最近、やたらと増えてきた、娘たちの宿題。
様子を見ていると、一応、真面目に、こつこつとやっている・・・。
宿題のやり方にも性格が出て、当社の現場監督をしている一級建築士のNという人物は、
いつも、夏休みの日誌を、夏休みが始まって最初の3日ほどで完成させていたらしく、
大人になってからの仕事ぶりも、子供のころの性格そのまんま・・・実に几帳面かつ迅速な
仕事ぶりであります・・・いわゆる秀才肌。
一方、夏休みの日誌は、必ず最後の3日ほどで、友達の答えをまる写しにしていたワイは、
大人になっても、「知識は人から借りるもの。自分が百科事典になったら人に使われるだけ。」
という信念で生きており、子供の頃からじぇんじぇん変わっとらん・・・・。
夏休みの日誌に限らず・・・・宿題というもの・・・・なんで私が嫌いだったかというと、
「なんのために課されているのかさっぱりわからん。」
・・・・というのが大きな理由でした。
問題を解く。
わからん。
しかし、もう一度考える・・・・一応、答えを出す・・・・で、間違える。
どこから、おかしくなったんだ?何が間違ってたんだ?
・・・と、すぐに解説を見て理解しないと、問題を解いて○×をつけただけになってしまう・・・。
夏休みの日誌なんてもん・・・いつ答え合わせしてたんだか覚えとらん。
新学期になって答え合わせしたんだっけ?
よしんば、したとしても、ひと月以上前に解いた問題・・・その時、どう考えて解いていたかなんて、
昔のことすぎて2学期の頭には、覚えとらん。
つまり、1学期の復習的な効果なんて、ないんとちゃうか?(というのが当時のワイの感想でした)
中学校の時に通っていた塾に大変良い先生がいらっしゃった。
私は、今でもこの先生が、一番、教師としてすぐれた先生だと思っていますが、
この先生の数学の授業はこんな調子でした。
黒板に問題を書く。
「少し時間あげますから考えてください。」
2分ほど生徒は、頭の中で解法を探る。
「じゃ、解きます。」と言って、先生は、黒板にどんどん説明しながら式を書いていく。
「この手の問題を見たら、まず、Aの公式とBの公式だな、と、直観しなければだめですよ。」
どんどん解説と板書がすすむ。
・・・んが!
私たちは、その板書されたことなどノートなんぞに写さない。
ノートに写すことに夢中になると、先生の解説が耳から入らなくなるからです。
「・・・・というわけで、この問題は簡単に解けます。じゃ、次行きます。
次の公式は、公立高校の入試では必要ありませんが、灘や開成のような私学の入試には
必要ですので、知っておきましょう。その公式を使う問題をつぎにやってみます。」
といって、また、黒板に問題を書き、生徒に数分考えさせ、板書しながら説明をする。
解き終ると、先生はみもふたもなく、
「こんなもんです。解き方さえわかれば、簡単に解けるんです。」
と言って生徒をいつも、今にして思えば、安心させていたのだと思う。
「正しい努力をすれば難しいものなどありません。必ず、成功しますよ。」・・・・と。
毎回、毎回、私たちは、覚えようと身構えることもせず、塾の予習も復習もせず、
もちろん塾の宿題など出ず・・・・・それでも先生の授業は、知らず知らず身について、
その塾に通っている生徒さんは、皆さん、各中学のTOPばかり・・・これは、先生の教え方が
優れていたからにちがいありません。
いまどきの子供たちが通う塾に、そんな破天荒な先生、おるんかなあ・・・・。