3.11  あれから6年である。
私は当時はお台場の高層マンションにアトリエがあり、あの時はスタッフと一緒にアトリエにいた。
突然激しい揺れで、何事かとガーン   
2度目の揺れで、玄関にあった大きなガラスの花器が割れ、これはただ事でない。すぐにスタッフを送り返さなければ!ととっさに思い、ガラスの破片を片付け
「送っていくから帰ろう!」と震えおののく彼女を促して、車に飛び乗った。窓からは千葉沖のコンビナートから煙が揚がり始めていた…
レインボーブリッジを無事に走り抜け、溢れ出てくる人の列を見ながら彼女を自宅近くまで送り届けた。封鎖された高速道路は通行できず横浜の自宅に辿り着いたのは次の日になっていた。ガソリンが入っていてよかったぁ〜とつくづく感じた。

そして、私は日本建築家協会の被災地支援活動として仙台の住宅相談に訪れたのは5月の連休の時。相談の翌日友人の女性建築家とレンタカーを借りて、石巻、女川などを回った。女川の津波被害は信じ難い光景だった。丘にある病院の1階まで壊滅状態でどれだけ大きな津波だったのか?と想像を超えていた。さらに大川小学校へ行き曲がりくねったRCの床や柱の中に子供達の遺品を見て言葉を失った。花を手向けて手を合わせた。石巻では無残な工場跡。
あれから6年である。

私はこれから日本建築家協会の委員会会議で仙台へ向かっている。明日は再び被災地を巡り復興の様子を見る予定である。

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