いろいろ溺れる子達を横目で
見てきたよ、会ってた、しゃべってた、つるんでた
みんなもそれぞれルール持ってた
ずっと走り続けているうちに、疲れがたまって、
あっという間に病院送りになる前に、cigaretteでも吸おうかな
このKEIKOさんは20代かな?
などと考えていたら、急に思い出しました。
実は、私、高校卒業後の19歳あたりから26歳くらいまでの自分の写真が無いんです。
娘に「お父さんの昔の写真見せて。」と言われても、あれせんのです。
(子供達は、とても残念そうにしておりますが。)
27歳くらいから30歳くらいにかけて、ようやく、
ぽ
つ
ぽ
つ
・・・・と、数枚存在するかもしれませんが・・・・・。
あの時代は、今のようなスマホも無ければデジカメもない。
私が大学生の頃なんてパソコンすら、なかなかお目にかかれなかった。
写真と言ったら、フジカラー『写るんデス』が、あったくらい。
あの時代の若者に、写真を撮る文化なんてなかったですなぁ・・・・・多分。
この頃はバブル絶頂期とモロ重なっていましたから、若者の「出で立ち」も派手で、
写真なんか・・・・残っとらんのが幸いかもしれん。
私はバンドを組んでいたので、派手なのは服だけじゃなかったし。

ステージに上がる時はメイキャップもバリバリでした。
ミュージシャンというのは、プロでもアマでも、私生活が乱れるのです・・・。
まさに、耽美的、刹那的、廃退的な私生活・・・・あうぅ。
いつぞやの冬休み。
私は久しぶりに名古屋に帰省して、両親が名古屋駅まで車で迎えに来ました。
その時のことを、ウチの母親は今でも思い出して時々、言うのです・・・。
「真っ赤なコート着て髪の毛も染めとるし・・・私、最初、誰かと思ったわ。

」
私は茶髪や金髪が似合わなかったので、濃い赤色に染めていました。
で・・・その赤いコート・・・私のおばさんが、
「○○(←私の名前)くん、私が、もらうわこのコート。」
と言って、持っていってしもた。

(その後、おばさんは、そのコート・・・随分、長い間愛用しとりましたが・・・。)
多分、あまり名古屋では売っていないド派手な色だったから気に入ったのかもしれませんが。
今の私は(即業柄)日焼けしていますが、この頃は、顔も真っ白で・・・。
妻と、20代後半にあった頃、まだ白さを引きずっていた私のことを、
「白いというのを通り越して・・・青白かったわ、あの頃のお父ちゃんは。」
と、妻は当時を振り返って、子供たちに話しております。
20代の写真がほとんど皆無。
ま・・・・こういう人も、世の中に一人くらいいてもいいんでないですか?

今の生活とはかけ離れた、尖がってツッパッテ生きていた20代の頃の映像(?)は、
当時の思い出の中だけで十分です。
あの頃、付き合っていた人達だけが知っている・・・・・それでいいのです、私の場合。