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昨日はカラオケの後、六本木森美術館で開催されている「会田誠展:天才でごめんなさい」という美術展を観ました。


この美術展、美少女のSM的絵画、犬のシリーズなど展示物の一部が「性差別」にあたるとして、市民団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」から抗議を受けて物議になっていたのでちょっと観てみたかった個展でした。


会田誠さんは前衛的な表現者で現代社会を題材にさまざまな芸術活動をしております。2ちゃん的な言説やオタク的なサブカルチャー、美少女の裸体、差別、貧困層、哲学などを独自の視点で再構築し、世間に対して表現しております。それを芸術というのであれば芸術、ただの落書きといえば落書きでしょう。


オイラと同年だし、社会的な洗礼物が同じだから共鳴できる展示物が多かったです。多産と多彩が天才の証明なら詐欺師的天才でしょう。オイラ世代は物質と精神の不安定な揺らぎの中で生きてきた世代なので、自分の人生もパロディー化しないとやっていられないのだ。


戦争画RETURNSの作品やジューサーミキサー、大山椒魚、ピンクの部屋なんか印象に残ったわ。


強い性表現の作品は、ゾーンを別けて展示してありましたが、食用人造少女・美味ちゃん、巨大フジ隊員VSキングギドラ、犬シリーズなども、そんなに刺激的という程の作品ではないなと正直思いました。


巨大フジ隊員VSキングギドラは迫力ありましたね。ウルトラマンとゴジラの世界融合だからなぁ~。フジ隊員似てねぇーって書いていたし、笑ってしまいました。


エッチなイメージだけで射精できるか? というパフォーマンスビデオも流されていましたが一時間掛かったと書いていて、それじゃAV男優にはなれないなぁ~、と勝手に思ってしまいました。


性表現だけを取り上げれば、その作品に芸術的な言辞をいかに付加しようと、それはアダルト本の企画と同じレベルの作品でしかありません。それらのことは別段芸術ということではないでしょう。


その性表現が虐待すぎるとして許容できないと抗議するのであれば、世間に流布している性表現のほとんどを規制するしかありません。残虐というのであればゲームでも、ネットでも残虐なものはもっと流布しています。


その時代の表現の自由度、その国の民度の幅がどの位の目標値であるかを計ることが表現者たちのたまなる役割であると思います。そういう意味でこのような個展の役割は重要なわけです。


えっ!? イマドキ、それって本当に凄いって思って芸術だと思ってないよね。芸術家の役割は、笑われて、貶められても生きざまを開陳することにあるのでしょうから。


劇団☆死期のパフォーマンス面白過ぎ、寿町のオチャンたちのキャラ強烈でしたわ。
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