私が大学で発表するために書いたレポートをブログにアップしました。原稿用紙17枚分なのでかなり時間がかかると思いますが是非読んでください。一人でも多くの人に東京裁判史観から目覚めてほしいです。
   
                 日本人の立場から見た歴史認識

 今の日本人はほとんどが「日本はアジアを侵略した悪い国だ」「日本が悪いことをしたからアメリカに攻撃された」と考えているだろう。だがそれは戦後にGHQが日本に押し付けたいわゆる東京裁判史観が日本人に染みついているからである。実は日本は世界から尊敬されていた素晴らしい国だったのだ。しかしながらその真実を知らずに東京裁判史観=自虐史観に支配された言論人やマスコミ、政治家が日本の名誉を歪めてきたのである。だから2008年11月に航空自衛隊の田母神航空幕僚長が論文で「日本は良い国だ」と発表したところ朝日新聞などの左翼マスコミや野党の政治家、そして保守であるはずの当時の政権与党であった自民党からも「いや、日本は悪い国だ」と批判され、ついに田母神航空幕僚長は更迭されてしまった。そしてその更迭の理由は、政府統一見解の村山談話に反するというのだ。ではその村山談話とは何か。簡単にいえば1995年に当時の首相であった社会党の村山富一が終戦50年に当たって発表した談話であり「日本はアジアを侵略したので深くお詫びします」という内容であった。日本の首相たるものまでもが自虐史観に支配されているのだ。そのため戦後の日本は自分で国を守ることもできない歪な国になってしまった。日本人は戦前の歴史を見直すことで東京裁判史観(自虐史観)から脱却して欲しい。

第1章 戦前の世界情勢

 戦前の世界情勢というのはまさに欧米列強が世界を圧巻していた。それは圧倒的な経済・軍事力を誇っていたアメリカやイギリス、フランスなどの欧米列強が力の弱いアフリカやアジアを次々と植民地にしていき搾取するという構図であった。その動きは17世紀ごろから顕著であった。日本でも今から150年前にアメリカから黒船が来航してその圧倒的軍事力に屈して、開港し不平等条約を締結させられたことは記憶に鮮明である。つまり欧米列強は世界の覇権を狙っていたのであった。そのためあの広大なアフリカ大陸ではエチオピアたった1国をのぞき全ての領土がイギリス、オランダ、ドイツ、ベルギー、フランスなどの欧米列強に支配されていたのだ。そして東南アジアにおいてもかろうじて独立を保っていたのはタイだけという状況であった。インドネシアはオランダに、パラオはドイツに。ベトナムやカンボジア、ラオスはフランスに。インドやパキスタン、ミャンマー、バングラディシュ、マレーシア、スリランカはイギリスに。フィリピンやグアムはアメリカに植民地にされていたのだ。中国(清国)ですらアヘン戦争で敗北して以来イギリスに香港を占領されていた。日本もアジア周辺国が次々と欧米の植民地にされていることに対する警戒感が強かった。事実、北からはロシア、南からはアメリカやイギリス等が迫っていたのだ。そのため自主国防体制を確立するために日本は軍事力や経済力を強化する道を選ぶ

第2章 欧米列強の白人至上主義史観

 第1章でも述べたように欧米列強がアフリカやアジア各国を植民地にしていたが、その統治方法は悲惨を極めた。当時欧米列強には白人至上主義という考えがあった。それは有色人種よりも白人は人種的に優れており対等に扱う必要はないというものであった。そのいい例としてアメリカの奴隷政策がある。アメリカはアフリカの植民地から黒人を船にスシ詰め状態でアメリカに連れてきた。そしてアメリカに到着してからは家畜のように売買され死ぬまで強制的に働かされた。当然ながら奴隷は持ち主の財産であり物として扱われていたため殺しても犯罪にはならない。またパラオでは侵略された際にパラオ人の90パーセントが殺されたほか、オーストラリアの先住民アボリジニはイギリス人に馬で追いかけまわされ馬上から撃たれ面白半分に殺された。またこんなエピソードもある。イギリス人の女性が部屋で裸でいたところ、植民地の現地人が入ってきた。しかし女性は驚かず無反応であった。これは有色人種は猿や物として見られていたことを表すエピソードである。もし白人が部屋に入ってきたら女性は悲鳴をあげて驚いたであろう。落ちたタバコを拾わせる際にも言葉ではなく顎で拾えの合図をしたのだ。白人至上主義というのは有色人種を猿や物という扱いにする人種差別思想であり、未だに黒人差別が残っていたりアジア人をイエローモンキーと呼んで侮辱するのは白人至上主義が根底にあるのだ。

