今日の楽しみは 


強風に圧され、骨組みが軋んだかと思うと、テントごと横転しそうになった。少し浮遊感も感じた。


「わあ! 浮きそう! テントごと飛んでっちゃうよ!」


「早く畳まないとまずい!」


そう言いながら、プレトはテントから這い出した。


「痛てててて! 痛い! ムイムイ痛い! ルリス、気をつけて!」


「痛い! モデルガンで撃たれてるみたい! 熱帯低気圧こわい!」


突風に巻き上げられ、容赦なく身体にぶつかってくるムイムイに悲鳴を上げながら、なんとかテントを回収し、レグルスに乗り込んだ。強化ガラスに、ムイムイがバチバチとぶつかってくる。


「ムイムイってこんなに痛かったんだね……ていうか、注意報出るの遅すぎない?」


ルリスが腕をさすりながら言った。ところどころ赤くなっている。


「緊急地震速報も、地震が来てから鳴ったりするから、それと同じかな……」


レグルスが強風に煽られ、時折ぐわりと揺れる。


「ねえ、あっちに見える大きい渦みたいなのが、ムイムイハリケーンかな……」


ルリスが前方に視線を向け、眉をひそめて言った。


「そうかも。この距離でもアプリが使えなくなるのなら……あれに巻き込まれたら、電子サービスのデータが消えるどころか、携帯が完全に壊れるかもしれない」


「やば! なんとか避難しないと! こんなことなら、昨日の街から出なきゃよかったよー!」


「なんかこう……できるだけムイムイに晒されないところに行けないかな!」


「例えば?」


「……山のほうとか?」


プレトがそう言うや否や、ルリスが急にアクセルを踏み込んだ。身体が思いきり座席に押し付けられる。湖の右手に見えていた小山に向かっているらしい。


「山にはムイムイよけになるようなもの、あるかな? めちゃくちゃ大きい岩とかあれば、陰に隠れられるかも」


「まあ、運次第だよね……どちらにせよ、あの渦からは離れなきゃ」


ものすごいスピードが出ているので、胸の辺りが圧迫されて苦しい。横目でムイムイハリケーンを見ると、さっきよりも大きさを増しているように見えた。次々と他のムイムイを巻き込んでいるのかもしれない。


……この状況で携帯電話まで壊れたら、ほんとにもう…………いや、そんなことを考えるのはやめよう。心配したところで、結果は変わらない……プレトは圧力を受けている胸の前で手を組んだ。


『携帯電話が壊れないように、どうか助けてください……せっかく集めた証拠が消えたら、この国は悪人の楽園になってしまいます……私のレグルス、あいつらのせいで廃車になったんです……』


プレトは無意識のうちに、神様に話しかけていた。そんな自分に驚いた。強風に煽られながら、なんとか小山に辿り着いたとき、ムイムイハリケーンはすぐ近くまで迫っていた。


「やばいやばいやばい! どこかに隠れないと!」


「えーっと、あーっと……そっちは?!」


プレトは指をさした。岩壁が自然にえぐれ、洞窟のようになっている場所を見付けたのだ。中は浅いが、ぎりぎりレグルスごと入れそうだった。ルリスは素早く、そして慎重に操縦しながら、レグルスを洞窟の中に収めていく。2人の目の前に、ゴツゴツとした岩肌が見えた。


ムイムイの猛攻から解放され、束の間の静寂が訪れた。しかし、大量のムイムイが洞窟の外を覆いはじめ、辺りが薄暗くなった。風はムイムイだけでなく、様々なものを巻き込んでいた。

 

プレトが後ろに目を向けると、洞窟の入口を何かの看板がかすめていった。ルリスも同じものを見たらしく、顔をこわばらせて言った。


「うわあ……ここに入れてよかったね。あの渦の中にいたら、さすがのレグルスも危なかったかも」


「そうだね……間に合ってよかった」


ルリスが携帯電話を触りはじめる。


「うーん、やっぱり調子悪いね……あ、クライノートのアカウントがなぜか復活してる! けど、文字化けしてる!」


「うわあ……これ、元通りになるのかな……」


プレトが画面を覗くと、いつもの文章の中に、見たことのない文字がたくさん混ざり込んでいた。試しに投稿文を打ち込んでみたが、勝手に消えてしまう。プレトの携帯電話では、アカウントそのものが消えたままだ。


「ムイムイハリケーンが遠ざかれば直る可能性もあるから、今は待とうか」


「そうだね」ルリスが疲れたように答える。


起きたとたんにテントを畳んで逃げ出してきたので、プレトも疲労感に覆われていた。とりあえず、話題を変えることにした。


「物置小屋にあった円錐型の機械さ、ロゴになんて描いてあるか分かった?」


「はっきりとは分からなかったけど、アルファベットだったと思う」


「あの工業地帯とロゴの情報で検索をかければ、どんな企業なのか分かるかもしれない。携帯の検索機能は使えるっけ?」


「……一応、機能自体は使えるみたいだよ」


プレトとルリスは、それぞれの携帯電話を操作した。文字が点滅したり、反転したり、動き回ったり、消えたりしている箇所が多く、苦戦はしたが、なんとかそれらしき企業の情報に辿り着くことができた。


