65年前、広島と長崎に原爆が落とされ何十万人もの命が失われた。

原爆で命を落とした方々に改めて追悼の意を捧げる。
一発で何十万人もの命を奪う核兵器などなければ良いに越したことはない。

だがそれは妄想の世界のみで許される考えだ。現実はそんなに甘くない。

なにしろ国連常任理事国は全て核兵器保有国だ。

オバマ大統領がいくら核兵器廃絶を訴えても絶対に核兵器は無くならない。

なぜなら核兵器は戦争を抑止したり外交で強い発言力を持つためには絶好の兵器である。

利害が対立する国際社会で国益を追求するのが当たり前の中で核兵器を持ちたいと考える国は多い。

だからアメリカやロシア、中国などは絶対に核兵器を廃絶することはない。

皮肉だが100年後も核兵器は存在するだろう。

その中で日本はどのように核兵器と付き合っていくのか?

日本は自虐史観に囚われているため核兵器廃絶の発言力が非常に強い。

先程、綾瀬はるかが長崎の被爆者の話を聞く番組をやっていたが、なぜか日本のマスコミは核兵器廃絶ばかりを唱えていて、核の抑止力や核武装についてはまともに取り上げない。

よく核兵器を無くせば平和になると考えている者がいるがそれは幼稚園児の議論である。

ソ連とアメリカが一度も戦わなかったのは核兵器による抑止力があったからである。

また日本が冷戦期にソ連や北朝鮮に侵略されなかったのはアメリカの核の傘に入っていたからである。

しかし頭に花畑が咲いている広島秋葉市長は核の傘からの離脱を要求した。誠にバカである。

そして政治家も聞こえのいいことしか発言しないから非核三原則堅持ばかりを唱える。

核武装について少し話すだけで大騒ぎするのが日本だ。

しかし非核三原則堅持を唱えながらアメリカの核の傘に頼るのは、自ら核兵器の抑止力を認めているということだ。

では日本は自ら核武装するという議論になぜならないのか?

中国は核弾頭搭載ミサイルの照準を東京に会わせているし北朝鮮も核開発を促進している。

本来、政治は国を守ることが仕事なのだから周辺国の情勢を考慮するのが当たり前。

中国や北朝鮮に核兵器の恫喝を受けたらどうなるか?
核兵器の恫喝に対抗できるのは核兵器しかない。

日本はなぜ核武装を議論しないのか?

核兵器廃絶ばかりを唱えている人々ばかりをマスコミは取り上げるが実は、被爆者の中にも核武装を唱える人々がいる。

「唯一の被爆国だから核兵器廃絶を進める」ではなく、正しのは「唯一の被爆国だからまた核攻撃を受けないように核武装する」と言わねばならない。

日本が非核三原則を堅持するのは中国や北朝鮮に利するばかりで日本の平和を脅かすだけなのだ。

日本が真に独立するためには自主憲法制定と核武装の確立が第一である。