 しかしそんな戦前の白人至上主義に唯一立ち向かった国がある。それは日本である。1919年に国連が創設された際に日本全権の牧野伸顕は人種差別撤廃を議題にするように訴えたのだ。しかしアメリカやイギリスの反対によって否決された。(この牧野伸顕の提案を差別に苦しむ黒人は歓迎した。しかしアメリカなどが否決した結果、全米各地で暴動を起こし数万人の死傷者が発生した)ただ、国際会議で人種差別撤廃を訴えたのは日本が初めてだった。しかしこの日本の姿勢を良く思わない欧米列強はしだいに日本潰しに走り始める。

第3章 欧米列強による植民地統治方法


 第2章のように欧米列強は力の弱いアフリカやアジアの国々を見下していたため、植民地の統治方法は悲惨を 極めた。
1搾取と略奪 植民地の土地を使い輸出用作物の栽培を強制させた。現地人を無賃金に近い劣悪な条件で強制労働させ栽培した作物で莫大な利益を上げ、ほとんどの利益はその植民地を統治していた国に入り、植民地に還元されることはなかった。また、植民地にある金になりそうな歴史的な美術品や骨とう品は容赦なく略奪し本国に持ち帰っている。そのため現在でもイギリスやフランスの博物館や美術館に行けば、植民地から略奪してきた美術品で溢れている。つまり当時の欧米列強は植民地があったから栄えたといっても過言ではない。


2飢饉の発生 1のような輸出重視の政策の結果、現地人が食べるための耕作地が減少し飢饉が発生した。ジャワでは人口33万人の町が12万人まで減少。インドでは1877年の飢饉で500万人が死亡。1943年にはベンガルだけで340万人が死亡した。しかしながら欧米列強は根本的な政策転換は行わず搾取を続けた。

3複合民族化 植民地に大量の移民を送り込み、上部に白人、その下に現地人という構図を作り、意図的に階層社会を作り上げた。そのため下位の現地人は上位の白人に逆らうことすらできず逆らえば殺されるという結果が待っていたため、白人に従わざるを得ない状況が続いた。

4弾圧と虐殺 欧米列強は植民地に対して徹底した弾圧を行い、反乱が起こるたびにその圧倒的な武力で鎮圧し大量の虐殺を行った。当時のイギリスの新聞「タイムス」は「白人1殺害に対し現地人1000を殺せ」「教会1破壊に対しヒンドゥー教寺院100を破壊しろ」と訴えていた。実際に反乱を起こした現地人は見せしめに体を切断されたり焼かれて殺された。フランスによるベトナム支配は監獄を作ることから始められ、1940年に反乱を起こした現地人6000人を逮捕し強制収容して多くの囚人が監獄内で死亡している。フランスはベトナムの学校よりも多い監獄を建てたという。アメリカはフィリピンを制圧し、アメリカ式の土地制度に反発した現地人を弾圧し、女子供も含め600人全員を殺した。

5愚民化政策 植民地が国力を増して反乱を起こして困るため、教育は一切行わなかった。つまり文盲のまま放置していた。そのため植民地では識字率も極端に低い。また言論の自由も認めず集会にも制限を加えた。もし反発すれば逮捕された。また標準言語を作ることも禁止していた。教育をしなければ技術も発達しない。

 1~5の政策を見てからも分かるとおり徹底的に植民地を搾取し痛めつけたのが欧米列強の植民地統治方法であった。フランスはフランス革命で自由・平等・博愛等を唱えていて白人国家は人権意識が高いように見えたが実はその人権が適用されたのは白人だけであり、有色人種にはなかったのだ。

