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ロアルド・ダール氏の「来訪者」(田口俊樹訳)を読んだ。


同書に収録されているのは表題作のほか、「夫婦交換大作戦」「やり残したこと」「雌犬」の四短編です。

「来訪者」は、ある日、甥のもとに鉄道便で、頑丈な木箱が贈り届けられる。開けてみると、オズワルド叔父からの二十一巻におよぶ日記だった。


オズワルド叔父は一族の中でも、伝説化している破天荒な英雄、その日記を読んでみると、そこには叔父が世界各国を旅し、各国で繰り広げてきた波瀾万丈の人生、男女のロマンス・冒険が書かれてあった。


ステッキとクモの収集家でもある叔父は、砂漠でサソリの収集を行っていたが、愛車ラゴンダが砂漠の小さな給油所で故障してしまう。そこを通りかかったロールスロイスに乗ったミスター・アジスに助けられ、その豪邸に泊まることとなったオズワルド叔父だった。美しいアジスの妻と娘に歓迎され、一晩のアバンチュールへと誘われるが…というストーリー。


「夫婦交換大作戦」は、ジェリーとサマンサ夫妻のカクテルパーティに参加したヴィクとメアリー夫妻、ヴィクは、そこでジェリーにある夫婦が行ったちょっとした悪戯の顛末を話す。


それはお互いの妻を交換して、一夜のベッドをともにすることだった。興味を持ったジェリーは、うちも夫婦交換をしてみようと計画し、ある夜に実行するが…というストーリーです。


「やり残したこと」は、愛する夫を事故で突然亡くし未亡人となったアナは、自ら死のうとするほど悲嘆に暮れていた。しかし、友達が誘ってくれた仕事に打ち込むことで自分を取り戻す。アンは、ある日、ダラスに出張することになる。そこで、高校時代に好きだった元カレに電話をし、ホテルのバーで逢うことになるが…というストーリーです。


「雌犬」は、オズワルド叔父の日記の中から選ばれた奇想天外なエピソードの一つ。


オズワルド叔父は、すべての男たちを虜にする媚薬の開発に投資し、その媚薬の開発に成功する。その媚薬を使って現役大統領に悪戯を企てるが、意外な結末を引き寄せてしまう…というストーリーです。


収録作品は、どれも「プレイボーイ」誌のために書かれた作品ということでアダルトな内容、描写となっています。


「来訪者」はゾッワとする結末になっておりますし、「夫婦交換大作戦」は、男の思い込んでいる俺のベッドテクニックは最高という妄想に一石を投じます。


「やり残したこと」は、甘い昔の記憶、思い出が痛い悲劇と変わる瞬間の物語。

「雌犬」は、強力な媚薬による奇想天外な企てに翻弄される男女入り交じっての滑稽譚であります。


収録作品は、どれも短編の名手たるダールの技が存分に発揮された作品になっており面白いの一言であります。


カサノヴァの「回想録」も色褪せるほどのオズワルド冒険譚をすべて読みたくなってしまいましたね。


導入、展開、結末と、読者の作品世界への引き込み方がとても自然で心地よく、とても上手いです。調和的な登場人物ではなく、癖のある登場人物たちの表情、動きの描写力が作品世界に深みを与えています。


「やり残したこと」で、医者となった元カレが語る煙草の害についてですが、硝酸カリウムは禁欲剤とし使われるという記述がありますが、そのような効果はないようです。


また、巻紙煙草に使われるのは、炭酸カリウムの方だと思うのですが…。
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ポール・オースター氏の「トゥルー・ストーリーズ」(柴田元幸訳)を読んだ。


「赤いノートブック」「なぜ書くのか」「その日暮らしー若き日の失敗の記録」「事故報告」「スイングしなけりゃ意味がない」「折々の文章」からなるエッセイ集であります。


「赤いノートブック」は、オースター自身が聞き及んださまざまな人々の何気ない日常の物語と、その物語が不思議な偶然などで結ばれているという話。


「その日暮らし」は、オースターのコロンビア大学時代や、フランス滞在時代など無名時代の苦労話、自伝であります。


オースターは、虚実を織り交ぜながら小説を書く、虚構としての小説のリアルまたは真実性を追求している作家であります。


そして、人生が紡ぎ出す物語の不可思議な因果にこそ、小説化されるべき真の物語が横たわっていることにこだわっています。このエッセイ集では、氏のそのような態度からなる分析眼がアメリカあるいはニューヨークという移民の街の真実を浮き彫りにしていきます。


これは、まさにニューヨークそのものの息づかいを感じさせます。多様な眼差し、顔、声がアメリカという社会を築いている証が、これを読むものの魂にも共鳴し刻みつけられてきます。

出世作「シティオブグラス」が世に出るまでの貧乏話、苦労話、お金にまつわる話など、作家という職業を選択したならしょうがないべ、という話が満載でジワジワとくる面白さがあります。


弱小出版社の社長さんや、編集者さんいじめないで! 彼らもお金がないし、売れるか、売れないか分からない本で博打はできません。それが資本主義経済の悲しい現実である訳です。


