数年前、当地のある地方都市でショッピングセンターで火災が発生し、特に鍵のかけられていた映画ホールから人が脱出できず、子供を含む60人が亡くなったという痛ましい事件がありました。当地によくある形態の施設での事故でしたので、春休み中だったこともあり、全国的にショックが走りました。

 

これに関して、死亡者が報道よりも多いとの噂がまことしやかにささやかれました。映画ホールの定員数(そんなに大きなものではありません)から見ても、60人はいわば妥当な数字だと思われますが、「2-300人が死亡し、病院の安置室に入りきらない」と口コミで伝えられました。近所の人からは、「友達の看護師があの地方都市にいて、そういう話を聞いたから絶対に本当だ」と断言もされました。その後、死者数の水増しは、いたずら電話が起点だったと解明されたのですが…

 

話は変わりまして、お隣から脱出して当地に避難してくる方々が最近全国で見かけられるようになりました。意外に思われるかもしれませんが、敵国とはいえ、親類がいたり、また最低限言葉がわかるからという理由であったり、生活を立て直し定住するには合理的であると考える方も一定数います。受け入れには、公的支援の足りていない・押し付け的なところを、民間のボランティアがサポートしています。それは物的支援だったり、手続きのヘルプであったり、仕事のあっせんだったりもします。また、当地から西に抜けたいと希望する人もあり、そのサポートをするボランティアもあります。いわば、ニーズに応じたボランティアが存在するといえるでしょう。

 

そんなボランティアに参加した方から最近聞いた話ですが、ご縁があり、お隣、しかもマリウポリから脱出した方のヘルプについたそうです。奥さんは開戦後すぐに西に脱出し、世帯主の方はしばらくマリウポリに残り、ロシア側に避難して家族を呼び寄せたとのこと。そして3月中旬までマリウポリに残った世帯主の方に言わせると、マリウポリではお隣軍も市内に爆撃をしていたというのです。

 

ボランティアの主催者からは、「戦争のことは聞かないこと、もし先方から話し始めたら、反論やコメントをせず、ひたすら聞くこと」とインストラクションがあったそうです。ですので一方的に話すことを聞き取ったところでは、曰く、世帯主の方は「主に地下室にいた」、情報は「他の住民から聞いた」のだそうです。

 

当地に逃れてくる人々は、お隣側に逃げた人の証言等によると、当地軍が組織する「選別」を通過するのだそうです。一言でいえば、当地に入ってからテロ活動などに従事しないよう、当地の活動に無関心か賛成しているかを見極めるようです。つまり世帯主の方は、「選別」に「合格」して、当地に入国を認められました。そして、マリウポリにいた間の情報は、伝聞で得たものです。方や、当地にいるわれわれの情報源は、報道となります。言うなれば「存在していたけれどもほぼ地下室しか見ていない」人の証言を、「(マリウポリの外の人が伝える)報道」を聞いている人が聞き取ることになります。すべての情報が、どこまで信頼のおけるものなのか、先ほどのショッピングセンター火災をめぐる噂も思い出し、疑問符がつきます。

 

事実に対する人の評価は、受け取る情報や、その人のバックグラウンドによって違います。こういう大事件ですとなおさら、国やステータスごとに(「兵士は…」「避難民は…」「当地の市民は…」など)まとめてざっくり考えがちになってしまいますけれど、その人たちがどういう情報環境にいたか、何を目的として、どうしたいか は人によって違います。

 

今、避難してくる人たちの最大の願いは、安全な場所に住まいを見つけること、生活を立て直し、ボランティアに頼らずとも自活できるようになることです。そのマリウポリ出身のご家族も、難民資格を取得して、仕事を見つけ、子供を幼稚園に入れて・・・と目の前のひとつひとつの課題をクリアするのが精いっぱいだとのことでした。

 

ですから、お隣が自分の都市を攻撃している、などという当地プロパガンダに通ずる「現地情報」が間違っているなどと彼らに言うことが、「目を開く」ですとか、「正義」だとかは決して言えません。ただ、私にもそのボランティアに参加した方にも、その情報は信じられません。彼らは、少なくともしばらくは、彼らの真実のなかで、再起する道を探していくでしょう。今は、ここで生活基盤を作ることが、彼らの最優先課題なのですから。