第4章 日本の選択~対米開戦~

 欧米列強のアジア支配に警戒心を抱いた日本は、自衛のために軍事力を強化していく。かろうじて日本は韓国と台湾の権益を確保していた。しかし欧米列強は中国を制圧するべく中国に進出する。そして欧米列強のこれ以上の日本への接近を阻止するため日本は中国大陸に進出する。しかしこの動きに対してアメリカ、イギリス、中国、オランダはABCD包囲網を形成し鉄くずや石油の輸出を禁止する経済制裁を行った。当然ながら日本は資源小国であるため鉄くずがなければ鉄鋼製品を作れないし、石油がなければエネルギー供給が出来ずに国民は餓死するしかなくなる。そこで日本はこの危機的状況を打破するべく対米開戦を決定した。そこで欧米列強に支配されていた東南アジアに上陸し、鉄鉱石や石油、ゴムなどを奪うとともに、東南アジア諸国を開放し独立させアジア諸国で欧米に負けない繁栄した地域=大東亜共栄圏を建設することが目的であった。さらに短期決戦でアメリカに大打撃を与え講和に持ち込むことで危機を打破する計算であった。そしてついに12月8日大東亜戦争が勃発する。日本は快進撃を続け、フィリピンやインドネシア、マレーシアやパラオ等を次々に占領し、現地を支配していた欧米列強の軍隊を降伏させた。

第5章 日本によるアジア統治~アジア解放に向けて~

 ここでは日本が占領した地域での統治方法について詳述するが、いかに欧米列強の植民地統治と違うかが明らかである。まず日本が東南アジアを占領した理由はまずはABCD包囲網で資源が輸入できなかったため東南アジアの豊富な資源を確保するためであったがアメリカに対抗するために資源が必要だったのであり、決して東南アジアを搾取するのが目的ではない。そして第2の目的は今まで植民地にされていたアジアを開放し、近代化によって力をつけさせ独立させることであった。それは2度と欧米列強に侵略させないためであり、東南アジア諸国と日本の国益にも合致していた。では、日本はどのような統治をしたのか。まずそれ以前から日本が権益を確保していた台湾ではどうだったのか。日本は台湾に対して積極的な投資をした。まず教育水準を上げるために学校や大学を建てたり、発電のためダムを建設、また病院や鉄道の建設や日本の優れた工業技術を教えたりして台湾の近代化を図った。その結果台湾は発展し、当時のアジア諸国の中でも群を抜いて近代化したのだ。そのため今でも台湾は日本に対して感謝し、親日的だ。また、満州も発展し人口が10年間で2倍になっている。もし満州を侵略し破壊行為をおこなったのなら近代化し人口が2倍に増えるはずがない。
 では対米開戦後に占領した東南アジアではどうか。日本が占領するまでは欧米列強に支配されていたため、インフラは整備されてない上、教育水準も最低であり貧窮していた。そこで日本は台湾と同様に病院や学校を建設したのだ。そのため平均寿命や識字率が大幅に向上している。また、日本軍は現地人に武器を与え郷土防衛隊を組織させた。欧米列強が植民地の現地人から武器を奪って反乱をさせないようにしていたのとは対照的である。郷土防衛隊を組織させることによって独立の機運を高めたのである。さらに戸籍制度を導入して近代化の礎を築いた。たとえばパラオでは戸籍制度導入の際に尊敬する日本人の名前を苗字にしたパラオ人もいた程だ。また、現地人を差別することなく積極的に現地人を公務員に採用したのだ。なぜなら現地人に仕事を与えることによってその後は現地人が行政など国家運営を担ってほしいと考えていたからだ。これらの統治に東南アジア諸国は諸手を挙げて喜んだ。なにしろ数百年に及ぶ植民地支配から解放された上に日本がインフラ整備に取り組んだからだ。


第6章 敗戦と白人至上主義の終焉
大東亜戦争緒戦は無敵を誇った日本軍はアメリカ軍の圧倒的物量に押され始め、1945年8月15日、日本は降伏する。勝てば官軍の世界の中でアメリカは自分たちの都合のいいように日本を裁き、日本は東京裁判にて犯罪者となってしまう。しかし日本が占領していた4年間の間に東南アジア諸国は近代化して独立の機運が高まっていた。さらに国際社会の世論も、欧米列強の植民地支配に対し批判的になり植民地は急速に減っていく。そのきっかけを作ったのは間違いなく日本であり、特に日本が大東亜戦争緒戦で欧米列強を撃破したことはそれまで欧米列強にさんざんひどい目にあっていたアジア人に感銘と勇気を与えたのだ。そればかりではない。インドネシアでは日本の敗戦後に再びオランダが侵略してきた。その際にインドネシアは日本軍が組織した防衛隊が戦ったほか、現地に残った日本兵も一緒にインドネシア独立のために戦ったのだ。その結果オランダを撃退しインドネシアは独立を勝ち取ったのだ。インドネシアのスカルノ大統領は来日の際、インドネシアで戦死した日本兵に感謝する直筆の石碑を建立している。

