退院から一週間が経過した。生活はある程度自由になったが、身体は相変わらず不自由な状態が続いている。退院したあとの方が、いろいろと大変だといえる。生活が大変というより、生きるのが単純にハードモードである。


ものを右から左に移動させること、トイレに入ること、三度の食事を摂ることだけでも大変である。そんなに大変じゃない、普通にできると思われることができないのだ。道のりは険しい。


なるべく入院のときと環境を同じようにするために、週に訪問リハビリと介護施設でのデイケアサービスを二回受けている。訪問リハビリは入院していたところから、リハビリ師さんが自宅に来て、リハビリをしてもらえる。施設と違い設備的には環境が劣るが、身体の麻痺に合わせたストレッチ、身体の動かし方ができるのでありがたい。


介護施設でのデイケアサービスでは、一時間ほどのリハビリと入浴サービスを利用している。朝八時四十分から夕方四時まで施設で過ごすことになる。利用者は高齢者がほとんどで私は一番若い利用者だろう。


リハビリでは、バイク漕ぎや手すりを使った横歩きや後ろ歩きなどをお年寄りに混じってやっている。


入浴は大浴場があり、介助を受けながら入浴できるのでありがたい。


朝と午後に簡単な体操があり、昼の弁当、三時のおやつがあり、それ以外は、趣味やお喋りをして思い思い自由に時間を過ごしている。
退院の日を迎えた。
連休明けなので、お世話になったになった人たちには、金曜、土曜で挨拶しているので、静かな退院日である。


これから東京の住所も引き払ったので、まったく新しい生活が始まる。難儀で、身体の自由が奪われた生活がどのようになるかは、未知数である。


外は車イスで移動し、家の中では四点杖と装具、靴を履いて生活するという生活が始まる。


もう家のなかには手すりや、玄関先にはイス付きの手すりがセッテングされ、ベッドやイスも購入されているという。まあ、初めて行くところなので、あまりイメージできない。


訪問リハビリも週二回、三ヶ月から六ヶ月の予定で明日から始まる。


このリハビリ期間中に、さらにできることを増やし、外をT字杖で歩けるようにしていきたい。身体の自由を獲得できるようにしていきたい。


身体の自由が得られなければ、「山月記」の李徴のように虎となったほうがましだ、などと考えた。最後に病院で中島敦「山月記」を読んだが、むかし読んでいたが、やはり天才的で改めて感動した。


単純なる変身譚ではなく、孤高なる思想と憐れ、獣と人間の狭間に揺れ動く精神の葛藤を見事に描いているなぁ~、と改めて思い至った。


病院で読んだ本は、二十六冊あまりだった。呆けた頭をどれほど覚醒させてくれたか分からない。


最後に、「山月記」を読むことができたのは収穫だった。
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罪を犯した報いとして、罰はあるのだろうか。罰の死と釣り合うだけの罪だったのだろうか。


確定死刑囚になって、月日は幾歳月流れたのだろうか。そとの世界と塀の内側では、まったく時間の流れも、わたしがわたしである有り様も違っていた。そのなかで、わたしが犯した罪がなんであったのかもぼやけ、過去になっていくようだ。


犯した罪が一体なんだったのか、まるで濃い霧のなかにあるようにはっきりとしない。核心の部分だけが閉ざされたように、その姿を見せないのだ。


彼は鉄柵の嵌まった窓から、太陽が西の空に沈むのをじっと眺めていた。


白衣を着た髭の濃い医師が言った。
「お兄さんは、自分が確定死刑囚で、刑務所の中に収監されていると思っています」

「兄は、一度も悪さをしたこともありませんし、何故、自分が死刑囚だなんて思っているのでしょう」

「皆目分かりませんし、非常に珍しい症例です。なにか子どもの頃に、罪深いと思われる行為を行い、そのことが潜在意識に深く刻み込まれているのかもしれません」と医師は深い溜め息を一つついた。

「このまま死刑囚だと思って、兄は死ぬのでしょ兄を現実に連れ戻してやってください。お願いします」妹の瞳から涙が絶え間なく溢れ流れ出した。


私の死刑執行の日が近づいているようだ。看守たちの足音が慌ただしい。私の罪がはっきりしないが、罰の日が近づいているようだ。私の罪は死をもって贖われるものなのであろう。


それは、小さきときに蛙や蝶を捕まえ、嗜虐的に命を弄んだことと同じなのだろう。殺した者は殺されるというあたり前の論理によって、私の命も屠られるのだ。


翌日、彼は心臓発作を起こして、急死したのが発見された。

しかし、その表情はとても安らかであったという。