日本ではあまり話題にならないのかもしれませんが、欧州では皆「興味ない」と言いながら、結果くらいは気にかけている欧州総参加の歌謡コンテストです。バブル臭漂うポップミュージックが多かったり、政治的要素が働いたりするとかで、まともな大人は敬遠しているようであって、実は自分の国の代表のことをとても心配している、不思議なイベントです。

 

今年は、当地と、別のお隣とが除外され、当地ではこのコンテストはなかったことにされています。そして、「政治的要素の働く」コンテストですから、当然お隣代表に注目が集まっていました。そのお隣代表については、ちょっと前にご紹介していたかと思いますが、Kalush Orchestraというラッパーのグループです。

 

最近見かけた日本語の記事でも、政治的な側面ですとか、メンバーがあたかも戦地となっている祖国へ帰国を強いられたかのようなお涙頂戴ですとか、そういう文脈で書かれているのですけれども、実際にコンテストを見てみまして、非常に違和感を覚えました。確かに、国民総動員がかけられているお隣では、18歳から60歳までの男性は出国を禁じられているのですが、ユーロビジョン出場という国の威信をかけた大イベントですので、特別許可が出ています。イベントが終われば、早々帰国するのは予定通りと言えるでしょう。また、スポーツ大会その他に出場する人にも許可は出ていますので、Kalush Orchestraだけが特別というわけではないのですが…

 

さて、なぜお隣代表Kalush Orchestraが優勝できたか。

私は実力だと思っています。お隣への関心というのは援護射撃になったでしょうが、Kalush Orchestraは「ラップという形式で、お隣を音楽・視覚効果も含め表現した」というのが第一だと思います。良くも悪くもグローバル化された世界では、美的感覚も平均的になっています。ミニマリズムでまとめた舞台は、どこの国か国旗を変えてもわからないですし、また自国らしさを出そうとして、「秋葉原の日本人形」的な、ヘンテコになる国もあります。

 

Kalush Orchestraのパフォーマンスでは、「ラップ」というベースのスタイルを崩さず、ラッパーらしい服装=ゆったりとしたシャツとラフなズボン、スニーカーをシンプルな白黒にし、民族衣装の要素を加えました。色彩でも、白黒を背景に赤のバリエーションを中心にしました。アクセントに国旗の色と、その二色を混ぜた緑を少量加えることで、色とりどりな印象を与えるのに、実はまとまっています。音楽としても、お隣の言語の旋律の豊かさを生かし、ラップらしいリズムにのせ、民謡調の掛け声、笛を効果的に使いました。パフォーマンスの演出でも、民族衣装の刺繡から発想を得たであろう装飾や、「ステファニア=お母さん」をシンボリックに表現する顔と手のプロジェクター映像をダイナミックに使いました。しかし色彩に統一感があるので、スタイリッシュな仕上がりとなっています。

 

つまり、非常に現代的なジャンル=ラップであり続けながら、お隣という国の民俗性を表現することに成功したと言えます。2位のイギリスのパフォーマンスもよかったのですが、「イギリス」である必要のない、普通にかっこいい曲だったことが、様々な国の集まる音楽の祭典での、アピール力の差になったかと思います。もちろん優勝は、お隣にとっては非常に喜ばしいことであり、大統領をはじめ、誰もが喜び祝福しました。グループ出身地の駅では、電車の到着アナウンスが、優勝曲「Stefania」になったほどです。

 

グループが「イベント翌日には帰国を強いられた」ことについて。グループのメンバーは、ソリストをはじめ、ボランティアや地域防衛軍に開戦後すぐに参加しており、ユーロビジョンへの参加も当初はオンラインが取沙汰されていました。しかし、戦況が長引くことがほぼ確実となり、ユーロビジョンに彼らが出場することが、国民の力になるとの判断からオフライン出場になった次第です。Kalushのソリストは、「Stefaniaは最初は自分のお母さんについて歌ったものだったけれども、開戦をうけて全く違う意味を持って受け止められるようになった」と認めています。ユーロビジョン決勝後に公開された公式クリップは、ひとりの女性兵士を主人公にした、すべての女性、ひいては国についてのストーリーになっていました。

 