最終章 アジアの開放と日本への尊敬~日本は侵略国ではない~
 日本では歴史教科書において「日本はアジア侵略の悪い国」だと教えられているが上記のとおり日本は良い国なのだ。事実、アジアの国々は日本を尊敬してやまない。ここでは日本を評価する声を紹介する。

アリフィン・ベイ(政治学博士) 「日本軍に占領された国にとって第2次大戦は日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本の敗戦で日本軍が引き揚げたのちアジアに残っていたのは、日本の精神的、技術的予算であった。東南アジア独立に対してどれだけ多くの貢献をしたか認めさせなければならない。日本が負けたとはいえその精神的遺産はアジア諸国に高く評価されているのである」

ククリッド・プラモード(タイ元首相) 「日本のおかげでアジアの諸国は独立した。日本というお母さんは難産して母体をなくしたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国が米英と対等に話せるのは誰のおかげか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんのおかげである」

ゴー・チョクトン(シンガポール元首相) 「日本軍の緒戦の勝利により欧米のアジア支配は粉砕されアジア人は自分たちも欧米人に負けないという自負をもった。日本の敗戦後15年以内にアジアはすべて解放された」

マハティール・ビン・モハマド(マレーシア4代目首相) 「日本の戦争責任を問うならばそれ以前の非人間的な支配と収奪を続けた欧米の責任はどうなるのか。日本のおかげでアジアは解放された」

バー・モウ(ビルマ初代首相) 「ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり」

まだまだここでは紹介しきれないほどの日本を評価する声が寄せられている。実際に日本人が思っている以上にアジア人は日本に感謝しているのだ。アジア人は日本が嫌いという誤った考えは東京裁判史観に汚染された左翼マスコミや日教組が日本人に刷り込んだものであり、それは正しくない。戦後すぐに開催されたバンドン会議では日本の代表が会議に出席したところアジア諸国の代表から拍手で迎えられたという。そして1995年に村山首相がマレーシアの首相に謝罪したところマレーシアの首相から「いつまで日本は謝っているんだ。もう謝るな」と叱咤したというではないか。さらにインドネシアでは毎年独立記念日には日本の軍歌が町に響き渡り、日の丸が掲げられるという。フィリピンでも独立記念日のポスターには旭日旗が書かれていた。パラオでは独立後に国旗を制定する際、日の丸をモチーフにしている。台湾では今も日本が大好きであり、今年行われた調査「好きな国はどこか」で日本がダントツ1位であった。日本はアジアの国々から嫌われているという先入観を排し、様々な角度から日本に対する評価を検証するべきである。

おわりに
 日本は素晴らしい国であるのに未だに東京裁判史観に汚染されている。教科書でも日本の悪いことばかりが書かれ、良いことは一切書かれていない。歴史教育というのは自虐史を教えるのではなく、国民に誇りを持たせるためにやるべきである。そして日本は悪い国だという誤った考えがあるため、大東亜戦争で戦死した英霊に対する感謝を忘れているのではないだろうか。数100年にわたる植民地支配に終止符を打ち、アジアをそして日本を救ったのは勇敢に戦い戦死した英霊がいてこそである。我々は英霊への感謝を忘れてはならない。そして東京裁判史観に汚染されていることは英霊の名誉を汚しているものである。自分は毎月靖國神社に参拝しているが、多くの国民にもぜひ参拝し感謝の意を伝えてほしいと思う。よく左翼は「靖國はアジア侵略の犯罪者が祀られている」というが、すでに戦犯とされている人達は国会で公務死認定され名誉回復がなされており、戦犯は存在しない。それに上記のとおり日本はアジアを欧米から解放したのだ。アジアを侵略していたのは欧米列強である。今マスコミや学校が教えている歴史はアメリカが日本に押し付けた東京裁判史観であり、真実ではないことに国民は気付くべきだ。真実の歴史を知ることで心から「日本は良い国だ」と自信を持ってほしいと切に願う。