最近、正しい日本語を話せない若者が増加している。一番気がかりなのは、何でもかんでも略した意味不明な単語を使ったり、または場をわきまえないような言葉づかいを平気でするのである。


敬語も正しく使えなかったり、女子高生や女子大生などはまるで「女らしさ」のかけらも無いような汚い言葉を発しているのを電車内や飲食店で頻繁に目にする。


こうした光景を目にするたびに、幼いころからの国語教育の大切さを改めて実感する。


日本語には英語とは違い、感情や感性を表現するのに最も優れているだけではなく、情緒やわびさびを最も感じ取ることができる言語だ。一言でいえば最も綺麗な言語と言っても差支えない。


丁寧語、尊敬語、謙譲語を正しく身に付ければ礼儀やマナーを習得できるし、短歌や俳句、古典などに触れて学べば日本の伝統や文化にも触れることができて豊かな感性を養える。


いわば和の真髄でもある日本語をしっかりと学び習得すれば、自然と理性や礼儀作法なども身につけることができるようになるのだ。


しかし、近年学校教育において国語教育が軽視されている。中でもグローバル化の名の下に英語教育が重視される風潮が出来るのは気になるところだ。


政府の教育再生実行会議の提言では小学校で英語を正式教科にするだけではなく、授業時間を増やし小学4年生から授業を行う方針だという。


その主眼がやはり「グローバル化」への対応だという。しかし日本人の精神が乱れ、モラルも低下している中で、英語よりも国語をまずしっかりと身に付けることの方が大切ではないかと思う。


形だけグローバル化に対応できても、日本人の内面・精神が美しくなければ日本は良くならない。