横浜山手といえば、やはり洋館家ですよね音譜
神戸、長崎同様 横浜も西洋館が立ち並び、まるで外国にいるような気持ちになりますね。

もともと、150年前横浜を開港したとき、江戸幕府は江戸まで外国人を入れるのが恐怖で横浜を開港させ、その中に留まらせたというお話。JRの関内駅は、そこに(現在の吉田橋辺り)関所があり、それより内側の伊勢佐木町辺りを関所の内側ということで、「関内」。反対側の海側を関所の外ということで「関外」として、そこを外国人に解放したらしいです。また明治初期に横浜大火災があり、その辺り一帯が焼け尽くされたので、外国人の建築士に設計を委ねて、今のレンガ造りの建造物ができたようです。
そして、日本にいる外国人の住むところとして、山の上の山手を居留地としてあてがい、それが今の山手の発祥に・・・
それまでの日本人には見た事もないようなおしゃれな窓がある洋館が立ち並び、日本人が次第にあこがれの的になっていったようですよ~

「何だぁ~ あの小さな窓は? 窓の中にのれんの布のようなモノをたらしているぞ~ 」
何て言って、日本人は外からのぞいていたんでしょうね・・・

ちなみに、山下公園は明治時代の当時まだありませんでした。あの公園は、大正の関東大震災のガレキで埋め立てた公園なんですよ~
(何て、ちょいと、横濱人らしいことを話してしまいましたべーっだ!



さてさて、私の山手通りのお散歩の洋館紹介家
まずは、元町公園に面してある エリスマン邸
マダム建築家の日々-エリスマン邸


エリスマン邸は、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて建てられ、設計は、「現代建築の父」といわれる巨匠アントニン・レーモンドです。レーモンドは、日本に東京女子大学、聖心女学院などたくさん残しています。エリスマン邸は、下見板張り、煙突、上げ下げ窓、鎧戸など典型的な洋館スタイルですね!


エリスマン邸と道路の反対側斜め前にあるのが、山手234番館
山手234番館は、昭和2(1927)年頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとしてだったそうで、設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。こちらは、震災後だったからか(私の意見)外壁は下見板でなく、モルタルリシンのようですね。上げ下げ窓、鎧戸、煙突は定番ですが、共同住宅だからか? 正面に柱でファサードを形成し真ん中中央に玄関がありシンメトリーな構成が、コロニアルスタイルですねビックリマーク

マダム建築家の日々-山手234


他にも 山手111番館、山手イギリス館、ブラフ18番館などたくさんありますねラブラブ

次回はまた違う洋館をご紹介しますねビックリマーク

今回のお散歩はひとまず終わりですパー