『サピエンス全史(下)』をぱらぱら見直してたら、第12章の「善と悪の戦い」で神義論的な話題が出てた。善であり全知全能である神は、なぜこの世の悪や苦しみを無くさないのだろうというやつ。著者はこれに対してよくある回答例として「神はそうすることで人間に自由意志を持たせているのだ」というものを挙げつつ、それならば全知である神は、誰が悪を選び、地獄で永遠に罰せられることになるかを知っているだろうに、なぜわざわざそのような人を創造したのかという疑問をぶつけてる。多分この疑問にはそれなりの回答はあるのだろうけれども、この手のことが議論になるということは、少なくとも著書の言う通り「一神教信者が「悪の問題」を処理するのに苦労していることは否定できない」という点だけはまちがいなさそうではある。
ちなみに自分がこの話に興味を持ったきっかけは、スティーヴン・キングの「デスぺレーション」を読んだことだった。これはキング作品なので当然のごとくホラーものなのだけど、大雑把なあらすじは、主人公の少年は、友人が交通事故で意識不明の重体になったことを切っ掛けにして、宗教に興味を持ち、牧師のもとに通いはじめ、やがては多大な犠牲を払いながらも、永い眠りから目覚めて悪をなしはじめた邪悪な悪霊らを地下に封印し、世界を救うという使命を果たすというものだけども、この少年は作中で、神は僕に僕の役割を果たさせるために、友人をあんな目に遭わせた、神は友人を救うことができたのに、そうしなかった、友人があんな目に遭うのをゆるしたんだ、僕はそんな神をどうしてもゆるせないと悩んでいたのだった。

自分は不覚ながら、これを読んで初めて、もし神が全能であるなら、神はこの世の不幸の全てを止めることができるなずなのに、それをしない、これはつまり不幸の存在をゆるしているということになるのじゃないかと気付いたのだった。
もう一つこれと似たことは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にもある。有名な大審問官の前段で、イワン・カラマーゾフは大体次のような主張をしている。歴史上、罪もなくいたいけな子供たちが不当な仕打ちを受け、虐待され、殺される事件は幾度も起きている、なぜ神はそんな子供たちを救わないのか、なぜ子供たちが苦しめられるがままにしておくのか、もし仮に偉大なる神の計画なるものがあって、その計画の成就のために子供たちの犠牲が必要であり、一切が済んだ後は犠牲になった子供たちも復活してみんなが幸福になるというすじがきがあったとしても、子供を犠牲にするようなそんな計画は認められない、神は存在しないというのでなく、そのようなことをする神は認めない、認めたくない云々と。
これも言われてみれば確かにその通りではある。善であり、何でもできる全能の神であるなら、誰をも犠牲にしない計画を立てて、それを成就することもできるだろうに、なぜに子供が犠牲になるのをゆるすのか分からん。そんな計画をする神のいる天国に入るより、そんな神にノーと言い、天国への招待券は謹んでお返しすることこそが正しいことであり、これこそが真なる神の求めていることではないかとさえ思えてくる、もし真なる神が存在するとしたならば。
ちなみにマクグラスの『キリスト教神学入門』ではイワンの無神論を「抗議する無神論」としてるし、同書によれば孫引き的になるけどユルゲン・モルトマンは「唯一の真剣な無神論」としていたそうだ。宗教信者のなかにはイワンの主張を理解せず、単なる無神論であり典型的な悪魔の論理であり間違いであると断定してバッサリ切り捨ててまったく心を動かされず関心も持たない人もあるようだけども、自分としてはそれよりかは「抗議する無神論」「唯一の真剣な無神論」と受け止める方がよほどまともなのではないかと感ずる。
…と、まあ、あれこれと書いては見たけれども、やはり一神教的な見地から、悪の存在を考えてみると、いろいろと難渋するということは言えそうではある。ついでに書くと、一神教では、悪の存在だけでなく、悪の発生についても説明するのに苦労しそうだ。善なる神が、善なるものとして創造した世界において悪が生れたというのは、どうも理屈に合わないし、矛盾してるだろうから。
もっともぶっちゃけていえばこの手の議論は、著者が第20章で書いているように、「過去四〇億年近くにわたって、地球上の生物は一つ残らず、自然選択の影響下で進化してきた。知的な創造者によって設計されたものは一つとしてなかった」と言い切って、神も善も悪もそんなものはすべて人が後から考えたものであって、人に先立って存在したわけではないとしてしまえばそれで終了してしまうのだけども、生まれつき優柔不断で根が信心深く、かつ迷信深くもできている自分はそこまで単純には割り切れないのだから仕方がない。そういう自分はそういう自分の性質を承知した上で科学的客観的とされる現実解釈と折り合いをつけつつ、両者のズレをうまいこと調整しながら生きて行くよりほかはないんだろうな…。