ここ1年余り、中共の対日挑発は留まる事を知らず、日に日に尖閣諸島や沖縄周辺への中共の海洋進出の勢いは増している。


既に中共による太平洋覇権の確立は着々と進んでおり、九州から沖縄、台湾周辺の海は、覇権確立のための障壁であることは言うまでもないだろう。


だからこそ中共は覇権確立の既成事実を造るために尖閣諸島や沖縄周辺に海洋監視船や軍艦を派遣し、自国の海として取り込もうとしているのである。


それを阻止するためには、日本は陸海空軍力の大幅な増強による海上阻止及び離島奪還能力を強化し、その強力な軍事力を以てして中共の海洋進出を抑止し、対中外交においても主導権を握らねばならない。


しかしながら、我が国のメディアや有識者、政治家の大半は事を「中国を刺激するな」とばかりに中共と事を構えることを極端に恐れ、対中恭順に傾きつつある。


また、平和主義者を称する国内の左翼や政治家などは日本の防衛力強化や9条改正に反対し、日中友好を唱え中共に手を差し伸べる事こそが平和への道だと信じ込んでいるようである。


しかしそのような姿勢は極めて危険だ。中国には昔から「軟土深掘」という言葉があり、相手の弱みに付け込んで攻め込むのがシナ人の特性だ。したがって過度の対中配慮、屈服姿勢こそが中共の野心を増大させ、日中武力衝突を誘発する。


それは歴史的事実からも明らかである。


1927年、中国の首都、南京において国民党の北伐軍兵士が南京駐在の外国領事館や企業、学校を襲撃し、多くの外国人が暴行、凌辱を受けた「南京事件」が発生した。


その際、米英は揚子江の軍艦から南京市内を砲撃し、断固たる姿勢を示す行動をとったが、日本だけは、幣原喜重郎の掲げた対中協調・宥和方針のため米英と共同行動はとらなかった。


幣原は中国に理解と同情を持って対処するようにし指示し、無抵抗を主張したのである。


その結果、中国側はどういう対応をとったのか。何と日本の対中協調姿勢を無視し、断固として反撃を行う米英への攻撃を止めた代わりに、反撃をしてこない日本人を攻撃し始めたのである。


その結果多くの日本人居留民が被害に会うことになった。そればかりではなく、この日本の弱腰に付け込むかのように、国民党は反日姿勢を強め、中国全土で日本人への攻撃や権益侵害を繰り返すようになっていったのだ。


翌1928年には斉南事件が起こり、30年には条約違反の南満州鉄道並行線の建設を開始、更に中国は日本人の土地利用や鉱山経営を禁止するなどの排外主義を展開。更に31年には中村大尉殺害事件、万宝山事件などの対日挑発・侵害行為が続発した。


しかしそれでも日本は中国への反撃を渋ったため、日本への更なる不法行為が行われ、日本国民の怒りは沸騰した。


このような日本への挑発、権益侵害行為が満州事変やシナ事変勃発の要因になった事は間違いない。逆にいえば南京事件の段階で日本が断固と反撃を行い、徹底的に鎮圧を行う姿勢を示しておけば、中国側も日本への攻撃を止めるようになり、日中全面衝突は防げた可能性もある。


したがって歴史の教訓から学ぶとすれば、中共に対して宥和姿勢をとり、尖閣諸島や歴史認識問題で譲歩する姿勢を示す事は禁忌である。


実際、戦後も中共に謝罪を繰り返し譲歩を続ても、日中友好どころか中共の反日姿勢はエスカレートする一方だ。


今日本がとるべき道は、正当な歴史認識を主張し中共による反日情報戦に勝利するとともに、防衛力の大増強による抑止力の確立、そして中共に「日本への挑発は利益よりも損害の方が多い」と知らしめることである。


それこそが中共の野心を砕き、勢力均衡を保ち、日中武力衝突を防止することになる。


国内の対中謝罪・日中友好・反戦を唱える平和主義者、親中派よ、そういう弱腰姿勢こそが日中武力衝突を誘発する。少しは歴史の教訓から学んだらどうか?