大阪市長の橋下氏は記者団に対し、村山談話について言及し「敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めないといけない。反省とおわびはしなければならない」と語った。


さすがは偽装保守の総本山、維新の会代表だけのことはある。橋下氏には全く歴史観たるものが存在しない。


それは橋下氏の発言の「敗戦の結果として侵略だということ」という部分からも分かる。橋下氏の歴史認識は東京裁判史観そのものだ。


日本が侵略国家という烙印を押されたのは連合国による一方的な復讐劇、不当裁判である東京裁判においてだ。


橋下氏の「敗戦の結果として侵略だということ」という発言は東京裁判の結果を認めているに等しいのである。


だが、日本が侵略国家だったのか否かは、敗戦という結果から見るのではなく、日本が満州事変、シナ事変や大東亜戦争に至る前の段階から検証しなければならない。


つまり、戦前の国際情勢や歴史的背景、日本が置かれた状況や外交など当時の視点で検証し論じなければ真実は見えてこないのである。


しかし橋下氏は戦前ではなく、戦後の東京裁判という勝者の側の視点から歴史を論じ日本を断罪している。


最近、あれほど嵐が吹き荒れた橋下人気が低迷している。それは当然のことだ。東京裁判史観に毒された歴史認識の者が維新を行うことなど出来ない。


今行う維新とは戦後体制の脱却だ。維新を標榜する団体の長が戦後体制の申し子では元も子もない。橋下氏の歴史認識に維新の会の「限界」をより強く感じた。