「家電とかを作ってる企業みたいだね……ホームページに新商品情報が出てるけど、これ、あの機械に似てない? 電子レンジらしいけど……」と、ルリス。


そこには、円錐型の電子レンジが載っていた。

写真を見る限り、プレトたちが閉じ込められたあの機械に似ていたが、家庭用の電子レンジぐらいの大きさのようだ。


「プレトの職場の研究所と、共同開発らしいよ」


「へえ……私は全く知らないな。どこの部署だろ」


「なんかこれ、スピーカー機能があるみたい……レンジで音楽聴く人なんているのかな?」


そんな機能までついているのか。需要があるのか不明だが、これを置いたら近未来的なキッチンになりそうではある。そんな特殊な家電なら、SNSで話題になっているかもしれない。ルリスに頼んで、クライノート内で検索してもらった。


「このレンジの企業、プチ炎上してるよ」と、ルリス。


一緒に画面を見ていくと、複数のユーザーが注目を集めていた。プレトたちが投稿した写真を、保存していたらしい。

 

円錐型の機械と電子レンジの形状が似ていることに気付いて、その二つを関連付けた投稿をしているようだった。

 

しかも、それに反応したユーザーも多くいるみたいだ。


「結構、調べてくれている人がいるみたいだね。えっと……この企業のスポンサーの中に、製薬会社があるみたいだよ」


「え、ラピス溶液の? それもあって、プチ炎上しているのか」


プレトたちが旅の様子を投稿したとたん、パンデアを仕向けた製薬会社へのヘイトも集まっていた。


「……んー、ということは……研究所も製薬会社もこの企業も、がっつり関わっているのか」


「パラライトアルミニウム関連の問題と、危険な円錐型の機械にね」


ルリスがそう言いながら、おもむろに自分のバックパックを漁り、板チョコを取り出した。半分に割り、片方をプレトに差し出す。


「どうぞ。まさかこんなことになるとは思っていなかったよ。糖分摂らないとついていけなくなりそう」


プレトは板チョコを受け取ると、バリバリかじりながら言った。


「あいつらの、パラライトアルミニウムの使い道ってなんなんだろ……円錐型の機械と電子レンジ以外……」


会話が途切れると、レグルスの中はごうごうとした風のうなりに包まれた。

 

なんの面白味もない洞窟内にいるので、原始時代にでもタイムスリップしたような気分だ。ルリスが沈黙を破った。


「そういえば、プチ炎上していたのは、企業の公式アカウントだよね。製薬会社も、公式アカウントがあるのかな? 投稿から何か分かったりして」


「……なるほど……ムイムイハリケーンのせいで、今はクライノートの投稿もできないし、とりあえず情報収集をしようか」


「それもそうだね。珍しく暇だもんね」


クライノートでの検索はルリスに任せ、プレトは通常のネットサーフィンをした。役に立つのか分からないようなニュースばかりだったが、その中でも目に留まったものがあった。

 

『スパイク肺炎』という感染病に関するニュースだ。

 

確か、春ごろだっただろうか。マスコミが大したことのない症状をまるで重篤であるかのように誇張し、わざと不安を煽るような報道をしていたから、記憶に残っていたのだ。

 

しばらくニュースを目にしていなかったので、収束したのだろうと勝手に思っていたが、外国では大変な騒ぎになっているようだった。

 

しかも、プレトたちの国でも、感染者が現れたらしい。ニュースの内容を伝えると、ルリスは唇を舐めて言った。


「製薬会社の公式アカウントがあったんだけど、関係がありそうな投稿を見つけたよ」


画面を見せてもらうと、それはかなり最近の投稿だった。内容はこうだ。


『スパイク肺炎の予防策として、パラライトアルミニウムを使用したワクチンを春から開発中でしたが、ようやく皆様にお届けできる運びとなりました。シロップタイプと、ラムネタイプの二種類がございます』


プレトはしばらくあんぐりと口を半開きにしていたが、なんとか声を出した。


「パラライトアルミニウムを大量に消費している理由って、ワクチンだったの?」


「そういうことか……」


「信じられない、あれを身体に入れるなんて……逆に病気になるよ!」


パラライトアルミニウムの研究者として、この投稿は信じられないものだったし、信じたくもなかった。

 

ワクチン開発について、全く何も知らされていなかったことも恐怖だった。プレトは思わず血の気が引いていくのを感じた。

 

(第38話につづく)

 

 

 

 

作者は 

こんなひと