肺がんになって、反回神経麻痺で声が出なくなって、ファーストラインの治療でヘロヘロになった半年。
その後1年、やっと薬が抜けて、身体が戻っていくのを感じてほっとした頃。
2年目、肝臓に転移しました。
それで、いろいろと調べて、生きるためにできることを探して、丸山ワクチンにたどり着きました。
心身ともに疲弊している患者には優しいところです。
患者の立場からすると、がんを受け入れて、生きていくためにはよいところだと思っています。
暴利をむさぼるインチキ治療と一緒に批判するのはひどいなあと思います。
患者のことをわかっていないなあと。
癌が小さくなるエビデンスは?と、がん・・をつぶすことだけを治療と考えているのでしょう。
医師と患者とでは、がんの治療の定義が違うのでしょう。
丸山ワクチンについては以下のように考えています。
本題に入ります。
丸山ワクチンを始めてよかったのは、面談で、主治医の説明に疑義・・はっきり言うと「うそ」に気づくきっかけになったことです。
最初に面談をしてくれた女性医師は、戦後すぐに医師になられた方で筋が通っていました。
主治医の説明から「自分はもうあと数か月も残されていないのか」と悲観していたところ、長年がん患者を診てきた経験から「あなたは、あと3年は大丈夫だ」と力強く言いました。
そして、
私の状況を理解して、正しい判断ができるように、「自分で調べなさい。自分で考えなさい。」と背中を強く押してくれました。
主治医まかせにせずに、自分で考えるようになれたのはその先生のおかげです。
面談で、主治医から説明された肝臓の状態について伝えると、怪訝に思ったのか、「次回画像を見せて」と。
翌月、印刷された画像をもっていくと、「これは違う。肝臓に転移したがんはこんな形をしていない」と。
(主治医から、肝臓の三分の一ほどの白くなったところ(血流異常)を「がん」だと思わせられていたのです。・・・
何のため? 第1相治験に入れるためでした)
当時、知り合ったばかりのかかりつけ医も、画像を見て「えっ? これかあ?」と。
そこで「何かがおかしい」と、主治医の説明に疑問を持ったので、多くの医師に話を聞きたいと思いました。
丸山ワクチンの面談の先生のおかげで、自分の本当の状態を調べることができました。
先生は、「医術」という言葉を用いていました。
広義で、患者を救う・・・という意味だと思っています。
もうずっと前に、ご勇退されました。
はっきりと、他の医師の診断に否を唱える医師は、ご高齢であるからこそだと思います。
それから転院することを決心して、多くの医師に会い、受け入れてくれるところを探しました。
無事転院してから、「先生のおかげで、今、私は生きています」と手紙を書きました。
それ以降、自分の体のことを観察し、自分で調べて治療についてじっくりと考えています。
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