井出のおかみさんはよく
「芳雄、偶にはお母さんのところに帰ってあげなさいよ」
「お前の顔を見ると、お母さんも喜ぶよ」と、汽車代を出してあげるからと言っても芳雄は聞かなかった。
「いや、良いですよ、おかみさん」
「こうして、ここで働かせて戴いているだけでも有難いのに、汽車賃まで面倒掛ける訳にはゆきませんから」
「母には偶に手紙を出していますので、母も心配していないですから...」
「僕が立派な大人になって、たくさんのお金を稼げるようになったら、必ず母を呼んで、一緒に暮らそうと思っています」
「それまでは、母も分かってくれると思います」
「あんたも頑固だからねぇ~」とおかみさんは、優しく微笑んでいた。
井出夫妻には、男の子と女の子、ひとりづつの子供がいた。
というか、いるはずだった。
最初の男の子は死産で、二番目の女の子は、赤ん坊のとき、大きな病にかかり亡くなっていたのである。
その男の子が生まれていれば、ちょうど芳雄と同じ歳であったこともあり、井出の社長もおかみさんも、芳雄が来たときから、自分たちの子のように可愛がってくれていたのである。
将来は芳雄がこの工場を引き継いでくれるかもしれないと、淡い期待を持ちながら...