安倍政権が集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更を進めようとしているが、やはり自民党は戦後体制を超越した思考は持ち得ていないことが分かった。


菅官房長官は集団的自衛権行使容認に反対する声を考慮し「地球の裏側まで行くようなことはありえない」と釈明し、集団的自衛権行使に強い制約を加えることを示唆している。


しかし、集団的自衛権の行使が可能な範囲を地域で決めていいはずがない。


あくまでも行使の範囲は日本の国益を守ることや日本の大義に合うことを基準にするべきである。


日本の国益になるのであれば、日本の近海であろうと地球の裏側であろうと行使すべきである。


逆にイラク戦争のような大義なき戦争に参加を要請されるような時は、行使すべきではない。


また集団的自衛権行使に賛成の立場の中では日米同盟維持のために行使を容認すべきとの声が高いが、そういう抽象的な例を使うから話がややこしくなる。


PKOなどで自衛隊の海外派遣が常態化している中では、多国籍軍との共同作戦も多くなる。そうなれば武装集団に攻撃された場合などに一緒に活動する他国の部隊を助けることも想定される。


そういう時に行使が出来なければ、日本は国際的に孤立するであろう。しかし、なぜかこうした事例を挙げて行使容認の必要性を説くものはいない。


なぜか集団的自衛権行使の目的を日米同盟の維持、深化に限定して議論する事が多い。


自民党もそうだ。だから自民党はアメリカのために戦争に参加するのかと批判されるのだ。


地域で行使可能な範囲を選別している事や、日米同盟のために行使容認すべきと言っている安倍政権は、やはり戦後体制の中で思考が止まっているのである。


行使の基準はやはり日本の国益、大義に適うかで決めるべきである。