彼らは帰国を「強いられた」のでしょうか。彼らの曲やパフォーマンスには、自分の国への愛情があふれています。陸路国境を越え、早速待っていた自国のファンと検問を出てすぐパフォーマンスをするなど、置かれた状況において、ごく普通の行動をしているように受け止められます。大会の伝統として、翌年の大会を優勝国がホストすることになっています。心から彼らの成功を祝福し、来年お隣がユーロビジョンを開催できる状況であるよう、祈る次第です。

 

 

 

 

最近のことですが、当地で非常に人気のある銀行を設立し、数年前白血病治療のため半引退生活を送っていた実業家の方が、残っていた持ち株をほぼ「ただ同然」で売却したというニュースが流れました。この実業家の方は、国外在住なのですが、特別軍事作戦に反対する、現在の規制から見れば相当に過激な記事をSNSにアップしたことで、銀行が存続の危機に立たされたのだそうです。銀行を守るためには、縁を完全に切るよりなかったということで、自分で育てた事業を奪取されたのも同然です。

 

非常にエネルギーのある方で、病気が寛解に達すれば、ほかの事業を起こすこともあるでしょうが、当地には二度と戻らない覚悟でいらっしゃるようです。最近見たその方のインタビューで非常に印象に残ったエピソードは、「便器のない田舎で育った」ということでした。

 

年齢から察するに、青年期までというのはおそらく、1960-70年ごろのことを指していると思われますが、その頃の炭鉱地域で「便器がない」のは彼にとっては常識だったわけです。徴兵で行った先で初めて便器というものを目にした、とのことで、ちょっと考えられないのですが、まあ、そういうことだそうです。そして彼の持論として、トイレを整備することから、生活をよくする=経済を回していくことが始まるというようなことをおっしゃっていました。

 

これには反論できません。当地のトイレのひどさは、過去にも様々な方が、様々な旅行記などで記録されているとおりですけれども、なぜか便座のないトイレ、穴しか開いていないトイレ、鍵の閉まらないトイレ、紙のないトイレ、怒髪天を衝くといいますか、笑うしかないといいますか、ありとあらゆる想定される「ひどいトイレ」の様々なケースを、当地ではすべて見ることができるように思います。一応、大都市ではずいぶん改善されていますが、こういうランク付けが誤解を呼びかねないことを承知で申し上げますと、21世紀の、いわゆる「大国」と呼ばれる国であるにもかかわらずです。

 

話は変わりまして、軍事作戦においては、当地から出てきた兵士、いわゆるオルキが、お隣首都の近郊で略奪を働いたことが大きな問題となりました。殺害や略奪を犯した兵士で、捕虜となった者への裁判も始まっています。解放された地区の方々も、あらゆる形で証言を残し、一部はSNSにも公開されております。そんな中、ある村のおばあちゃんたちが言っていたのは「(占領していた)兵士たちは、便器を見たことがなかったようで、何のために使うのか散々聞かれた」ということでした。

 

先の実業家の方の青年期まで=1960-70年ごろから、現在まで、約50年が経過しておりますけれども、どうも当地には便器すら浸透していない地域がまだあるようです。そして、当地の兵隊たちは、お隣の住宅にあった高級品はもとより、生活必需品、家電の類、絨毯、家具ありとあらゆるものを持ち去った形跡があり、またドアを外して持って行った、そして、もう予想されているかもしれませんが、便器を持って行ったというケースも少なくないそうです。よっぽど珍しく、その快適さに開眼したのでしょうか。しかし、便器がない地域ですと、水で流すこともないような気がするのですが、無事に持って帰ったとして、どう使うのかは、わかりません。

 

トイレの改革から経済が始まる、というのは、人間らしい生活や、よりよい生活への関心意欲が高まるから、と解釈できるでしょうか。盗むな殺すなの、十戒レベルのルールを守ろうとしない当地兵に、少しは生活を改善したいという願いが出たのでしょうか。それを、略奪という形ですることこそ、根本的に間違っているのですが。

 

そして21世紀になり、強い正しいと主張する大国の、たとえ辺境の地だとしても、生活するうえで根本的に必要なもの=トイレの文化が成立していない国で、何を「誇りに思い」「国を愛する」べきなのか、正直理解に苦しむところです。