしていたこころも、ふんわりする、ふしぎ。