間もなく8月6日と8月9日の原爆忌がやってくる。


原爆によって命を奪われたり、今もなお原爆症で苦しんでいる方々の事を思うと、原爆投下がいかに残酷な事であったかという思いが強くなる。


軍人ではなく、一般市民をも無差別に殺傷した原爆の使用は明らかに人道上の問題が発生するだけでなく、それを使用した側の責任が問われるものである。


しかし東京裁判では罪刑法定主義の原則を破り人道の罪なる罪状で東条首相など所謂A級戦犯が裁かれたが、アメリカによる非人道的な無差別爆撃など日本人への虐殺行為は一切不問にされている。


そればかりか、戦後の日本人の中には戦勝国の立場から歴史を断罪する確信犯や、自虐史観に無意識のうちに犯されて原爆投下の原因を日本に求めようとするものまでいる。


例えば広島平和記念公園の石碑に刻まれた主語が不明な「過ちは繰り返しませぬから」が象徴するように、あたかも日本が原爆投下を招いたかのように思いこみ、原爆投下を正当化しようとする国民がいる。


その「過ち」なる錯覚の代表例が「日本がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された。日本がもっと早く降伏していれば原爆は使用されずに済んだ」というものだ。


しかし時系列的に原爆投下までの流れを概観すれば、明らかに原爆投下の責任はアメリカにある事が分かる。


実は原爆投下の1年ほど前のルーズベルトとチャーチルの会談の際に既に原爆を日本に投下することが話し合われていたのだ。


翌1945年5月には原爆投下訓練をアメリカで行っていた部隊がテニアン島に移駐しており、日本への原爆投下の動きが加速。


7月には原爆実験が成功し、トルーマンは大喜びしたという。そして7月25日、トルーマンの承認を得たトーマス・ハンディ陸軍大将から「8月3日以降、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投下せよ」という命令が下されている。


7月25日に原爆投下命令が出ているということは、ポツダム宣言よりも早く命令が下されていることが分かる。(ポツダム宣言の発表は26日)


鈴木貫太郎首相がポツダム宣言を黙殺したのは28日。つまり、日本がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下されたのではなく、ポツダム宣言発表前に既に原爆投下が決定され命令されていたのだ。


またトルーマンはスターリンから日本がソ連に終戦に向けた仲介を依頼していたことや、グルー国務長官からの話で國体護持さえ認めれば日本は降伏すると言う事を聞いており、日本の降伏が秒読み段階であったことを知っていたのだ。


それだけではなく、アイゼンハワーも7月20日の段階でトルーマンに対して日本がもはや戦争を継続できない状態にあり、原爆投下は不要と言う進言もしていた。


だがトルーマンは聞く耳を持とうとしなかった。そればかりではない。日本がポツダム宣言を受諾すれば原爆投下の機会を逃すと考えたアメリカはポツダム宣言の草案に当初は盛られていた國体護持を削除してわざと日本の降伏を遅らせようとした。


このように原爆投下への道を概観してみれば、アメリカは確信犯的に原爆を投下した事が分かる。


アメリカは日本を早く降伏させるために原爆止むを得ず投下したと言い訳を述べているが、大戦後のソ連との覇権抗争をにらみ、原爆の威力をソ連に誇示する事が目的の大部分を占めていた。


ソ連との覇権抗争を優位にするために20~30万人ともいわれる日本国民を殺戮したのである。とても許せるものではない。


東京裁判でブレイクニー弁護人は「原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる!その人達が裁いている」とアメリカの偽善的態度を痛烈に批判した。


確信犯的に原爆投下を行い日本人を無差別に殺戮したアメリカにこそ原爆投下の責任が発生する。


もし21世紀版東京裁判が行われ、日本への冤罪が見直される機会があれば、その時はアメリカこそ「人道に対する罪」を負うことになるであろう。


アメリカよ、どう言い訳をしても逃れる事の出来ない罪を素直に認め、原爆投下の過ちを謝罪してはどうか。