信念を継続して貫く強さとはいかなることかを教えてくれます。家族、妻や子どもを抱えて、明日、未来を想い描くことができない男の焦り、心の葛藤が生々しく伝わってくるので、夢を追いかけている若い人たちに読んでほしい一冊であります。


オースターの描く小説の中に、この時代のさまざまなエピソードが色濃く反映されていることが読むと解ります。


とくに可笑しいエピソードが、追い詰められたオースターが、子どもの頃に遊びで生み出した野球ゲーム、カードゲームを玩具フェアに行き本気で売り込もうと、ビジネスしちゃうエピソードです。


人間追い詰められると冷静な判断、理性がなくなって何でもできちゃうというか、その無謀さが素敵です。ゲームの内容がいくら良くても、やはりユーザーの購買意欲を刺激する商品の体裁をとっていないと無理ゲーでしょう。


しかし、そんな貧乏時代の辛酸な体験があるからこそ、あらゆる階層、人種、イデオロギーの違いに寄り添うことが可能な職業作家としての複眼的な観察力を獲得することができたと言えると思います。


オースターの作家的な成功の陰に、叶えられなかった多くの無名なアーティストが存在し、そのアーティストたちも含めて、時代を感じさせ、方向を指し示す、大いなる意志が生み出されることを感じさせます。


それは、時に大きな対立ともなり、親和ともなり、時代精神の透視図を作り出していきます。


9・11世界貿易センターの崩壊に始まる、21世紀という時代が、狂気と日常との複雑怪奇な融合をみせる今も私たちはあらゆる真実の物語、非道さと優しさ、欺瞞と正しさに押し潰されていたとしても、それを紡ぎ出し、世界に満たされている物語という武器の強さを再確認するのではないでしょうか。
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ポール・オースター氏の「リヴァイアサン」(柴田元幸訳)を読んだ。


一九九〇年六月ウィスコンシン州北部の道端で一人の男が爆死した。新聞に掲載された事件の短い記事を読んだ作家ピーター・エアロンは、爆死した男が自分と交流があり、友人だった同じく作家であるベンジャミン・サックスであることを直観する。


程なくして、ピーターのもとにFBI捜査官が尋ねてきて、爆死した男がピーターの電話番号を書いたメモ書きを所持していたことを告げる。


ピーターは友人サックスがなぜ爆死することになったか、その真相を伝えるべく、二人の出会いから、その数奇で複雑な関係の軌跡を書き留めていく…というストーリーであります。


朗読会が開催される予定だったバーでピーターとサックスは出会い、その才能を認めながら、お互いが小説を書くことで生きていこうとします。そして、家族ぐるみで交流し、親睦を深めていくが、それぞれの家族が問題を抱えて崩壊、ピーターもサックスも心に深い傷を抱えていくことになります。


語り手であるピーターは、サックスとの日々を書くことで、自身の生をも書いていくことになります。サックスを巡る女たちの物語は、ピーター自身の物語にもなってきます。サックスの妻であるファニーとの不倫によって生まれたピーターの罪の意識、写真家マリア・ターナーとの関係、元娼婦リリアン・スターンとサックスの関係など、登場し、その生に関係する男と女たちは、誰もが理想と現実の狭間で翻弄され、混沌とした渦の中に巻き込まれていきます。


誰かの、ちょっとした行為、選択が波紋をつくり、その波紋が誰かに影響を与え、現実をつくると同時に、その現実を乗り越えていくための物語を人生に用意する。用意される物語に影響を与えるのは、それぞれの生い立ちや、選択された生き方、あるいはニューヨークという場所だったり、時代、歴史だったりして、嘘みたいにそれぞれの事態をつなげていきます。


理性より、女の肉体、愛憎に翻弄される男たちの滑稽な姿や、男と女の心理戦の様相は、まさにホッブズの描かんとする自然状態のままです。理性の力よりも、男女として引かれ合ったり、反発し合ったり、それが人間らしさ(=理想)を構築する真の姿なのかもしれません。


人間らしさを忘れた人間たちは、一体どうしたらいいのか? 人間らしさを取り戻すための絶望的な行為、例えば、それはサックスが行っていく各州にある自由の女神像の爆破だったり、ピーターが行う個人史の言葉による物語化の試みだったりするのではないでしょうか。


さて、「リヴァイアサン」という小説の形で提出されたサックスたちの人生を読むことで、私たち、あるいは小説の中のFBI捜査官たちは、サックスの人生をどう理解するのでしょうか? 私にはサックスの爆死が爆発物自作中の暴発などではなく、自爆、自死なのではないかと思われてなりません。


自由の怪人として社会にインパクトを与えることをやり続けるといいながら、ピーターの前から突然消えたサックスの姿には生きるよりも、死によって決着をつけざるを得ない男の哀しい姿を感じました。


徴兵拒否によって国家という居場所にも、不器用にもファニーと別れ、リリアンとその娘マリアとも別れ
、幸せな家庭という居場所にもいる、存在することが叶わなかったサックスという男の生き方、生きざまを否定することはなかなか難しいことだと感じました。

そうであれば、爆発で奇跡的に残りピーターや捜査官にヒントを遺した財布は、わざとサックスが最期に残したメッセージ、この世への痕跡であったのではないでしょうか。


死をもってしても、生への正しい解答を私たちは掴むことは叶わないのです。