アーカーサの英語学習日記へようこそ!
小澤征爾さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
小澤征爾さんといえば思い出す出来事があります。うろ覚えですが、その当時を振り返りたいと思います。
35年ほど前になります。大学生だった時です。私の友人が所属しているサークルの忘年会に何故か所属していない私が参加していました。定山渓温泉だったかと思いますが、一泊二日の忘年会でした。
私は徹夜ではしゃぎまくっていました。忘年会が終わると、疲れ切っていました。アパートに帰ってとにかく寝たいと思い、友人と一緒に札幌のアパートに戻りました。途中で、友人が「ちょっと研究室に寄りたい」とのことなので、私はその研究室には所属していませんでしたが、つきあうことにしました。
友人の研究室に入ると大学院生の先輩が「おう、お前らちょうどいいとこに来たな。バイトの依頼が入ってお前らにうってつけだから行ってこい」とおっしゃいました。
”寝たいんですけど”と思いつつ、「何のバイトすか?」と尋ねると「小澤征爾とボストン響のコンサートのバイトだよ」とのこと。「行きます、行きます」と急にテンションが上って引き受けました。
その先輩は友人と私がクラシック音楽好きだと知っていたので、我々に声をかけてくださったのでした。
”よっしゃー、うまく行けばコンサート聴けるかもしれない”と甘い考えを抱きつつ、アパートに帰り、スーツに着替えてから札幌文化会館(だったと思う)に向かいました。受付をしろと言われていたので、スーツにしました。
現場につくとスタッフから「君たち、受付まで時間あるから搬入の手伝いしてて」と言われたので、搬入のお手伝いをすることに。
搬入現場では、ボストン響の専属スタッフらしいアメリカ人が仕切っていました。それ以外はほとんど日本人のバイトだったと思います。
膨大な量の機材をステージの所定の場所に配置しなくてはなりませんでした。楽器は厳重に梱包されているので、ものすごく重いです。といってもここでは私の出番はほとんどなく、軽い荷物を運んだり、通路の確保といった軽作業をさせられていました。
オーケストラのコンサートの準備がこんなに大変だったとは、とか思いながら作業をしていました。
休憩時間に”ステージって今どんな状態なんだろう”と気になって覗きにいきました。途中でドアがあいている部屋があったので、ふらりと入りました。
”うわ、小澤征爾さんだ”
張り紙もなにもなかった(と思う)のですが、小澤征爾さんの控室だったようです。お一人でした。
小澤征爾さんはちらりと私を見ましたが、すぐに視線をそらして集中されていました。
私は小澤征爾さんの引き締まった表情に圧倒されて、何も言えずに軽く会釈をして部屋を出ました。
小澤征爾さんにとってはなんの印象にも残らない出来事でしょうが、私にとっては忘れられない出来事でした。
その後、受付ではパンフレットの販売係を努めました。パンフレットの販売は想像以上に大変な仕事でした。会場がオープンしてコンサートが始まるまで、ひっきりなしに販売をしていて全く休むことができませんでした。お金を扱うので、学生だった私には非常に気を使う作業でもありました。
販売スタッフは友人と私の他に協賛企業のテレビ局かラジオ局かどっちだったか忘れたけど、綺麗所の女性2名でした。
コンサートが始まっても終わってからパンフレットを買うお客様もいるので、その場で待機でした。なので、コンサートを聴くことはできませんでした。
しかし、コンサート中は綺麗所の女性とおしゃべりをしていて楽しかったです。
バイトが終わって数日してから、”だめもとでも、なんで、あの女性達に、またお会いしませんか、とか、食事でもどうですか、とか誘わなかったんだろう”と後悔したことも良い思い出です。
バイトに配られたTシャツ。捨てられません。
何十年かぶりに読み返そうと思います。
小澤征爾さん、あちらでも天上の音楽を奏でてください。
合唱