見信仰者でした。

東京国立博物館で開催中

 

創建1200年記念
特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」
平成館 特別展示室  2024年7月17日(水)~2024年9月8日(日)

 

 


昨日は、1850万年前に鞍馬山に降り立ったとされる悪魔「サナト・クマーラ」が、大和朝廷と対立していた「出雲族」の神様ではないかとのお話をしました。
 
「天皇派」の中で代々続いた内輪争いは「出雲族」と「大和族」の争いだった可能性大。「サナト・クマーラ」は「出雲族」の神様なのか。
 
もう一度、簡単に昨日のおさらしつつ、今日はさらに深く掘り下げてお話します。
 
先ず、紀元前3世紀頃、メソポタミアから「大和族」と「出雲族」が日本に渡ってきました。
 
その当時、日本には縄文人が住んでいましたが、「大和族」と「出雲族」はともに縄文人を駆逐していき、日本の領土を占領していきました。
 
このように書くと、まるで「大和族」と「出雲族」が悪者で、縄文人が哀れな民衆、という風に見えてしまいますが、実は縄文人もれっきとした悪魔崇拝者たちでした。
 
それは彼らの残した文化を見ればすぐに分かります。彼らは「蛇」と「生殖器」を神のように崇めていたからです。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
宗教に見る性の変遷 ~第1回 古代蛇信仰と性~ – 思考の墓場 サルガッソー
 
これは縄文人が紛れもない悪魔崇拝者だったという証拠です。「蛇」とは悪魔のことですし、悪魔崇拝者は淫乱邪悪な儀式を行いますから。
 
ならば、縄文人は「太陽派」なのか「月派」なのかと思って調べてみると、どうやら縄文人は「月」を信仰していたようです。以下のような記事が見付かりました。
 
114号・縄文人は月を信仰していた? | さらしな堂
 
このように、縄文人とは「太陽派」ではなく「月派」の人々だったと考えられるわけです。
 
では、なぜこの日本に「月派」の人たちが住んでいたのでしょうか。
 
有史以前の日本にはもともと「レムリア文明」とか「ムー文明」という文明が栄えていました。
 
この話は多くの人たちからトンデモ話と思われていますが、このトンデモ話こそが実はこの世の真実です。信じられない方は、以下のリンクをご参照ください。
 
世界の支配層たちが古代から高度な科学技術を密かに独占してきたという幾つもの証拠。
 
世界中のレイラインを生み出したのは宇宙人ではなく、人工衛星「黒騎士の衛星」です。
 
悪魔崇拝者たちが日本中心のNWO計画にこだわる理由。日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地だったのでしょう。
 
ところが、今から1万2000年前、このレムリア文明(ムー文明)が滅亡し、「太陽派」はみんなエジプトへと逃げていきました。
 
この文明がなぜ滅亡したのかについては、諸説紛々としていますが、私の見解としては、やはりこの当時「太陽派=ヒイズルクニ」と「月派=ヨモツクニ」の間で激しい戦争があったのだろうと思います。
 
イルミナティ関係者の中には、この戦いを「ドラコニアン=天皇派」と「レプタリアン=教皇派」との戦いだったと言う人もいます。
 
で、多くの人がこの「ドラコニアン」や「レプタリアン」のことを宇宙人だと思ってきたわけですが、彼らは宇宙人ではなく「悪魔」です。(詳しくはこちら
 
で、この戦いの末にレムリア文明(ムー文明)が滅亡し、「太陽派」の人々はエジプトへと逃げていった。
 
しかし、彼らの辿り着いた地域にはただ大きな砂漠が広がっているのみ。そのため、彼らはその地域に長く住み着くことはできないと判断し、再び日本に戻ることにした。
 
これは「正統竹内文書」で伝えられている歴史です。昨日ご紹介した記事にも書かれてあります。
 
出雲族と大和族の話(パート1) | 天の王朝 – 楽天ブログ
 
ところが、日本に戻ってみたところ、そこには「月派」の人々が住み着いていた。いつのまにか彼らが日本を乗っ取っていたわけです。
 
もちろん、太古に栄えた高度な文明はほとんど残されておらず、「月派」の人々はそこで原始的な生活をしていたのでしょう。
 
しかし、縄文人たちは以前と同じように悪魔崇拝だけは行っていた。
 
彼らが作った縄文式土器も、生活のための土器ではなく、悪魔崇拝に使うために使う土器だったに違いありません。でなければ、あんな派手な装飾をする必要がありませんからね。
 
それに、縄文式土器のあの派手さも、「月派=教皇派」ならではの派手さとも言えますね。
 
ローマ教皇にしろエリザベス女王にしろ、アメリカなどの欧米文化にしろ、「教皇派」はやたらと派手で煌びやかなものを好みます。
 
その一方、日本の文化は、煌びやかさよりも慎ましさが重視されるところがあります。「千利休」なんかはこのシンプルな美をとことんまで追求した人物です。
 
「大和族」と「出雲族」が冷徹に縄文人を追い払ったのは、縄文人が「月派」の悪魔崇拝者だったからでしょう。
 
しかも、彼らが日本を滅亡させた当人だったので、「太陽派」の人々は恨み辛みを爆発させて、縄文人を徹底的に駆逐していったわけです。
 
ところが、いざ縄文人を駆逐し終えたとき、「大和族」と「出雲族」の間で、どちらがこの国のトップに就くかでモメてしまった。
 
で、その争いの末、「大和族」が勝って「大和朝廷」が開かれた。
 
しかしながら、「出雲族」も「大和族」と血縁関係を結んでうまく「大和朝廷」に入り込んだ。
 
と同時に、「月派」の人たちも「大和朝廷」の中にうまく入り込んだのではないかと思います。
 
というのも、日本神話の中では「イザナギ」がみそぎをした際、「大和族」の神「天照大神」と、「出雲族」の神「スサノオ」が生まれましたが、このとき「月読命(ツクヨミ)」という神も一緒に生まれているからです。
 
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「月読命(ツクヨミ)」とは読んで字のごとく、「月派」の神様に違いありませんよね。
 
で、この三人の神様がこうして「古事記」と「日本書紀」に天津神(高天原の神。その反対が「土着の神」を意味する国津神。)として登場しているということは、「大和族」と「出雲族」と「月派」みんなが「大和朝廷」に入り込んだということを意味するのではないでしょうか。
 
そもそも、彼らが一つになってこそNWOが成就できるわけですからね。
 
今の今まで、なぜ日本神話には「アマテラス」と「スサノオ」と「ツクヨミ」の三人の神様が出てくるのか、いまいちその意味がよく分かりませんでしたが、こう考えると全てに筋が通ります。
 
また、私が調べてみたところ、「大和朝廷」が開かれるまでの間、日本には「白山信仰」が広く根付いていたことが分かりました。
 
天照太御神以前の白山信仰。 – おひさまありがとうございます。
 
で、この白山信仰とは「妙見信仰」のことで、「妙味信仰」とは、北極星(または北斗七星)を崇める信仰です。
 
妙見信仰とは
 
しかし、「大和朝廷」はシリウス信仰のはずです。少なくとも、現在の「天皇家」はシリウスを崇めています。詳しくは以下のリンクをご覧下さい。
 
徳川家と天皇家との霊力の戦い。北斗七星の結界とそれを打ち破る太極図について。
 
なのに、「妙見信仰」が広く普及していたということは、「大和朝廷」が開かれるまで、この日本は「大和族」以外の人たちが支配していたということになります。
 
で、私は今までずっとこの「妙見信仰」を「月派」の信仰だと考えていたのですが、ここでその考えを訂正しようと思います。
 
「妙見信仰」をしていたのは「月派」ではなく、「出雲族」だったのだと思います。
 
なぜそう言えるのか、その根拠をご説明しましょう。
 
昨日もお話しましたように、「出雲族」は「サナト・クマーラ」という悪魔を崇めています。少なくともその可能性が高いです。
 
で、この「サナト・クマーラ」を日本に広めたのが空海であり、日蓮聖人(最上の画像)であり、出口王仁三郎であり、池田大作であるともお話しました。
 
ですから、彼らはみんな「出雲族」である可能性が高いわけですが、驚くべきことに、彼らはみんな「妙見信仰」なのです!!
 
先ず「空海」と「日蓮聖人」ですが、以下のような記事がありました。
 
----------------(以下、こちらより転載)
 
妙見信仰を最初に流行らせたのは修験道の役小角だという。当時の北辰祭は、796年に風紀の乱れを理由に禁止された。
 
(註: 役小角とは飛鳥から奈良時代に実在した呪術師です。詳しくはこちら
 
つづいて806年に唐から帰国した空海が、真言密教の仏に妙見大菩薩を迎えいれる。
 
密教と修験道のむすびつきにより、妙見信仰は日本独自の色を重ねつつひろまっていく。
 
空海は高知県の室戸岬での修行中に、「あけの明星」が口にとびこむ体験をしている。四国の星信仰は、讃岐からひろがった真言系じゃないかと思う。
 
おなじ星体験をしたのが日蓮で、天から明星のような大星がおりてきて梅の木にかかったという。
 
彼は北辰妙見菩薩の示現をうけ、法華経護持の誓いを得ている。

 
この「星」と「梅」のとりあわせは、千葉神社の摂社・千葉天神(1182年創祀)を思い出させる。千葉妙見宮(千葉神社)と日蓮は、ゆかりが深い。
 
----------------(転載ここまで)
 
はい。これで空海と日蓮が「妙見信仰」であることが分かりましたね。(ちなみに空海が悪魔崇拝者であるという証拠はこちら
 
しかも、「明けの明星」が空海の口に飛び込んだとか、梅の木にかかったとか書かれてありますが、「聖書」ではルシファーのことを「明けの明星」と表現されています。
 
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。」(イザヤ書14章12節)
 
ということは、やはリ「サナト・クマーラ」は本当にルシファーなのでしょうか。
 
それとも、単に妙見信仰をしている人たちが「サナト・クマーラ」のことをルシファー(悪魔のトップ)だと思いたくて、勝手にこんな逸話を作っただけなのでしょうか。
 
また、「出口王仁三郞」についても、「ワールドメイト」という新興宗教の2003年のメルマガに、こんな記事が書かれていたそうです。
 
----------------(以下、こちらより転載)
 
また、空海、最澄の築いた宗教構造を世界規模でやるのがワールドメイト会員の役割だが、その空海がソロモン王の王仁三郎となり、その師匠の恵果阿闍梨がダビデ王 深見東州だとも言っている。
 
----------------(転載ここまで)
 
はい。これで全てがつながりましたね。「空海」と「最澄」は「密教」の開祖。
 
で、その「空海」が輪廻転生して「出口王仁三郞」となり、「最澄」が同じく輪廻転生して「深見東州」になったということのようです。
 
一応、輪廻転生は絶対にないと分かったのですけれども、彼らは頑なにそう信じているわけでしょう。(輪廻転生がないという証拠はこちら
 
(ちなみに、空海は後に「大日如来=天照大神」とされたので、太陽派寄りの「出雲族」だったということかも知れません。)
 
で、肝心かなめの「池田大作」ですが、創価学会は「日蓮聖人」を崇めていて、その「日蓮聖人」が妙見信仰なのですから、当然、「池田大作」も妙見信仰だったに違いありません。。
 
「密教」と「日蓮系」がなぜか同じ妙見信仰だということは、一部の人たちの間では有名な話だったと思います。
 
では、なぜ「日蓮」と「密教」が同じ妙見信仰なのか、はっきりと説明できる人は今まで誰もいなかったと思います。
 
しかし、今はっきりとその答えが分かりましたね。
 
彼らはみんな同じ「サナト・クマーラ」という悪魔を拝んでいるから、同じ「妙見信仰」なのです。
 
ということは、妙見菩薩というのは「サナト・クマーラ」のことなのかも知れません。
 
Myouken

〈妙見菩薩〉

 

 

ということで、現段階で考えられる結論はこのようになります。
 
■大和族=アマテラス=太陽信仰=シリウス信仰
 
■出雲族=スサノオ=妙見信仰=(月? 太陽?)
 
■縄文人=ツクヨミ=月信仰
 
「出雲族」が「太陽派」なのか「月派」なのかはよく分かりませんが、「大和族」に実権を奪われたわけですから、彼らにとってみれば「天照大神」は天敵みたいなものです。
 
なので、どちらかというと「月派」に与するようになったのかも知れませんが、やはりこの辺のことはその時々の状況によって変わるのではないでしょうか。
 
「太陽派」が優勢になれば「太陽派」に、「月派」が優勢になれば「月派」に……という感じでしょうかね、きっと。空海も「大日如来」になったわけですし。
 
ちなみに、「出雲族」は「大和族」によって東北に追われましたが、東北にはかの小沢一郎がいて、小沢一郎も「創価学会」と深いつながりがあります。
 
小沢一郎と創価学会との深いつながり。彼は天皇家の中心的人物に違いありません。
 
ですから、小沢一郎ももしかしたら「出雲族」なのかも知れません。
 
なんか色んなものが一つにつながってきましたね。これでこの世の中がまたさらにシンプルに見えてきました。
 
(追記)「太陽派」と「月派」についての理論がよく分からない方は、以下のリンクをご参照下さい。
 
教皇派=太陰暦=月の王国。天皇派=太陽暦=太陽の王国。世界の構造がますますシンプルに見えてきました。
 
太陽の王国=ヒイズルクニ。月の王国=ヨモツクニ。有史以前から既に「天皇派」と「教皇派」の争いは始まっていました。
 

 

”『ルフィ』も #創価学会”